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魔法使いの子ども達  作者: 時任雪緒
3 私立ワシントンプレパラトリーアカデミー 初等部2年生
51/63

3-9 スポーツ大会 6


 相手のサポーターに狙いをつける。大本命はフォワードだが、まずは城壁を崩す。その少女が引き金を引こうとした時、ふわりと風がそよいだ。わずかな木漏れ日すらも遮って、大きな影が少女にかぶさる。

 少女が顔をあげて、その陰の正体を仰ぎ見る。皴一つないダークグレーの細身のスーツ、風に揺れるネイビーのネクタイ。少し乱れた金髪が、ハラリと頬にかかる。


「理事長、先生?」


 乱れた前髪を掻き上げたのは、やっぱり院長先生で、院長先生は振り向くとにっこり微笑んだ。


「悪い。少し様子を見に来たんだけど、乱入しちまったみたいだな」


 そう言って院長先生は、スナイパーの少女の横をすり抜けて、森の木陰の中にガサガサと消えてしまった。その後ろ姿を、少女は瞳を潤ませて顔を赤くして見送る。


(こんな近くで理事長先生見たの初めてかも! うー、やっぱり超イケてるオトナ男子! カッコイイよー!)


 なにげに高学年女子のファンを獲得している、「超イケてるオトナ男子」である僕らの院長先生は、さっきまでの爽やかスマイルを一瞬で引っ込めた。


(あーくそ、痛ってぇぇ!)


 右わき腹を抑えながら、イライラしつつ小枝をブチ折って進む。何らかの能力を発動するよりも、自分が転移して盾になった方が早い。そう考えてこのザマだ。細胞再生の能力があるから、怪我をしてもすぐに治る。ゆえに院長先生は不老不死。だが痛いものは痛いのだ。それもこれも。


「てめぇら、何してやがんだ。あぁ?」


 髪は乱れているし、葉っぱはついているし、スーツには穴が開いて血塗れになっているし。挙句には完全に素が出てる院長先生に、僕はおしっこチビリそうになった。


 だけど、少し遠くの方から、またスライドを引く音が聞こえた。クロード先輩の撃った弾が、院長先生に命中した事に気づいたかはわからない。だけど、突然現れた院長先生に邪魔されたことはわかったはず。きっと彼はまだ諦めていない。

 院長先生もそれに気づいて、僕らに背を向けて歩き出そうとする。クロード先輩を止める気なんだと僕は気づいて、咄嗟に院長先生のスーツの裾を掴んだ。


「待って、行っちゃダメ」

「ふざけんな。放っておけるわけねぇだろ」

「わかってるけど」


 僕らがそんな問答をしていると、じゃりっと地面を抉る足音がした。ジンジャーがクロード先輩を見つけて、彼に銃を向けた。


「部外者はさっさと出ていって。この距離で撃たれたら、ペイント弾でもそれなりに痛いわよ?」


 約2mの距離で、ジンジャーは片手でライフルを向ける。見つかって焦ったクロード先輩は、すぐさまジンジャーにライフルを向けて発砲した。ジンジャーはその弾丸の進路を予測して、1歩大きく踏み込んでするりと弾を避け、回転した勢いで回し蹴りをし、クロード先輩のライフルを蹴り飛ばす。ガサリと木陰に消えていったライフルを、視線で追いかけていたクロード先輩の目の前に、ジンジャーのライフルが突きつけられる。


「もう、こんなことはやめなさい。こんなことをしても、弟の為にはならないわ」


 ジンジャーの華麗なるアクションを目撃し、僕らはほうっと熱のこもった息を吐く。


「ジンジャーはかっけぇなぁ」

「ジンジャーしびれる!」

「なんで僕は天才型なんだろ。強化型は男らしくていいなあ」

「それな」

 

 強化型女子に羨望の眼差しを送る天才型男子+僕。一瞬現実を忘れていたけれど、院長先生がその辺をまるっとガン無視して歩き出そうとしていたので、僕はやっぱり慌てて引き留めた。


「待ってってば!」

「理由は?」


 ちょびっとだけ怒りが収まったらしい院長先生は、ようやく聞く耳を持ってくれた。だから、僕はみんなに伝わるように、心の中で訴えかけた。


(これは、ノアの闘いなんだ。ノアは、お兄さんの力を借りなくたって、自分の力でヒーローになれるよ。それを、クロード先輩はちゃんと見ていなきゃダメなんだ。だから行かないで。院長先生が行っちゃったら、クロード先輩はノアが頑張ってることを、何も知らないで終わってしまうから)


 僕の言葉を聞いて、院長先生はあきらめたように溜息をついた。そして、聞いていたジンジャーも銃を降ろした。そして、クロード先輩を後ろ手に拘束して、木の陰に引き込んだ。

 もがくクロード先輩を抑えて、ジンジャーは前方を見るように言った。二人の視線の先には、フラッグを目の前にして、ディフェンスからの攻撃から隠れながら、攻撃を繰り返すノアが映る。


「よく見なさい。あなたのしたことは、弟の努力を踏みにじる行為よ。あの子、あんなに頑張っているじゃない。あなたがそれを信じて見守らないで、どうするっていうのよ」


 ペイント弾が、ノアのそばの木の葉を桃色に染める。ディフェンスが弾切れして、再装填している隙をついて、ノアが飛び出す。サポーターが援護射撃に回って、ディフェンスを撃った。

 現れたノアに相手のレンジャーが応戦してくる。フラッグまで後数歩と言ったところで、ノアの眼前に桃色の球体が迫る。その瞬間ノアは木の根っこに躓いて、派手につんのめった。

 勢いあまって五体投地したノアが、ゆっくりと起き上がってくる。体のどこにも桃色の塗料はついていない。だけどノアの手には、三角形の布がはためく、フラッグが握られていた。


 試合終了を告げるサイレンが鳴って、ノアはフラッグを掲げて万歳をし、隠れていたチームメイトも出てきて、一緒に勝利を祝った。

 ノアは泥だらけになって、手のひらも顔も擦り傷ができていたけれど、自分達でつかみ取った勝利、その象徴であるフラッグを掲げる姿は、本当にヒーローみたいだった。


 僕は木陰から出て、クロード先輩のもとに向かった。クロード先輩は、嬉しそうにはしゃぐノアを、なんとも言えないような表情で見つめていた。


「先輩。異物混入事件も、サッカー部の事件も、先輩が犯人だったんだね」


 僕が問い詰めると、状況も相まって、クロード先輩は観念したかのように笑った。


「そうさ」

「何故? 先輩のやったことが原因で、ノアは凄く苦しんだんだよ。ノアを苦しめたかったわけじゃないでしょ?」

「当たり前じゃないか。ノアが疑われたのは誤算だったよ」

「ノアを大事に思うなら、どうして見守ってくれてなかったの?」

「大事に思うから、手助けしてやりたかったんじゃないか!」

「その必要はないよ! ノアは自分の力で、なりたい自分になれる!」


 僕らが話しているのに気づいて、ノアがこちらに駆け寄ってきた。先輩はそれに気づいていないのか、僕の反論に興奮したように言った。


「何を言ってるんだ。ノアは、こうでもしなきゃ……」

「こうでもしなきゃ、何?」


 ノアの声に先輩が気づいて、ハッとノアを見つめた。ノアは俯いて、震える声で続けた。


「こんな卑怯な手を使わなきゃ、俺には何もできないって、兄ちゃんは思ってたんだ」

「ノア……」

 

 顔をあげたノアは、目に涙をいっぱい貯めていた。そして、その場から走り去ってしまった。


「ノア!」

「先輩」

「離してくれ!」

「ジンジャー、離さないで」

「ッ!」


 興奮する先輩に、僕は平手打ちをした。僕の力なんてたかが知れているけれど、クロード先輩は驚いたように僕を見た。


「クロード先輩は、自分が何を言ったかわかってるの? 一番言って欲しくない人に、一番言われたくないことを言われたんだよ。先輩だけはノアを信頼してくれてるって、わかってくれてるって、ノアは先輩を信じてたのに。先輩はノアの事、なんにも見えてない。自分の愛情を押し付けているだけだよ」


 クロード先輩は、自分がノアを傷つけたことは十分に理解したんだろう。暴れるのはやめて、地面に視線を落とした。それを見届けて、僕はノアを追いかけるために、その場から走り出した。


 僕が走り去った後、クロード先輩がポツリとこぼし始めた。


「俺は、ただ、ノアを……。ノアを守りたくて。俺は兄だから、ノアを守らなきゃいけないんだ。俺は……」

「優しい虐待って知ってるか?」

「理事長先生……」


 クロード先輩の前に院長先生が立って、話を続けた。


「守る方は愛情と自尊心が満たされて、守られる方は愛情と安寧が享受される。それは共依存とも言うが、人間ってのは、努力するよりも惰性に順応しやすい。自分で頑張るよりも、誰かに頼る方が楽だ。それに依存していると、何もできないダメな人間が出来上がる。それが優しい虐待だ。だが、あの子はそれを良しとしなかった。信頼している兄と、対等になりたかった。君はいつまでも、あの子を小さな弟だと思っているのかもしれない。だけど、人は成長するんだ。あの子は自分の足で歩ける。もう、君が身を削って守る必要はない。あの子の隣で、見守るだけで充分なんだ」


 クロード先輩は、がくりとその場に膝をついた。「優しい、虐待……俺が……?」と、愕然とした様子で呟いて、涙目で院長先生を見上げた。


「俺、そんなつもりじゃ……」

「わかってる。大事なんだよな。だけど愛情って言うのは、世話を焼くことじゃない。あの子を信じて、じれったいのを耐えて、見守ることだって愛情なんだ。それでも、あの子がどうしてもだめだって言ってきた時に頼れる、最後の砦。それが君に与えられた、本来の兄という役割だ」 

「俺、ノアを守らなきゃって、ずっと……」

「君も、その強迫観念に縛りつけられているだけだ。弟の為なら他人を傷つけてもいいなんて、そんな理屈がどこにある?」

「俺は……」


 呆然自失とした様子のクロード先輩は、そのままぼんやりと地面を見つめていた。


 僕がようやくノアを見つけたのは、中庭のベンチだった。ノアはベンチに腰かけて、グスグスと泣きながら、流れる涙を迷彩柄の服の袖で拭っていた。僕はその隣に静かに腰かけて、ノアの肩を抱いた。


「うっうっ……。兄ちゃんだけは、他の人と違うって、信じてたのに。結局兄ちゃんも、同じだったんだ……なんで、なんでなんだよ」

「クロード先輩は、怖かったんじゃないかな。ノアが、自分から離れていくみたいな気がして。ノアに、自分に守られるか弱い子供のままで、いて欲しかったのかもしれない」

「そんなの、勝手だよ……」

「本当、勝手だよね。ノアも先輩も、成長していくのに」


 泣いているノアをどう慰めればいいのか、僕にはわからなかった。だけど、ノアが泣き止んで落ち着くまで、僕はノアの傍でずっと肩を抱いて寄り添っていた。



 スポーツ大会から数日して、クロード先輩は学校をやめた。事件のことはそのまま終息を迎えた。

 理事長室に呼ばれたノアの両親は、神妙な様子で語った。


「クロードは、品行方正で、頭のいい子で。昔から優等生で、親族からの評判もいい子でした。「品行方正な優等生」そういうレッテルを張ってしまったのは、私達です。そしてクロードは、その期待に応えようと努力した。私たちが期待を押し付けすぎたんです。良い学生でいるように、良い人間であるように、良い兄であるように。私たちの期待が、そのままあの子を強迫するファクターになった。そして、あの子は破綻した。私は医師であるにもかかわらず、人を傷つけてはいけないという、大切なことを教えてあげられなかった。父親失格です」

「クロードくんは、どうしていますか?」

「精神科に通わせることにしました。強迫性神経障害と診断されました。カウンセリングをしながら、家族であの子らしさを取り戻す手伝いをしていこうと思っています」

「そうですか」

「理事長先生」

「はい」


 ノアのパパは、院長先生に深く頭を下げた。


「事件のことを公にしないでいてくださって、温情に感謝します。クロードが自主退学したのは残念なことですが、あの子はノアに依存している。少し離れる時間が必要です。この学院と学生さん達に迷惑をかけてしまったことを、深く謝罪します」


 院長先生はその謝意を受け取って、いつも通りに微笑んだ。


「大事には至りませんでしたので。予定通り、診断書を作っていただければ結構です」


 本当ならニュースになってもおかしくない事件だけど、院長先生はノアのパパに偽の診断書を書かせることで、事件をもみ消してしまった。異物混入事件だというのが学院内では知れ渡っていたので、食堂の食洗器が壊れて、食器の洗浄ができていなかった、ということになった。なので、特に壊れてもいない食洗器がリニューアルされて、その分の費用はノアのパパが支払ったみたい。    


 サッカー部の方は、もう一度技術テストをしたみたいだけど、結局ノアが選出された。元々ノアが低学年の中ではレベルが高いというのはチームのみんなは知っていたし、その結果を見た人たちも、ノアが嫌がらせする必要はそもそもなかったと理解してくれた。

 最終的には、ノアを犯人に仕立て上げたい奴が空回りしただけ、ということに落ち着いた。ていうか、そういう噂を流したのは僕らだけどね。



 やっと事件が落ち着いて、ノアは晴れ晴れとした顔で、森の前に立っていた。あの後、スポーツ大会ではサバゲ―のチームは3回戦で負けちゃったんだけど、ノアは一生懸命頑張っていた。


「兄ちゃんがさ、ごめんねって。俺の事信じられるように、自分も強くなるからって言ってくれた」

「そっか」


 僕も隣に立って、ノアの声と森のさえずりに耳を傾ける。新緑の香りが僕の鼻腔をくすぐって、サワサワとさざめく木々の葉が、僕の耳を撫でる。


「兄ちゃんがいないの、寂しいけど」

「僕らがいるよ」

「うん」


 僕達は、兄弟や家族じゃなくて、友達だから。対等な関係で、お互いを必要とする。並んで一緒に歩いていく、なりたい自分を目指して。

 森のざわめきと小鳥の声が、僕らを応援してくれるように、僕の耳に響いた。


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