3-1 入学式
「ラングリッジ貿易は、今期決算報告でマイナス4億ドルの赤字とみられ――」
今日も朝食を摂って、院長先生とニュースを見て、一日の予定を確認して。いつもと同じような朝だけど、僕らは浮かれていた。新しい教科書。増えた教科。クラス分け。
今日から新学期。僕は2年生になった。魔法使いの家からは、ユージェニーが新入生として入学してくる。
ユージェニーは新品のボルドーのセーラーワンピに袖を通して、ピカピカの鞄を持って、僕らの前でクルリと回ってみせる。
「えへへ」
「ユージェニーおめでとう」
「ありがと!」
嬉しくて堪らない様子のユージェニーも新たに加わって、僕らを乗せたバスは学校に到着した。
初々しい新入生を迎えた入学式の後は、入学パーティが開かれる。綺麗な庭園が広がる中庭に集まって、吹奏楽部のオーケストラが華やぎを与え、ダンス部が場を盛り上げ、チアリーディング部が会場を沸かせる。
卒業パーティでは卒業生が主役だったけど、今日は新入生が主役。ついでに部活やサークルが勧誘をする場でもある。各部活のアピール合戦が見世物として催される。僕はユージェニーの姿を探して、彼女を見つけた。
「ユージェニー」
「あ、ジョニー!」
「なにか気になる部活はあった?」
僕が尋ねると、ユージェニーは暗い顔をする。
「運動部がいいけど、運動部のユニフォームは、長そでじゃないから」
ユージェニーは普段、肌を露出する格好を嫌う。ユージェニーは保護された子どもで、親が逮捕されて保護されるまで、虐待されて生活していた。だから、ユージェニーの体は傷だらけで、腕にも煙草を押し付けられたような火傷の跡が、いくつも残っている。
僕は努めて明るく尋ね返す。
「そっか、じゃぁ文化部?」
「演劇部って楽しそうだなって。アビーもいるし」
「そっか」
僕らの学芸会は中断されて終わってしまったんだけど、それでもどの学年の演劇よりもクオリティが高かった。当然元女優のアビゲイルは、入学時から演劇部に勧誘されていたんだけど断っていた。でも、俳優じゃなく演出家としてなら、ということで渋々入部したんだ。アビゲイルがいるなら、部活でも活動しやすいし、いいかもしれないね。
そう思っていると、ユージェニーに尋ねられた。
「そういえば、ジョニーは部活に入らないの?」
「うん」
「どうして?」
「面倒くさいから」
「なにそれぇ」
愉快そうに笑うユージェニーには悪いけど、面倒くさいっていうのは嘘だ。興味がないわけじゃない。だけど僕は、部活に割く時間を勉強に当てたかったんだ。
僕が魔法使いの家に引き取られて、この学校に入学したばかりの頃。ある先生が言った。
「犯罪者の子どもなど、ろくなものにならない。こんな子を入学させるなんて、学校の名に傷がつく」
僕が子どもだから、わからないとでも思ったのかもしれない。だけど、それを聞いたときに思ったんだ。絶対に僕は立派な大人になって、見返してやるんだって。
その後その先生はいつの間にか居なくなってたけど、僕は勉強だけはずっと頑張ってる。そんなの人に言うことでもないし、適当に部活は面倒くさいって言って誤魔化している。
去年の学年順位は、60人中8位。いい感じ。普通コースだけど、いつか一番を取って、それを維持し続けるのが僕の目標だ。
「吹奏楽部もいいな。楽器弾けるようになりたい」
「いいんじゃない」
「でも、楽器って高そう。院長先生に怒られるかな」
「そんなことで院長先生は怒らないよ。それに、ユージェニーはお小遣い貯めてないの?」
「あ、そっか。買えるかも」
「買う時に院長先生に相談してみなよ。買い物に連れて行ってくれると思うし、足りなかった時も、どうしたらいいか教えてくれるよ」
「連れてってくれるかな。嫌な顔したりしない?」
「院長先生はそんなことしないよ。大丈夫だよ」
「うん」
ユージェニーは、大人からの愛情を欲してもいるけれど、大人に頼るということを恐れてもいる。今まで甘えたり頼ったり、何かしてしまったときは、いつも怒られたり酷い目に遭ってきたから。
魔法使いの家では大丈夫って、頭ではわかっているんだろうけど、中々刷り込まれた習慣は抜ける物じゃない。
いつかユージェニーが、人の好意を真っ直ぐ受け取れるようになるといいな。そうしたら、ユージェニーも周りの人も、みんな嬉しい。
ユージェニー、君は気づいていないかもしれないけれど、僕らは同じ孤独を共有している。僕らは同類だから、特別に優しくなれる。
院長先生が僕らに優しいのも、僕らと同じだからなんじゃないかって、僕は思うんだ。普通の人が当たり前に与えられるはずのものを、当たり前には与えられなかった。だから僕らは、それを自力で獲得していくか、克服していくしかない。
以前院長先生に聞いたことがある。どうしてそんなに立派な大人になったのか。院長先生はこう言った。
「今も大して変わってねぇけど、俺はずっと保身第一で生きてきた。若い頃は特に。自分の命と仲間の命を守るのが、俺にとっての命題だった。目標を持て。生きるためには、目標が必要だ」
院長先生は、自分と、大切な人を守るために、強くあろうと頑張ってきた。院長先生は守られるべき子どもを脱却して、守る側に回ったから、誰かを大切に思う気持ちを手に入れたんだ。
愛されることも大切だけど、愛することの大切さを知った。だから、院長先生は強くて優しい。僕も、院長先生みたいになりたい。
勉強を頑張って、立派な大人になって、ユージェニーやマチルダや、パパやママ。大切な人を守れるような僕になりたい。僕の目標は、もうとっくに決まっているんだ。
僕は院長先生みたいな大人になりたい。
パーティ会場になっている、にぎやかな中庭。僕はそっとユージェニーの手を握った。
「学校は楽しいよ。勉強も出来る様になれば楽しい。友達と食べるご飯は凄く美味しいんだ。ユージェニーにも、楽しい学校生活が送れるよ。寂しい時は、僕達がいるしね」
「うん。私もワクワクしてる。楽しみ」
握り返してきたユージェニーと手を繋いで、大切な人たちと、大切な時間を過ごしていけるように。手のひらから、僕達の親愛の気持ちがユージェニーに届くように。賑やかな中庭の中で、僕に何ができるのかを考えた。




