2-31 鼠色の部屋と2匹の猫
卒業式の翌日、院長先生はロドリゲスさんの運転する車で出かけていった。何故か僕の頭を撫でて行ったので、少し気にかかったけど、すぐに忘れてしまった。
院長先生がしみったれた鼠色の建物に到着して、しみったれた鼠色のドアを開ける。椅子が一つ用意してあって、そこに腰かけて待っていると、反対側のドアから二人の男が現れた。
防弾ガラス越しに座った、茶髪に茶色の目をした、オレンジ色の服を着たその男は、院長先生に「やぁ」と明るく挨拶をする。
「真面目にやってるか?」
「ああ、一応これでも模範囚さ」
軽口交じりの挨拶を交わすと、院長先生は持っていたカバンから、一冊の厚い本を取り出して、ガラス越しそれを開いた。
それは、僕の様子や写真が記録された、一年分のアルバム。ガラスの向こうの囚人、僕のパパは、目を細めてアルバムに見入る。
「ジョニーの背は伸びたか?」
「この1年で5センチ伸びた」
「そうか。12歳になったら、もう高い高いなんて出来ないんだろうな」
「やろうと思えばできる」
「俺の腰が悲鳴を上げるよ」
院長先生がアルバムをめくり、パパは時々笑いながらそれを眺める。面会時間は制限があるから、残りはゆっくり見てくれと、院長先生は待機していた看守にアルバムを預けた。パパは少し名残惜しそうにアルバムを見送った、院長先生に向いた。
「ジョニーももう、2年生になるんだな」
「ああ。成績も悪くないし、友達も多いぞ。ちょっと問題児だけどな」
「あはは、俺の遺伝かな。申し訳ない」
「いいさ。ところでロバート」
「なんだ?」
真面目な顔をした院長先生に、パパもわずかに笑顔を引っ込めた。
「お前、ジョニーの力の事を知っていたか?」
その質問を受けた瞬間、パパは椅子を倒して立ち上がり、防弾ガラスにバンと手を着いた。
「ジョニーをどうする気だ!」
「その様子だと、知ってたんだな」
興奮するパパを看守が押さえつけるけれど、パパは院長先生を睨んでガラスに張り付いている。院長先生は少しいたずらっぽく笑って、ガラスに着かれたパパの手に、こぶしを当てた。
院長先生の手がガラスを透過し、自分の手に触れたことに驚いて、パパは咄嗟に手を引っ込める。驚愕の眼差しを向けるパパに、院長先生はニヤリと笑って座りなおして、パパも脱力して椅子に腰かけた。
「……驚いた」
「心配するな。俺も、俺の養子も同類だ。どうこうする気はないし、むしろ全力で守ってやる。今までもそうして来たしな」
「そうか、そうか。あーっ、よかった……」
パパは一気に脱力して、大きく息を吐いて院長先生に向き直った。
「取り乱して悪かったよ」
「構わない。無理もない」
「アンタも同類ってことは、ジョニーの力に相当苦労してるだろ」
「お察しの通りだ」
「俺らも苦労したぜ。ジョニーが赤ん坊の頃なんか、泣くたびに発動してたからな。俺もエリスも、暴走してクタクタだった……」
「ロバートも、妻もか?」
「そーだよ。俺とエリスはそれがきっかけで出会って、ジョニーに遺伝したわけだ」
「なるほどな。スペックは?」
「俺はシュレーディンガーの猫。ジョニーのせいで、時々俺はこの世から消えてたぜ」
「ははは! それは大変だ。帰ってこれて良かったな」
「冗談抜きで大変だったんだ。麻薬に依存したくもなるぜ? アンタは?」
「俺はコピーキャット。ちなみにジョニーのもコピーした。発動してやろうか?」
「頼むからやめてくれ。脱獄したと思われるだろ。猫同士仲良くしようぜ?」
軽口を叩いて笑っていたけれど、院長先生は少し考え込んで、パパに言った。
「妻のエリスも同類だと言ったな。だとしたら、”男を作って逃げた”というのは、誤った情報かもしれない」
「俺もそれは考えてたんだ。そもそも俺達が、あんなハーレムの隅っこで生活していたのは、人目に付きたくないからだ。エリスがジョニーを置いて逃げるなんて、俺には考えられない。逮捕された俺に愛想を尽かしたってんなら、俺が捨てられるのは理解できる。でも、仮に俺を捨てても、ジョニーを捨てるなんて変だ」
「……そうか、何か事情があるんだろう。調べてみる」
「何から何まで済まない。頼む」
「ああ」
時間になって、看守が声をかける。別れの挨拶を済ませて外に出て、そういえばママの能力を聞いていなかったと院長先生は思い出した。
(まぁいい。また聞きにくれば済むことだ。しかし……)
僕の両親が、両親とも超能力者というのは想定外だった。パパもママも超能力者だったということで、僕のママが居なくなったのが、ただの愛の逃避行ではない可能性が浮上してきた。
(厄介なことになってないといいが……)
ロドリゲスさんの待つメルセデスに乗り込む。不穏な思考に囚われながらも、現状を打開するために、院長先生は電話をかけ始めた。
「ジェズアルドくんじゃないか、どうしたんだね」
「長官、お久しぶりです。実はお願いが」
「ん、なんだね? 今は特筆すべき事案はないから、戦争を起こせと言われても無理だぞ。金に困っているのかね?」
「違います。私を兵器扱いしないで下さいと、何度言えば」
「冗談じゃないか君ィ」
「……」
ペンタゴンの長官。悪い人ではないのだが、院長先生をイラつかせる天才だ。ちなみに院長先生や僕らの超能力のことも全部知ってる。
というのも、昔、超能力者の集団がいると聞いて、国防総省で警戒して監視していたら、逆に見つかってしまい、院長先生に「子どもを危険にさらすとは何事だ」と説教されたらしい。
その後、相変わらず監視下に置かれることは変わらないんだけど、戦争やテロなどのいざという時は、院長先生は政府に力を貸しているらしい。超高額報酬で闘う人間兵器として。
ジェズアルド一族とは協力こそすれ、敵対してはならないというのは、それ以来大統領とペンタゴン長官に、ひそかに語り継がれている密約。
実は院長先生は元軍人じゃなくて、「ジェズアルド特尉」っていう特別階級の現役軍人で、それは政府のトップシークレット。だから院長先生は、政府の上層部には顔が利くってわけ。
もちろん、ジェズアルド一族の子ども達も、僕たちもそんなことは誰も知らない。院長先生が大量殺人者だなんて、僕たちには知らされない。知る必要もない。
気を取り直して、院長先生は話を続けた。
「調べていただきたいことがあるんです。我々超能力者を、粛清、あるいは利用しようとしている者……いえ、組織かもしれません」
「なにかあったのかね?」
「ええ、少々気になることが」
「いいだろう。追って連絡する」
「ありがとうございます」
通話を終えて溜息をつく院長先生に、ロドリゲスさんが声をかける。
「何かまた事件でも?」
「いや、そういうわけじゃねぇんだが……これからも、子ども達の送迎を頼む」
「わかりやした。カーチェイスなら任せてくだせぇよ。パリブレストで優勝したドライビングテクを、不埒な野郎どもに見せてやりまさぁ」
「はは、頼もしいな。出来るだけ安全運転でな」
談笑しながらも、不穏な思いがして院長先生は窓の外を眺める。ママが生きているのは知っている。どこにいるのかも知っている。本当に不倫をして逃げたのなら、院長先生がその事情に立ち入るべきじゃない。
だけどもし、そうじゃないのなら。
子ども達に危害を加える可能性のある人間は、これまでもこれからも。
絶滅させてやるだけだ。
登場人物紹介
ロバート・マクダレン
31歳。ジョニーの父。シュレーディンガーの猫。確率の世界を飛び回り、自分の存在の因果律を調整することができる。親子で暮らしていたころは、ジョニーのせいで度々存在を希釈しすぎて消えていた。
家族を愛してはいたが、普通にはない子育ての悩みを抱えていたため、麻薬常習者。あんまりにもお金がなかったので、オレオレ詐欺をやっていたら逮捕された。警察に容疑者と特定された時点で、逃げるのは諦めて大人しく捕まっている。脱獄しようと思えばいつでも出来るが、そうなるとジョニーやアンジェロに迷惑が掛かるので、大人しく模範囚として服役している。




