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魔法使いの子ども達  作者: 時任雪緒
2 私立ワシントンプレパラトリーアカデミー 初等部1年生
34/63

2-23 新生ドミニクさん


 日常に戻った僕たちは、いつも通りロドリゲスさんのバスで学校に向かう。校門を通って、玄関前のロータリーに停車して、僕たちがバスから降りる。すると、バスの後ろに黒塗りの高級車が停まって、その高級車からマチルダが降りてきた。車の中の運転手さんとSPさん、ソロモンさんに手を振ると、マチルダが僕たちの所に走ってきた。


「おはよ!」

「おはようマチルダ」


 ソロモンさんは転校もさせずにいてくれて、マチルダは変わらずこの学校に通い続けることができた。友達が沢山いるだろうし、いい学校だから転校させる必要はないって言ってくれたみたい。ソロモンさんちからは少し離れているんだけど、ソロモンさんが出勤する時に、一緒に学校に送ってくれている。

 マチルダと一緒に暮らせないのは少し寂しいけど、学校で毎日会えるから、そこは僕も嬉しい。


 マチルダと手を繋いでロッカーに向かっていると、廊下の端の方で、見覚えのある人を見かけた。一生懸命ダスターをかけているその人に、僕もマチルダも駆け寄った。


「おじちゃん、なんで学校にいるの?」

「怪我大丈夫ー?」


 ドミニクさんは少しビックリしたみたいだけど、ちょっと気まずそうな顔をしながら、「清掃員で雇ってもらった」と教えてくれた。


「怪我はまだちょっと痛いけど、大丈夫」

「そっか、早く治るといいね!」


 そんなやり取りをしていたら、マチルダが嬉しそうに笑って、ドミニクさんに手を差し出した。


「おじちゃんが裁判で話してくれたから、私にパパとママができたよ。ありがと!」


 笑顔で握手を求めるマチルダに、ドミニクさんは途端に顔をゆがませる。気のせいか、目が潤んでいた。


「どうしたの?」

「いや、なんでもない。おめでとう」

「うん! ありがとう!」


 ドミニクさんは手袋を外して、大きな手でマチルダの小さな手を包んで、マチルダは嬉しそうに握手した手をブンブンと振った。


「またねー」

「お仕事頑張ってねー」


 僕たちがドミニクさんに手を振ってロッカーに向かうのを、ドミニクさんは笑顔で手を振って見送ってくれた。

 マチルダからの「ありがとう」の余韻に浸っていたドミニクさんの背後に、そっとミカエラが忍び寄る。


「ドミニク」

「うわっ!」


 突然声をかけられて、ビックリしたドミニクさんは、危うくダスターを取り落としそうになった。そんな様子をみて、ミカエラは愉快そうにクスクス笑う。


「なんだよ……」

「ううん、おはよう」

「……おはよう」

「マチルダの言ったことは、本当の事よ。あなたのおかげ」


 どこか面映ゆそうな顔をして、ドミニクさんが呟くように言った。


「あの子に、礼を言われた」

「助けてくれた人にお礼を言うのは、当然の事よ。もしかして、慣れてない?」

「あんな風に誰かに「ありがとう」と言われるのは、初めてかもしれない」

「そう。どんな気分?」

「なんだか……嬉しい」


 ドミニクさんの言葉はほとんど強制自白なので、自分の言っていることに恥ずかしくなってきたらしく、床を見つめて話す。ミカエラはドミニクさんをからかったりはせず、ポンと彼の胸を叩いた。


「その気持ちを覚えていて。人を助けると自分も幸せになれるということも。あなたが生まれ変わるために、一番大切な気持ちだから」

「……わかった」


 ようやく顔をあげたドミニクさんに、ミカエラがにっこりと笑った。そして思いついたような顔をした。


「そういえば、ギャンブルはやめられそう?」

「どうだろう。やめる気がないわけじゃないけど、難しい気がする」

「依存から脱却するのは、すごく大変だものね。本当なら病院でカウンセリングを受けなきゃいけないし、それでも治るかどうかは賭けだっていうし」

「そんなに、難しいものなのか。じゃぁ俺にはやっぱり……」


 生まれ変わるなんて、無理なのだろうか。ドミニクさんがそう考えた時、ミカエラがドミニクさんの手を取った。


「じゃぁ、私がちょっとお手伝いしてあげる。あなたに”おまじない”をかけてあげるわ」

「おまじない?」


 ミカエラがドミニクさんの手を両手で包んで、真っ直ぐ彼の目を見つめた。


「あなたはもう、収入の10%未満でしかギャンブルができない」

「……随分具体的なおまじないだな。それだと結局ギャンブルはやめられないじゃないか」

「収入の10%以下なら破産することはないだろうし、楽しみが全くないのも退屈じゃない? ちょっとくらいなら、誰でもやってるわよ。別にギャンブル自体は犯罪じゃないのだし」

「それはそうだけど……ははは」


 完全に辞めなきゃいけないと思っていたのに、ミカエラがこんな提案をしてくるものだから、ドミニクさんは可笑しくなってしまって、つい笑ってしまった。笑うと顔の怪我が少し痛んだけど、なんだかいい気分だった。


「とりあえずドミニクは、収入の10%をギャンブルに消費できるように、お仕事を頑張らなきゃね」

「そうだな、借金もあるし……」

「頑張って」


 笑顔で立ち去ろうとするミカエラの後姿に、慌ててドミニクさんは声をかけた。彼の声に振り返ったミカエラに、ドミニクさんは少し言いにくそうにしたけど、ぎゅっとダスターを握る手に力を込めた。


「俺、ちゃんと頑張るよ。君と出会えてよかった。ミカエラ、ありがとう」


 ドミニクさんの本心から出た、心のこもった言葉に、ミカエラは嬉しそうに笑って、そして少しいたずらっぽく言った。


「どういたしまして。お給料が出たら、私をデートに誘ってね」

「でっ!?」


 ドミニクさんは絶句してしまったけど、ミカエラはさっさと踵を返して、ルンルンと別館の方に歩いて行った。その後ろ姿を見送って、ふぅと息を吐く。


 笑顔でおはようとか、ありがとうとか言われるのも慣れていなくて、自分の半分の年齢の少女にからかわれるのも初体験だ。なんだか面映ゆくて、こそばゆくて、嬉しかった。ミカエラに言ったとおり、ちゃんと仕事を頑張ろう。

 気合を入れたドミニクさんはダスターを握りなおして、せっせと仕事に勤しんだ。 



 お昼休みが終わって五時間目、僕たちはお金の授業で、ゴールディ先生の教室に来ていた。いつものように窓際の席に座ったら、窓の外に人の頭が見えた。何だろうと思って覗いたら、頭の主も僕を見上げた。


「ジョニーつったっけ」

「うん、ドミニクさん、こんなところで何してるの?」

「休憩入れって言われたんだけど、職長にここで休憩しろって言われたんだよ」

「なんでこんなところで?」

「さぁ? 今から授業か?」

「うん」

「何の授業だ?」

「あのね」


 僕が答えようとした瞬間、始業のベルが鳴った。僕はドミニクさんに「あとでね」と声をかけて、前を向いて授業を受け始めた。


 エンゲル係数というのは、家計における食費の割合を示すもの。貧困地域では食事にかかる費用が最も大きいため、エンゲル係数が高くなる。エンゲル係数が高くなればなるほど、その家庭は貧困であるとする指標の一つ。


 授業の内容をノートにメモしていると、窓の外から「ジョニー!」と小声で声がかかった。僕は先生をちょっと気にしながら、こっそり返事を返した。


「ドミニクさん、僕今授業中だよ」

「わかってるけど! これ何の授業だよ!」

「え? お金だけど。今日は家庭における支出の理想的な分布について」

「うそだろ、1年生だろ?」

「うそじゃないよ。こういうの知っておかないと、将来自分が困るじゃん」

「あ、なるほど、そういうことかぁ……」


 職長がここで休憩しろと言った意味を理解したらしいドミニクさんは、窓の外から僕に向かって手を出した。


「ジョニー頼む、ペンとノート、切れ端でいいから貸してくれ」

「え? いいけど」


 僕はノートを数ページ切り取って、予備のボールペンを窓から生えている手の上に載せた。すぐにその手は引っ込んで、ドミニクさんは時々窓から顔をのぞかせながら、せっせと授業のメモを取っているようだった。


 授業が終わった後ペンが帰ってきたけど、それからはドミニクさんはペンとメモを持ち歩いているようで、お金の授業の時に、窓の外で一生懸命メモを取るドミニクさんを見かけるようになった。

 ドミニクさんが勉強しているのを見て、大人でもこんなに一生懸命勉強するんだと、僕は感心した。

 ドミニクさんを見ていて僕もやる気が出たので、窓の外から聞こえるボールペンが走る音を競わせるように、僕もガリガリとペンを走らせた。



登場人物紹介



ドミニク・ワトソン


 28歳。以前は普通のサラリーマンとして働いていたが、ギャンブルに依存するようになってしまい、会社を休みがちになり解雇。ちまちまと借金をし、ちまちまとギャンブルで生計を立てていた。

 偶然知り合ったブランドンがその後よく絡んでくるようになり、ブランドンが粗暴な男だったので、当たり障りなく接してきた。時々ブランドンからもカツアゲされるので、生活は中々ジリ貧だった。

 このままではいけないと頭ではわかっていても、ギャンブルからも、ブランドンからも、貧しくも自由な生活からも脱却できずに、悶々とした日常を送っていたところで、ミカエラと出会った。

 裁判で証言台に立つという大仕事を終え、人生をやり直そうと決意を固めた。ちょいちょいミカエラがからかってくるので困っているのだが、借金を全部返済して、ミカエラがもう少し成長したら、デートに誘ってみようと考えたり考えなかったり。


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