2-21 親権争奪戦 6
裁判所から出たブランドンは、「クソッ」と悪態をついていた。なだめる弁護士さんを無視して歩いていると、前方に見覚えのある後姿が映った。それがドミニクさんだと確認すると走り出して、その足音に振り向いたドミニクさんを殴り飛ばした。そして馬乗りになり、なおも執拗にドミニクさんを殴り続けた。
「ふざけんじゃねぇぞ! てめぇが余計な事言ったせいだ! 一体どういうつもりだ! 今まで可愛がってやったのに、恩を仇で返すとは、ふてぇ野郎だ!」
オロオロしながら弁護士さんが止めに入ると、殴るのはやめたものの、今度は弁護士さんに食って掛かった。
「アンタもだよ! アンタ勝てるって言ったよな! 普通は負けねぇって言ったよな! なのにこれはどういうことだよ! 俺はな、あの金がなきゃマジでやべぇんだよ! あいつらに一括で返済できるって言っちまったんだよ! 返済できなきゃ、俺は終わりなんだぞ!」
「私だって努力している! 相手の弁護士団の調査能力が想定外だったんだ。そもそも、君が夜逃げなどしなければ、こんなことにはなっていなかったんだ!」
「俺のせいだって言いてぇのかよ! アンタ弁護士だろ! 勝たせるのが仕事なんじゃねぇのか! 何とかしろよ!」
「勝ちたいのなら、今日のように裁判で癇癪を起すような真似をするな! 心証が悪くなるだろう!」
「……っ、わかったよ。クソッ」
悔し紛れにブランドンは、うずくまるドミニクさんにもう一発蹴りを入れて、唾を吐きかけた。
「裁判が終わったら、てめぇ覚えとけよ」
立ち去る乱暴な足音を聞きながら、なんとか痛みをこらえて起き上がろうとしたドミニクさんに影が差した。顔をあげて見ると、そこには見覚えのある少女が、「大丈夫?」とハンカチを差し出していた。
ドミニクさんはその手を振り払って、少女に怒鳴りつけた。
「お前のせいだ! お前は一体俺になにをしたんだ! お前のせいで、俺はあいつに殺されるかもしれないんだぞ!」
振り払われたハンカチを拾った少女、ミカエラは、そっとドミニクさんの口元についた血を拭った。
「ねぇ、ドミニク。あなたがあの人と友人であることに、メリットがあるように思えないの。こんなに酷い扱いを受けて、あなたの尊厳は踏みにじられている。あなた本当は、あの人のこと嫌いなんじゃないの?」
「嫌いだ」
その言葉は、ドミニクさんは意図せず出した言葉だった。だけどこの数日で彼もわかっていた。ミカエラと出会ってから、自分が本当のことしか話せなくなっていることを。今出た言葉が、ミカエラの質問に対する、自分の本心だということを理解してしまった。
「あいつとは長い付き合いだけど、俺達みたいなロクデナシは、友達を選べない。俺はただ、あいつの暴力から逃げるために、あいつの機嫌を伺っていた、ただそれだけ……そうか、俺、そうだったのか」
自分の本心を理解したドミニクさんの手を取って、ミカエラが微笑んだ。
「ドミニク、そんな酷い人、もう見限ってもいいんじゃないの? 今度の審理で、もう一度証人として出廷して。そうすれば、あなたは生まれ変われる」
「そんなことをしたら、俺はあの町にはいられない。職もないし、居場所がなくなる」
ドミニクさんにとっては、真剣な課題だ。それを見てミカエラは、勇気づける様にいう。
「あの町も何もかも、捨ててしまいなさいよ。新しいあなたには、新しい街が似合う。新しいあなたに生まれ変わるの。ちょうどウチの学校の清掃員が、一人辞めてしまったらしいの。どう?」
第3回審理 結審
テーマは前回と同じテーマ。今回も引き続き、証言台にドミニクさんが立った。だけど、顔中赤く晴れ上がり左目の潰れた彼の顔を見て、裁判所内は騒然としたし、さすがに裁判長もドミニクさんに尋ねた。
「ドミニク・ワトソンかね?」
「はい」
「その顔は一体どうしたんだね?」
「俺のせいで状況が不利になったと、ブランドンに暴行を受けました」
さらに騒然として、裁判長も虚を突かれていたけれど、ハッとして静粛を促した。そして少し心配そうにドミニクさんに尋ねた。
「大丈夫なのかね? 病院には?」
「行きました。診断書ももらっていますし、大丈夫です」
「そうか、では始めても問題はないかね?」
「はい」
「では、審理を始めることとする」
開廷し、早速顧問弁護士さんが、ドミニクさんを労うことから始めた。
「大変な目に遭いましたね。お見舞い申し上げます」
「最初はこの裁判に出たせいだと思って、ミカエラを恨みました。でも、もういいんです。悪いのはブランドンでミカエラじゃないし、俺は、この裁判で生まれ変わるって決めたから」
「そうですか。では質問を開始しましょう。あなたは原告の友人ですね?」
「違います、過去形です」
「失礼しました。数年来の友人でしたね?」
「はい」
「彼の人間性についてお伺いします。彼はあなたの目から見て、養育者として適切ですか?」
顧問弁護士さんの質問に、ドミニクさんは真っ直ぐと前を見て答えた。
「いいえ、全くもって不適切です。ブランドンみたいな奴が子育てなんてできるはずがありません。そんなことになったら、あの姪っ子が可哀想だ。ぼろ雑巾みたいになるまで利用されて、あいつのような人間の屑に育つのが関の山だ」
友人であったはずのドミニクさんの証言に、陪審員達が顔を見合わせる。顧問弁護士さんが続けた。
「なぜそう思われますか?」
「ブランドンは、少しでも気に入らないことがあると、すぐに暴力を振るいます。俺の顔を見れば、それはわかるでしょう。子どもなんて引き取ったら、虐待されるに決まっています。それに、俺も人のことを言えた義理じゃないけど、ブランドンはギャンブル依存で、あちこちで借金をしては踏み倒しています。今回の裁判だって、ランクル商会の奴らに、返済できなきゃ漁船送りって脅されて、姪っ子が金持ちに引き取られたもんだから、金目当てで思いついただけです。仲間にも平気で嘘をつくし騙すし、あの金持ちの「誠実な人柄」って奴に比べたら、雲泥の差です」
「原告側は民法に則った親権を主張していますが、そのことについてはどう思いますか?」
「俺は法律なんてよくわかりませんが、日頃から違法行為をしているブランドンが、法律に助けられるなんて、俺には納得できません」
「そこまで仰るのに、あなたは原告と長年友人として関係してきましたね。それには理由があると思います。その理由を教えていただけますか?」
すでに怒りが限界突破寸前、と言った表情のブランドンを、ドミニクはチラリとも見ないで、やはり真っ直ぐに前を向いて答えた。
「俺も、ブランドンも、人間の屑です。他人から金を巻き上げて、他人を騙して、自分さえよければいいと思って生きてきた、どうしようもない人間です。友人なんて綺麗な関係じゃありません。互いに利用しあっていただけです。俺達みたいな人間の屑に、友情なんて綺麗な感情は、そもそも持ち合わせちゃいないんです。心の中では互いに、バカだクズだと罵り合って、見下している。だからブランドンは俺や仲間にも平気で暴力をふるうし、俺だって簡単に裏切る。俺達みたいな人間を、普通のマトモな人は避けて相手にしない。だから俺たちは、似たような人間とつるむんです。言い方を変えれば、俺達は付き合う人間を選べない。力のあるやつ、幅を利かせてる奴、そういう奴に守ってもらうのが一番賢い。だからブランドンとつるんでいました。それだけです」
ドミニクさんが言い終わるか終わらないか、そのタイミングでガターンと椅子が倒れる激しい音が響いた。真っ赤な顔をしたブランドンが、証言台のドミニクさんの前までやってきた。裁判長が静止の声を上げるけれど、そんなことは無視してドミニクさんの胸倉を掴んだ。
「てめぇ、わかってんだろうな。顔が潰れるだけじゃ済まさねぇぞ。覚えてろって言ったのを、もう忘れやがったのか?」
今にも殴りかかりそうなブランドンの剣幕に、裁判長がガンガン木槌を打ち鳴らすけれど、ブランドンは止まらない。さすがに全員が狼狽えてしまって、裁判所の警備を呼ばれた時だった。
ブランドンの弁護士さんが、ブランドンの腕を掴んだ。
「あなたの今の発言は、恫喝に値します。心証を悪くするだけですから、どうか着席してください」
「放せ、ぐっ……」
「着席してください」
弁護士さんはギリリとブランドンの腕を締め上げる。その剛腕にブランドンは汗を垂らして、腕を振り払った。そしてドミニクさんに舌打ちすると、弁護士さんと共に原告席へ戻った。
ブランドンの弁護士さんが場を収めたことに、僕は少なからず驚いて、隣の院長先生にコッソリ耳打ちした。
「びっくりした。あっちの弁護士さん、ブランドンより強いんだ」
「そりゃそーだろ」
院長先生の回答に、僕は二重に驚いて院長先生を見たけど、場が収まったので審理が再開して、院長先生に促されて渋々黙った。
院長先生の反応が気になったけど、僕の気持なんかお構いなしに審理は進む。顧問弁護士さんが、ドミニクに改めて質問をした。
「原告が金銭目的で、マチルダ・ノアチャイルドの親権を主張していると、あなたは証言しました。その根拠はなんでしょう?」
「単純に、経済的に困窮しているからです。それにブランドンは、兄貴が死んだことも、姪っ子が孤児になったことも、以前から知っていました。ニュースか何かで見たんだと思います」
「ジーン・リンゼイの死を、原告が知っていた?」
「はい。いつの事か正確にはわかりませんが、俺がその話を聞いたのは1年以上前です」
「知っていたにもかかわらず、マチルダ・ノアチャイルドを引き取るどころか、面会もしなかった?」
「ブランドンがそんな殊勝な真似をするはずがありません」
「ではなぜ親権を主張するのでしょう?」
「ブランドンは俺を殴った後、弁護士の先生にも文句を言っていました。その時に言っていたんです。「俺はな、あの金がなきゃマジでやべぇんだよ! あいつらに一括で返済できるって言っちまったんだよ! 返済できなきゃ、俺は終わりなんだぞ!」と。金目当て以外の何物でもありません」
ブランドンの言葉を、一字一句たがわず準えたドミニクさんに、顧問弁護士さんは満足そうに笑って、裁判長を見た。
「以上です」
反対尋問は、原告が興奮しているからという理由で、弁護士さんが辞退した。
そして、次の証人として僕が呼ばれた。
僕は緊張して、手のひらが汗でビッショリになっていたけれど、マチルダの為に頑張るんだと思って、証言台の前に置かれた踏み台の上に立って、真っ直ぐ前を向いた。
僕の前にリリエンタールさんがやってきて、僕に質問を開始した。
「証人、姓名を」
「ジョニー・マクダレンです。私立ワシントンプレパラトリーアカデミー普通科、1年生です。去年から魔法使いの家で生活しています」
「マチルダ・ノアチャイルドの同級生だね」
「マチルダとは同級生で同じクラスで、同じ孤児院で過ごしています。僕が魔法使いの家で最初にできた友達、僕の親友です」
「親友。彼女とは親しい?」
「はい、一番の友達ですから」
「では、彼女の気持ちもよく知っている?」
「僕が一番よく知っています」
「マチルダが被告と出会った頃、彼女の様子はどうだった?」
「一番最初のころは、ソロモンさんの馬に乗れるってはしゃいでいました。僕はそれを聞いて、いいなぁって思っていました」
「その後の様子は?」
「マチルダはソロモンさんの所に、頻繁にお泊りするようになりました。泊まりに行く日が多くなって、僕は少し寂しかったです。だから、僕も一緒にソロモンさんの所にお泊りさせてもらいました。僕がマチルダの友達だからって、ソロモンさんも、奥さんのティファニーさんも、すごく親切にしてくれました。それ以上に、ソロモンさんとティファニーさんは、マチルダのことをすごく可愛がっていて、マチルダは、すごく嬉しそうでした」
「どんな様子だった?」
「マチルダは甘えん坊の女の子になっていて、ずっとソロモンさんとティファニーさんにくっついてました。ティファニーさんが膝にマチルダを乗せて本を読んで、ソロモンさんがマチルダを抱っこして昼寝してて、マチルダはすごく安心しきった顔をしていました。マチルダのそんな顔を見るのは、僕は初めてでした」
「マチルダは何と言っていた?」
「パパとママがいなくなって、本当はすごく寂しかったって。お空の綺麗なところにいるパパとママが、自分からは見えないからって。本当はパパとママがずっと欲しくて、手をつないで、買い物に行って、背が伸びたことを気づいてほしくて。ずっとそう願っていた、その願いをソロモンさんが叶えてくれたんだって」
「君はどう思った?」
「最初は、マチルダが居なくなっちゃうと思って、僕はすごく寂しかったです。だけど、僕にはマチルダの気持ちが、切ないくらいにわかるんです。僕だって、もう一度パパとママに会って、「私の子」って言ってほしい。前みたいに、3人でベッドに寝転んで、パパのいびきがうるさいねって、ママと笑ったりしたい。僕だって、僕だって……」
言いながら涙が滲んできて、気分が昂って叫ぶように言った。
「僕だって、パパとママが欲しい! パパとママがいるってことが、どんなに素敵な事なのか、僕は知ってるんだ! だから、マチルダにパパとママができたことが、どんなに幸せな事なのか、僕にはわかるんだ! 大人にはわからないかもしれないけど、宝物みたいに大切なんだ! 可愛い子って言いながら頭を撫でてくれる人が、世界で一番大切なんだっ……だから、マチルダから、ソロモンさんを奪わないで……」
とうとう僕はボロボロと泣きながら答弁してしまって、グスグス言いながらスーツの袖で涙を拭っていたけれど、陪審員の人たちも目をウルウルさせて、僕を見つめていた。
僕があんまりにも泣くので、リリエンタールさんを少し困らせてしまったみたいだけど、リリエンタールさんは僕の背中を撫でて、裁判長に振り向いた。
「マチルダ・ノアチャイルドの親友である彼も、両親と会うことは叶いません。そんな彼だからこそわかるのです。マチルダ・ノアチャイルドにとって、被告がどれほど大切な人なのか。幼い彼が勇気をもって証言台に立ち、親友のために証言しようとした、その勇気を称えていただきたい。彼はただひたむきに、純粋にマチルダ・ノアチャイルドの幸福を願っているからこそ、被告に父親でいて欲しいのです」
陪審員達は涙を流して、目頭をハンカチで押さえていた。
そして、最終弁論にマチルダが立った。マチルダも緊張した面持ちだったけれど、ソロモンさんに思ったことを言えばいいと背中を押されて、真っ直ぐに前を見た。
「パパとママが4歳の時に死んで、5歳の時に魔法使いの家に引き取られたの。魔法使いの家での生活は楽しかったし、友達も沢山できたし、ジョニーがいてくれたから、辛くはなかった。でもね、街を歩くと、パパとママの間に挟まれた子が、すごく幸せそうにしているのを見かけるの。学校の友達は、誕生日をパパとママに祝ってもらえるの。また重くなったって笑いながら、抱っこしてもらえるの。そういうのを見てると、すごく寂しくなる。どうして私には、パパとママがいないんだろうって」
「叔父さんがいるって知った時、嬉しかった。でも、どうして叔父さんは私に会いに来てくれなかったの? そう思ったら、すごく悲しくなったの。色んな理由があったのかもしれないけど、そんなの私にはわからない。会いに来てくれていたら、私、きっと寂しくなかった」
「ジョニーが、私が居なくなるってすごく落ち込んでたから、パパとママのことを話したの。そして、背が伸びたって気づいてほしいとか、手を繋ぎたいとか、そういう願いを全部ソロモンさんが叶えてくれたって、ジョニーに話したの。そうしたら、ジョニーは自分の事みたいに喜んでくれた」
マチルダは、真っ黒いキラキラした瞳で、真っ直ぐに正面の裁判長を見た。
「あのね、私ね、今すごく幸せなの。ソロモンさんもティファニーさんも、私のことを本当に可愛がってくれるの。パパとママが生きていた時みたいで、すごく嬉しいの。ジョニーみたいに祝福してくれる友達もいるし、私は今すごく幸せなの。ちっとも寂しくないの。ジョニーが言ってくれたの、きっとパパとママがソロモンさんと引き合わせてくれたんだって。パパとママも、きっと私の幸せを願ってるって。だから私は、幸せな私でいたいの」
「私が幸せでいることで、喜んでくれる人がいるから、私はソロモンさんとティファニーさんの子どもになりたい。ソロモンさんとティファニーさんを、パパとママって呼びたい。お願いだから、私にパパとママをください」
マチルダの切実な訴えに、陪審員はもちろんのこと、とうとう裁判長まで、ハンカチで目頭を押さえた。
「主文。原告の訴えを棄却する」
裁判長の判決を聞いた瞬間、僕たちは全員立ち上がって「やったー!」「ぃよっしゃー!」と半狂乱になった。
全員でマチルダの所に行って、マチルダを祝福して、ついには胴上げを始めようとしたところで、裁判長に「裁判所では静かにするように」と怒られたけど、僕たちは泣きながら勝訴を祝った。
マチルダも泣きながら僕に抱き着いてきて、泣きながら笑っているマチルダを見ながら、これからマチルダは本当に幸せな子どもになれるんだと思って、僕はやっぱり泣き笑いしながら、マチルダを抱きしめ返した。




