3章ー1話「ピンクパンダ」
魔裟斗が優勝した日僕は格闘家になることを決意した夜になった。
ぼくはその日から魔裟斗について調べていた。
本屋に行けば格闘技の雑誌は殆ど魔裟斗が表紙になっておりこの時代すでにインターネットが普及していたので調べることに苦労は欠かなかった。
その結果魔裟斗は元々ボクサーを目指していたボクシングジムでトレーニングした後キックボクシングに転向したことが分かった。
僕はこの魔裟斗と同じ道を歩みたいと思ってボクシングジムの入門したいと両親に打ち明かした。お母さんは突然の事に戸惑っていた。
いつも部屋でゲームか漫画しか読まない僕に外で運動しておいでとか言うけどいきなりボクシングとなればそれは動揺を誘うに十分な内容だった。お父さんは格闘技好きなので大いに賛成してくれた。
早速インターネットで近所のボクシングジムを検索してくれた。しかし小学生の僕が通える範囲ではジムは見つからなかった。なんとかならないのかとお父さんにすがったがこればかりは・・・という感じだった。
お父さんは
「K―1に出たいんだろう?だったらボクシングじゃなくて他の立ち技格闘技でも良いんじゃないか?空手とかキックとか。」
と言い出した。ぼくは魔裟斗と同じ道を歩みたい。
魔裟斗になりたい。
と思っていたので早くも行き止まりを感じたがこうなっては仕方ない。
他の格闘技のジムを近所で探してと頼んだ。
そのやりとりの中お母さんが口を挟んだ。
「私、格闘技は良く分からないけど・・・。空手の道場なら駅前に看板があったわよ。」
と聞き直ぐにお父さんと二人で外に出かけた。
お母さんの情報を頼りにまず看板を見つけることにした。家から10分しないうちに駅につき辺りを見渡した。
コンビニ一軒と居酒屋が立ち並ぶ駅前の中有料駐車場のところにその看板があった。かなり古ぼけて色がかすんでいて文字は読みにくかった。
「国際空手道進道館 駅から15分」
このとき僕はまだ全然格闘技のことを知らなかったのでこの空手がどんなものなのか知らなかった。お父さん曰く有名な流派だからちゃんとした空手が学べるはずだよ。
というのでこの看板の地図を頼りにまた道場探しを始めた。
途中なんどか迷いもしたが何か叩いたりする炸裂音が近くなってきたのでその音の方へと足を運んだ。僕が目の前にみた道場はとにかくボロかった。
そしてボロいだけでは無くすでに空手道場では無くなっていた。進道館空手の看板は無くそこにあったのは・・・。
「ピンクパンダ」
僕はジムに着いた。
ドアを開けお願いしますと一礼して中に入った。
「お疲れ。さっきまで会長が居たんだけど・・・。」
リング中央で汗を流している男性が一人居た。
「芳樹に用事があったみたいなんだけどまた電話で今は事務所だよ。何か慌てているんだよ。とりあえず着替えておいで。トレーニングはじめようか。」
さっきも同じ事を聞きましたよ。会長どうしたんでしょうかね。とりあえず奥の更衣室で着替えることにした。
このリングから話かけた男性は会長の息子でまりか先生のお兄さん、松本 英治さんである。
英治さんは現役のキックボクサーで何と何と全日本キックボクシング連盟ウエルター級王者、すなわちチャンピオンなのである。
ハイキックを得意として勝った試合のその殆どがハイキックでのKOなのである。
また全日本キックとK―1が合同で主催している大会「クラッシュ」ではK―1ルールにも挑戦し連戦連勝。無敗のプリンスと呼ばれている。
精悍な顔つきで格闘技雑誌のほかにもファッション雑誌やたまにテレビにも出演することもある人だ。
進道館空手道場がキックボクシングジムになったのにはこの英治さんが関係ある。
元々栄治さんとまりか先生はここで空手を習っていた。
僕らが会長と呼んでる人は空手の師範代で進道空手九段という腕前の持ち主だ。
ちなみに栄治さんが二段でまりか先生は初段らしい
。栄治さんが高校進学をしないでキックボクサーになると言ったのを期に、進道空手を離脱した道場をキックのジムに改築したという。
当時の道場生はそのまま残りキックボクシングをやる人や会長の空手の指導を仰ぐ人もいれば他の支部に移籍した人もいるという。
そんな訳でぼくはこのキックボクシングジム旧進道空手道場、ピンクパンダに入門したのだ。
なぜピンクパンダとなったか、それはまりか先生がピンクが好きで、好きな動物がパンダだからそうなったらしい。なかば強引でまりか先生が決定させ英治さんは未だに納得してないとか。
ジムの置くまで行って更衣室に入った。一人着替えてる人がいた。
僕は鞄をロッカーにつめ挨拶をした。
「高校はどうだい?彼女できた?」
ジムには二人のプロの格闘家がいる。
一人がチャンピオンの英治さん。もう一人がこのラッキー先輩である。
現在全日本キックボクシング連盟フェザー級5位の選手で勝った試合が全てパンチによるKO勝ちの脅威のKO率を誇るいわゆるハードパンチャーである。
しかし普段からおどけている性格のためか、試合後のコメントでKOで勝っても
「ラッキーパンチだった。」
と毎試合後語っておりラッキーというあだ名になった。
事の真意を確かめたく何度かラッキー先輩に聞いてみてもはぐらかせられていた。
本当にラッキーだけで勝ってきたのかなとも思ったこともあったが英治さんをして
「あいつと同じ階級じゃなくてよかった。」
などといっていた。
同門とはいえ一目置いているらしい。
進道空手時代の門下生で年は英治さんの2つ下の後輩になる。
進道館離脱後もジムに残り英治さんとキックをやる側、高校へ進学後は部活でボクシングをやっていたらしい。インターハイで2位になったこともあるとか英治さんから聞いた。
本人はあまり自分のそういう功績みたいなのを言いたがらないらしい。
高校卒業後英治さんを追いかけるようにプロデビューをした。
ただ英治さんみたいにチャンピオンとは違い試合がしょっちゅう組まれる訳でもなく、その試合のファイトマネーも少額なため普段はアルバイトをこなしながらキックの練習をしている。
とっても苦労人なのだ。
でもその苦労話を一切しない。変わりにいつも女性について語っている。練習が終わった後夜な夜な市街地に繰り出してはナンパしているが結果をきくと大抵、
「判定負け。」
という。
脅威のKO率を誇るハードパンチャーもリングの外では空振りらしい。
「ここで汗を流す事はすばらしい。しかしこんな男臭いところで高校生活の青春を浪費してはいかん。
きみは結局俺が教えた秘策を使わず中学では彼女できなかったんだ。高校からは頑張りなさい。しっかりやるんだぞ。」
秘策というほど何か教わった記憶は無い。
しかも当の本人が判定負けを続けているのだからこの話は役に立たないだろう。・・・・・いや僕はここに何をしにきてるんだっけ。
とりあえず着替えよう。
ぼくは鞄からジャージとバンテージと縄跳びを出して着替えた。




