黄金の左手
街がオレンジへと染められてゆく。
人混み激しい交差点も 変わる色彩刻とともに
静かに落ちつきはじめた、夕暮れ時。
毎日の日課のように お気に入りの場所へと
歩みを進める、美女がひとり。
人の疎らな交差点を 颯爽と渡る。
チャコールブルーのスカートが、スレンダーな足首を舞う。
初秋の晴風が、長い黒髪をすり抜ける。
彼女の名は、雛形 餡。
整った顔立ちながら どこにでもいる ごく普通の二十歳の大学生だ。
一見には。
餡の お気に入りの場所へと到着。
そこは、本が並ぶスペースにカフェが隣接している
ブックカフェ【キャッフェリーブル】
餡は、静かに扉を入ると エントランスを通り抜け、
立ち並ぶ本棚の間を ゆっくりと歩みを進めながら
大好きな天文の棚へと向かった。
空間に広がる本の香りに癒される。
歩きながら 思わず目を細める。
と、その時、
「っ!すみませんっ」
ぶつかったと同時に、男性の声。
咄嗟に目を見開く餡を 殆んど見ぬまま会釈し、
「こちらこそスミマセンっ」の、餡の声も聞こえたかどうか、
見知らぬ青年は、走り去って行く。
「‥あっ、」
餡は、足元に落ちた本に気づく。
ぶつかった拍子に 青年が落としたのだろう。
しかし、青年は自分が落とした事に気づかぬまま、出口の方向へ駆けてゆく。
餡は、すぐ様 本を拾い、青年を追いかけた。
足には自信がある。
すぐに青年に追いついた。
「待って!本、落としましたよ」と声をかける。
が、
青年は気づかず 出口を出て行こうと。
餡は、咄嗟に
本を持っていない方、左手で 青年の腕を掴んだ。
と、途端に
青年は 酷く驚いて 手を振り払った。
振り払われた餡は、突飛ばされそうになり
咄嗟に 出口扉の柱を掴んだ。
振り払われたことに驚きながら、足を踏ん張り
体勢を整える。
そして、
「落としましたよ」と、
青年を見据えながら、拾った本を 突き付ける様に
差し出した。
「えっ、?、あ!すみません!」
漸く 自分が本を落としたことに気づいた 青年。
青年は 本を受け取り、
そして、女性を振り払ってしまった事にも気づき、
深々と謝った。
「すみません!!お怪我ありませんか?!」
さっきとは打って変わって、深々と申し訳なさげな青年の態度に、
餡は 怒りの様な驚きの気持ちを落ち着かせ
、冷やかながらもソフトに言葉を返した。
「大丈夫です」
「‥本当に すみません。本、有難うございました」
「いいえ」
餡は、口元少しの笑みで冷静に応えながら、その場を後にする。
すると、
「あ…、あのっ、待ってくださいっ」
青年が、きごちない言い方ながらも 強めのトーンで 餡を呼び止めた。
「?」
餡は、足を止めて振り向く。
「あ、…、あのっ、、えっと、、」
青年は、呼び止めたにも関わらず、振り向いた餡に驚く。
その様子が、餡には意味がわからず。
しかし、
青年が自分に何か言いたげなのが なんとなくわかり、
餡は、青年の言葉を待ってみた。
少しの間のあと、青年は、静かに言った。
「こんなこと、初めてで…」
餡は、青年の言葉の意味がわからず。
「‥?、何がですか?」
青年の顔が、みるみる赤くなってゆく。
餡は、益々意味がわからないまま どうしたらよいのかわからず、青年の様子を 黙って伺っていた。
青年は、意を決した様な目付きになり、餡に 謙虚ながらも誠実に お願いした。
「初対面で こんなこと…。
でも、
どうしても伝えたい。
あなた自身、ご自分でわかってるのかどうなのかも知りたいし…、
とにかく、
あなたと真面目に お話を。
初対面ですし、勿論 明るい場所で。
人には聞かれたくない事なので、ちょっと人から離れた場所で、お話できますか?
お願い、できますか?」
餡は、初対面で そう言われて 正直戸惑ったが、
青年が自分に何を伝えたいのか 気になったので、
「…はい、少しだけなら」
と応えた。
そして、
「あの辺りで、どうでしょう」
と、目の前の横断歩道を渡った所にある 駅の入り口脇の、人混み外れた 自動販売機の傍らを指し示した。
自動販売機と駅からの灯りもあって、明るさも適度。
青年は、すぐさま二つ返事をした。
ほどなく 横断歩道の信号が青に変わり、餡の促しで
青年は信号を渡りはじめ、餡は 青年の数歩後ろから渡りはじめた。
そして、距離を保ちながら 自動販売機の脇で立ち止まる。
青年は、距離を保ちながら 餡と向かい合う。
「あの、伝えたいことって何ですか?」
餡の問いかけに、
一瞬の会釈をして、青年は、静かに口を開いた。
「あの、、凄く恥ずかしくて 聞きづらいことなのですけど…、」
「はい」
「…、」
「言ってください?」
「はい。…、本当に真面目な話で」
「はい」
「あ、まずは名乗ります。僕は、南條 秋也といいます」
「なんじょう しゅうやさん」
「はい。
高校生くらいから間近で見させて貰ってる 父の仕事の影響から、敏感にわかるようになってしまったのですが、」
「…?」
「単刀直入に聞きます」
「…どうぞ」
「あなたの手、異常なほど気持ち良かった。ご自分で ご存知なのですか?」
「…はい?」
南條の言葉と質問が、餡は理解できず、きょとんとなる。
それを察した南條は、更にはっきりと言葉を続けた。
「あなたの手の感触、出会ったことない。腕を握られて、僕は逝きそうになった。僕は、べつに 腕は性感帯じゃない。なのに、異常に感じてしまった。
だから、咄嗟にはね除けてしまった。それほど…凄い。
貴女なら、蜜のローションも作れる。今までに無い極上の快感の。
すみません、
真面目な話です」
言われた餡の表情は、強張った。
(私の蜜のローション?…‥餡蜜?‥…やだっ違うっ!)
そして、不信感に、南條を驚愕に見据えた。
南條は、餡に頭を下げた。
「すみません!見ず知らずに こんなことを。
でも、
どうしても お聞きしたかった!伝えたかった…。」
そして、
そう言うと、自分の名刺を内ポケットからサッと取り出し、餡に差し出した。
餡は、つい受け取ろうと 利き手の右手を出しそうになり、拒否感に我に返り すぐさま手を引っ込めた。
それを見逃さなかった南條は、餡の右手を掴み、強引に名刺を握らせた。
【ん?】
そのとき、餡の右手には何も感じないのを 南條は察知する。
【左手 だけなのか?…】
南條は、ますます強く、
餡に、餡の左手に、興味を持った。
「お疑いなら、晴らせます。
僕の父の会社には、今 僕が言ったことを証明する道具もありますし。
もし、
少しでも 僕の言ったことが本当か知りたいと思ってくださったなら、いつでも連絡下さい。待ってます。
お時間取らせてしまって、すみません。有難うございました」
深々と頭を下げる南條に、餡は、南條から視線を落とし、困惑しながら会釈を返し、立ち去る南條を 無言で見送ったのだった。
ーーー
愕然としながら 家路に向かう、餡。
すっかり真っ暗になってしまった夜道を 街灯の中
とぼとぼと歩いていると、
「夜道のひとり歩きは危ないよ」
と、背後から男性の声が。
驚き振り向くと、
隣に住む幼なじみの冴木 柳が、飼ってるシェパードを連れて立っていた。
餡は、思わずホッとする。
「ロルフの散歩?」
「うん」
「珍しいね、こんな時間に」
「おばさんが、餡がまだ帰って来ないって言ってたから」
「心配して来てくれたの?」
「まぁね」
「ありがとう」
「こんな遅いの、珍しくない?」
「あぁ…うん」
「なんかあった?」
「え?、…なにも」
「そっか」
「うん」
「帰ろっか」
「うん」
柳は、執拗には聞かず。
家路への道中、
餡が珍しく終始無言でも、そっとしておこうと、
何も言わないまま 歩みを進めた。
もうすぐ家に着くという所で、無言で歩いていた餡自身が、堪らず口を開いた。
「柳!あのねっ!」
餡の 珍しく凄い形相に驚きながらも 優しく見守る様に
柳は、餡を見つめる。
「どうしたの?」
「うん…」
優しく自分を見つめる柳を、心を落ち着かせながら、餡は、見つめ返した。
「柳…」
「ん?」
「私の味方?」
「当然。どうした?今更」
「これからも?」
「うん」
「どんなこと聞いても?知っても?」
「なんだよ、?」
「どうなの?」
「べつに、今までハチャメチャあったじゃん。今更、変わんないよ」
「秘密も?」
「秘密?」
「うん。守れる?」
「あぁ、守れるよ。今までもあるじゃん」
「うん、そう。私達 ふたりの秘密、あるもんね」
「おう」
「ありがとう」
「なんだよ、おまえ今日、変だぞ」
「そう。変なの」
「?…、なんかあったか?」
「あった」
「なに」
「今から言う。
ていうか、する。
だから、これも守って。ふたりの秘密だからね」
「?」
「OK?」
「?…、OK」
「来て」
そう言って、餡は 柳の手を取り、近くの公衆トイレへと駆けた。
左手で、柳の手を取り…。
握られた瞬間から、柳の股間が疼いた。
思春期に初めて知り、敢えて避け、知った事も 自分の心だけに封印してきた、
簡単に性感帯へと刺激し、敏感に反応させる、餡の左手の感触。
自分からは言わずにきたのに、餡自身が知ってしまったのか?‥ と、
柳は、自分を連れて駆ける餡の後姿を見つめながら…、
公衆トイレ手前にて、
「っ‥‥ヤバいっ、餡っ…」
と、
膝から崩れ、射精した…。