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ざあざあと、夢の中でも雨が降り続いていた。
見渡す限りの大地に、重く垂れ込める雲。細雨は薄絹を広げたようにあたりを覆っていた。振り香炉が鳴る如く透明な音を弾かせながら、ただ雨だけが降り注ぐぬかるんだ荒野。その中を進む集団があった。この悪天候にぞろぞろと列を成して泥濘を行くのは、決して重装備の兵士ではない。長い紗で頭を覆い、荷を抱えた女達であった。
彼女達は長い時間をかけ、濡れた泥を足で掻き分けながら、ゆっくりと荒野の坂を上って行く。やがて霧の向こうに青々とした樹木の群れが姿を現した。木々が重たげに伸ばした梢の傘の下で、比較的土の濡れていない場所があった。そこにぽつぽつと群れを成すのは、未だ新しげな塚の数々だ。女達はそこでばらけると、それぞれにその塚の前へと向かって行くのであった。
一人が徐に荷を解いて、青々と染めた布を取り出した。塚に立てられた墓標にその産着をかけ、膝から崩れ落ちる。身を丸めておいおいと泣き始めた女達の姿は、まるで葬儀の際に男達が執り行う泣き歌の儀式のようでもあった。
か細い慟哭、女の脆弱な背。それらはやがて霧雨の中に吸い込まれ、消えて行った。しかしその声、姿かたちは、雨の中棒立ちになるマグリにははっきりと思い出せるのであった。呆然として、灰色の空を仰ぎ見る。晴れの兆しは、一向に見えない。
夢から覚めても、その光景が目に焼き付いていた。
夜が明け、雨雲もとうの昔に過ぎ去った。しかしマグリの耳の中では女達の泣き声に混ざり、雨がまだ降り続いているのだった。
(あれは、現実か)
鉛が詰まったように重い身を持ち上げ、マグリは床に敷いた毛織物の上から起き上がった。
外は嘘のように晴れて、遮幕の隙間から稲穂のように細い光が射している。近くで小鳥が虫でも啄ばんでいるのか、せわしない囀りがこだましていた。洞穴に蟠る空気も柔らかく、日向の匂いがすぐ傍まで香ってくる。
心から春を感じ取れるような気候ではあったが、マグリの心は重く、ひとり極寒のさなかに置き去りにされたようであった。
しばらく晴れない思いを持て余しているうちに、胸のあたりを焼けるような熱が覆った。マグリは慌てて立ち上がると外に飛び出し、巌窟の傍にある水場まで駆けて行った。そこで胃の中身をひとしきり戻すと、口の中を濯いでその場に座り込む。
首筋に照りつける陽の光は熱いくらいなのに、体は指先まで凍り付いたように冷え切っている。雨の夜にイルハマが報告を運んで来てから二週間、マグリはずっとこんな調子だった。繰り返し悪夢を見ては、体調を崩して日がな寝てばかりになる。イルハマが心配して食糧や薬を運んでくれなかったら、とうの昔に起き上がれなくなっていたかもしれない。
(雨の音、土の匂い……母親たちの泣き声)
陽だまりのなか、ぼんやりと夢に思いを馳せる。悪夢として襲いかかるのは、決まってマグリの預言のために生贄とされた者たちだった。今日のように、母親達のすすり泣く姿ならまだ良い方だ。ひどい時は『かれら』が埋められようとするその瞬間であったり、土の中から呻き声が聞こえる場合であったりもした。
(私はただ、王に命じられて託宣を授かっただけなのに―――)
夢は真綿で首を絞めるようにマグリを苦しめる。そして罪悪感で雁字搦めにして、まるで身動きを出来なくしてしまうのだ。
今ならば、母が争い事に関与しなかった理由にも理解が及ぶ。しかし、マグリはその事実を認めたくはなかった。認めた時点で母に屈してしまうような気がして、ひどく癪だったのだ。この先、光輝王の命でこのような託宣を賜る事だってあるだろう。その度にこうした悪夢を見続けるとしても、耐え忍ぶしかないのだ―重荷を背負いきれる心を持つ以外には。
(私は、後戻りができない。預言者のままでいなくてはいけない)
母を見返す為だけに、預言者としての道を選んだ。
そしてそれが軌道に乗りかけた今、マグリはその事に別の側面を見出しつつもあった。預言者である限り、マグリは誰かに必要とされる。イルハマにも、そして王という尊き存在にまで。ここにいる少女が、凡庸で垢抜けないだけの田舎娘では無くなるのだ。それはひどく魅惑的だった。
(……逃げ出したりなんか、しない)
相貌を映し出す水面を凝視して、手のひらを叩き付けた。やつれた顔が水飛沫のなかに消えゆくのを見送ることもせず、その場から立ち上がる。今日はこれ以上休んでいる暇は無かった。何故ならばあの託宣以来久々に、マグリは王宮に呼びつけられていた。




