MANA:2016 苦い珈琲を私に
「ねぇ、ユウナとマナ!駅近の最近人気のカフェ行かない?」
こんなミキの誘いになんて乗らなきゃよかった。
私の淡い恋心が脆くも儚く崩れてしまうまで、あともう少し。
正直三人で来たくはなかった。ここは私一人だけが知っていればいいところ。友達とがやがやするために来るような場所ではない。ここは私にとってはそれだけお気に入りのカフェだった。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「三人です」
「畏まりました。では、こちらの席へどうぞ」
普段私が来る時間とは少しズレているせいか、席まで案内してくれたのはいつもと違うスタッフさんだった。
私が初めてこのカフェに足を運んだのは雑誌で紹介されるよりずっとずっと前のことだ。麻布十番の駅から徒歩十分ほどの本屋でのバイト帰りに開店したてのカフェを見つけたのがきっかけだ。
窓の外からでも分かる落ち着いた店内。店の中に流れるクラシックはバイトで疲れていた心をゆるりと解きほぐしてくれた。そして。
「今日、開店したところなんです。よかったらまた来てくださいね」
笑顔で私に挨拶してくれた店長さんに私は一目惚れした。
「今日は人があんまり居ないみたいだね」
ぼうっとメニューを眺めていた私はその声に返事をせず、軽くうなずく。
「そうだね。雑誌に載っていた従業員さんの中で、目当ての人が居たのに、今日はお休みらしくて残念」
そんなミキの言葉に私とユウナは顔を見合わせ、くすくすと笑った。
あんなにかっこいい人が目の前にいるのに、もったいない。
「だから、もう無理なんだって!」
店内に突如響いた男の怒鳴り声。運ばれてきたケーキに舌鼓を打っていた頃のことだった。ケーキセットを運んできた顔なじみのスタッフさんになんとなく気恥ずかしさを感じていたことを誤魔化すように彼を必要以上に褒めていた。なんてことない私達の日常の会話は突然止まった。
店内に漂うのは張り詰めた空気。
このカフェではよくあることだった。
落ち着いた雰囲気のこのカフェでもう一度やり直そう。そう思い、お互いの妥協点を探すための話し合いを始めるカップルも少なくない。そしてそれがうまくいかずに別れを選ばざるを得なくなるカップルも。
「…何もこんなカフェで言わなくても良いのにね」
そんなミキの言葉にユウナも同意を現すかのようにうなずく。そんな二人の様子に無意識のうちに私の口が動き出す。
「そうかな?私はこういうカフェだからだとも思うけど。まぁ、あの男の人の気持ちなんて、全然知らない私には分からないけどさ」
そっとコップを手に取り、カフェモカに口をつける。言わなくてもよかったことなのかもしれない。それでも言いたかった。それは私がこのカフェの常連であることのプライドだった。
「あ、」
ミキが見ている方へ視線を向けると店長さんが先ほど怒鳴りつけられていた女の人に飲み物を差し出し、何やら話しかけていた。その光景を見て急に胸が痛くなった。
店長さんがお客さんに話しかける場面だなんて見慣れているはずなのに。女の人が綺麗だったから?違う。店長さんが柔らかい表情だったから?違う。なんでだろう……。
無意識のうちにそらしてた目をもう一度二人に向ける。眺めているうちに気付いた。気付いてしまった。お似合い、なんだ。二人が付き合ってると聞かされてもきっと何の違和感も持たない。大人な雰囲気。もしも、私が女の人の代わりに座ってもこんな感想を持てないだろうから。だから私は胸が痛くなったのだ。
少しぬるくなっていたカフェモカを飲み干す。甘ったるさがなんとも言えない不快さをもたらす。
女の人がふわりと笑ったのを見て私達もほっとしたかのように笑みを浮かべた。二人は女の人の幸せを願い。私は終わってしまった淡い恋にサヨナラを告げる決心がついたことを祝うために。
「何かちょっと気まずくなっちゃったけど、女の人も落ち着いたみたいだね。私、飲み物のお代わりでも頼もうかな」
ミキが苦笑いを浮かべる。私も、と声を上げるとミキは店長さんをテーブルに呼んだ。
「ブラックコーヒーください、ホットで」
甘党の私にはそぐわない注文に二人が目を見開いた。普段はコーヒーなんて飲まないもんね。だけど今の私に似合うのは黒くて苦い珈琲だけ。
ふわりと香ばしい豆の香りが漂ってきた。
オムニバス企画参加作品(敬称略)
KASHIWAGI:2016 甘い香り(ちや。著)
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YUUNA:2016 (藤田なない著)
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RYOUKA:2016 あめ (狼零 黒月著)
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