たんぽぽさんと死にたいお姫様(文:marron・イラスト:葵生りん)
昔々、おとぎの国に不幸なお姫様がいました。
何がそんなに不幸かと言うと、まあ、おとぎの国ではよくあることですが、継母にいじめられていたのです。
朝早くから夜遅くまで働かされて、食べる物はひからびたパンだけ。それに、継母の怪しげな魔法の薬を飲まされそうになったり、それはもう、ありとあらゆる意地悪をされて、本当に不幸でした。
「お父様も亡くなって、あの女王にはもう耐えられないわ」
お姫様はもう死にたくてたまりませんでした。
「でも、変な死に方は嫌よ。私はお姫様だもの。死ぬときも美しくなくちゃ。だから、毒はダメ。苦しみ歪んだ顔で発見されたくないわ。この美しい剣でお腹を切る・・・ダメダメ、誰かが介錯してくれなきゃ、って違う!美しくないわ!」
などと、夜な夜な、死に方の研究をしていました。
「どんな死に方だったら美しく死ねるかしら」
北の端の塔の一番上で、冷たい石の上に腰をかけながら、お姫様は死を夢見るのでした。
ある晩のことでした。
その日は空に丸い月が出ていて、とても明るく感じました。
お姫様は、塔の窓から顔を出しました。窓と言っても、鉄格子と呼ぶには簡単すぎる欄干ようなものが埋まっているだけの冷たい窓です。
「寒いけど、お空は綺麗だわ。こんな時妖精がやってきて、あの継母をやっつけてくれるっていうのが、おとぎの国よね」
お姫様はジッと月の出ている夜空を眺めていましたが、妖精はおろか、虫すらもいませんでした。
「しょうがないわね。自分でなんとかしなくちゃ。
そうそう、飛び降りるっていうのも良いかもしれないわ。スカートをはためかせて落ちて行くお姫様ってどう?」
お姫様は、欄干の隙間にグイグイと身体をねじ込ませて、無理やり塔の外に出ました。
「ああ、破けちゃったわ。もう」
塔の外に出たお姫様は、欄干に掴まりながら震えました。春の夜は思ったよりも寒かったのです。
「ここから、この角度で飛び降りると・・・足から着地しちゃうかしら」
無理ですよ、お姫様。足、砕けますよ。
自分の想像にクスクス笑いながらお姫様は下を覗いて見ました。
「思ったよりずっと高いわ。こわ~い」
この高さで飛び降りれば、美しく死ねないということが分かり、お姫様はまた塔の中に戻ろうとしました。
その時、何かが耳元でウワンと聞こえました。虫の羽音のようです。
「やだ、虫だわ」
片手で欄干に掴まり、反対側の手で虫を追い払おうとしましたが、耳元の音はなかなか消えません。
「しつこい虫ね」
と、お姫様が呟くと、耳元で甲高い叫び声が聞こえました。
「んなんですってぇー!?」
お姫様はその変な叫び声の主を探そうと、キョロキョロと首を動かしました。だけど、誰もいません。塔の上、しかも塔の外側ですから、誰かがいるはずもありません。
「何だったのかしら。空耳?空耳は美しくないわ」
お姫様はため息をついて、月を見上げました。
「ちょっと?」
月を見上げたお姫様の、鼻の先に何かが見えました。怒っているかのような仁王立ちです。
「きゃああ!」
お姫様は空いている手で顔中を擦りました。
「虫!虫ー!」
「虫じゃないし」
「虫じゃない?」
その冷静な声に、お姫様は手を止めて、虫と思った何かを探しました。
すると、目の前に小さな・・・そう、手のひらにちょうど乗るくらいの大きさの女の子がフワフワと浮かんでいました。
「虫じゃないわよ。たんぽぽさんよ」
「虫じゃないの?」
キョトンとして、お姫様はたんぽぽさんを見つめました。
「そ、たんぽぽさん。たんぽぽの綿毛を飛ばすたんぽぽさんよ。知らないの?」
「知らないわ。妖精じゃないの?」
「妖精って言ったらアナタ、もっと小さくて薄っぺらくて羽の生えてるヤツでしょ?違う違う。よおく見てちょうだい。私はしんしんしょうめいのたんぽぽさんよ」
「正真正銘?」
「そ、それ。しょうしんしんめいのたんぽぽさん」
「正真正銘?」
「ガブ!」
「痛い!」
たんぽぽさんは、真っ赤な顔をしてお姫様の鼻に噛みつきました。
「いつまでも人の揚げ足取らないで!ね、アナタ、何してるの?」
お姫様は噛みつかれた鼻をさすりながら眼をしょぼしょぼさせて言いました。
「あのね、私、継母にいじめられている可哀想なお姫様なの。辛くて、死にたくなっちゃって」
「あ、そう」
たんぽぽさんは、お姫様の言葉を最後まで聞かないで、いきなり欄干を握っているお姫様の手を引っ張りました。
「違う違う違う違う!待ってよ!ここで死ぬわけじゃないのよ」
お姫様は慌てて、両手で欄干にしがみつきました。
「違うの?だって死のうとしてるんでしょ?さっきから見てたけど、変なうっとりした顔で月を見たり、ブツブツ独り言言ったり不気味だったもん。わかるわ~、相当ストレスたまってんのね。大丈夫、ひと思いに蹴り出してあげるから。さ、手を放して」
「違うってば!ね、たんぽぽさん、それじゃダメなの」
「たんぽぽさんって言った?いま、たんぽぽさんって言った?」
必死に欄干に縋りついているお姫様が「たんぽぽさん」と言った途端、たんぽぽさんは、嬉しそうにそして照れたように、クルクル回りました。
「え、言ったわ。たんぽぽさん」
「うわ~い、うふふ」
たんぽぽさんは、嬉しそうに飛び上がりました。
「何?どうしたの?」
「だってぇ、たんぽぽさんって呼ばれるの、好きなの。だあれも、私のことたんぽぽさんって呼んでくれないんだもの。うふふ~」
「そ、そうなの?可愛い名前じゃない。たんぽぽさん」
「きゃああ~ん」
月の光に照らされて、たんぽぽさんはくるくると夜空を飛びまわりました。
ひとしきり踊り狂うと、たんぽぽさんはお姫様の元へ降りてきました。
「ねえねえ、死に方を探してるなら、一緒に探してあげようか?協力してあげるよ?」
たんぽぽさんはお姫様の手に降りてきて見上げていました。
「う、うん」
お姫様は、自分の死を他人に託すことになり、なんとなく変な心地がしながらも頷きました。
すると、たんぽぽさんは両手を広げて言いました。
「じゃあ、これから綿毛を飛ばしに行くから一緒に行こう?それで、空から死に方を探せばいいわ」
「空から?」
「うん。大丈夫、急に突き落したりしないから。じゃあ、やるわよ?」
「え、やるって、なにを!?」
お姫様がまだ、たんぽぽさんが何をしようとしているのか分からず、頷いてもいないというのに、たんぽぽさんは訳の分からない言葉を唱えました。
「とぅっとぅるー!」
すると、みるみるうちにお姫様の身体が縮み始め、欄干を持っている手は掴まっていることができずに、屋根の上に落ちました。
「きゃあ」
お姫様は急に世界が大きくなってしまったのでびっくりしました。
「うーん、ありり?」
「ありり?じゃないわ!」
気が付くと、あんなに小さかったたんぽぽさんが、随分と大きく見えます。お姫様はたんぽぽさんよりもさらに小さくなってしまいました。
「失敗失敗」と頭を掻きながらたんぽぽさんは小さくなったお姫様を覗き込んで言いました。「大丈夫、そのくらいの大きさにするつもりだったから。計画通りよ」
「本当に?」
こんなに小さくなってしまって大丈夫なのでしょうか。お姫様は心配になりましたが、小さくなった自分というものに少しワクワクしました。
「計画通りよ。さ、じゃあ出発!」
たんぽぽさんは、お姫様の小さくなった手を握って空にポーンと飛び出しました。
「うわ~」
小さくなったお姫様が夜空に飛び出して見たものは、大きな世界でした。
地面が信じられないくらい遠くにあります。それに、顔の周りを風がビュービュー吹いていて、息ができないほどです。
「死にたくない、死にたくない、死にたくないぃ」
お姫様は、たんぽぽさんにしがみついて叫びました。
「死にたくないの?さっき、死にたいって言ってなかったっけ?」
たんぽぽさんは、飛びながら不思議そうに言いました。
お姫様は確かに死にたかったのです。
だけど、死ぬのも怖いのです。だから、美しい死に方が良いなどと言って、本当に死ぬつもりなんてなかったのです。
空を飛んだら、もっと死ぬのが怖くなりました。
すると、たんぽぽさんが言いました。
「ねえねえ、そんなに怖がってないで、見てみて?もうすぐお日様が出てくるよ」
「お日様?」
お姫様は、ギュっと瞑っていた目を少しだけ開けて、空を見てみました。相変わらず顔には風が吹き付けますが、空の色は先ほどとは変わっていました。
丘の向こうが明るくなっていて、頭上の紺色の空が溶けているようでした。いつの間にか月はいなくなっています。
下を見ると、お姫様の住んでいる国から随分と遠くに来たようで、見たことのない丸い屋根の家が小さくポコポコと見えました。
「うわあ」
「ね、綺麗でしょう?ほら、一度あそこに寄るわよ」
たんぽぽさんはフワリと向きを変えて、少しずつ降りて行きました。だけど、全然怖くありません。落ちるのとは違って降りているからです。
朝日に照らされて原っぱが明るく光るのが見えてきました。草がそよいでいるのが分かります。それになんだかあったかくなってきました。
原っぱに近づくとたんぽぽさんはまた高い声で言いました。
「とぅっとぅるー!」
「あはははは、たんぽぽさん、すごい!」
たんぽぽさんが唱えると、風に乗って一斉にたんぽぽの綿毛が飛び出しました。
辺り一面真っ白なフワフワが風に乗って飛びだしたのです。朝日の中でそれはあまりにも綺麗で幻想的でした。
「たんぽぽさんって言った?いま、たんぽぽさんって言った?うわ~い、うふふ」
たんぽぽさんはお姫様の手をとったままクルクルと周りました。
「わあ、たんぽぽさん!綺麗ね!」
二人は風に乗って、ふわふわな綿毛の中を飛び回りました。
それから少しすると、たんぽぽさんは一つの綿毛を手に取って、お姫様に渡しました。
「はい、これに掴まってね」
「え?これに?」
「うん。これに掴まって好きなところに行こう!」
「好きなところ・・・?」
お姫様は考えました。
どこに行きたいのかしら。
綿毛に乗って、風に乗って、のんびりと空を散歩しながら、行きたいところを探すのね。
お姫様は向こうの方を見つめて飛んでいきました。とってもいい気持ちです。さっきまで、死に方を探そうと思っていたのに、死ぬなんてもったいない気がしました。
少し飛んでいくと、また見たことのない国が見えてきました。
「ねえ、この国はあったかくて住みやすい国よ。私はここに降りるけど、アナタはどうする?」
たんぽぽさんが言いました。
「私も降りてみようかしら」
その国は原っぱがたくさんあって、お家はみんなオレンジ色の屋根をしています。川がキラキラ光っていてとても綺麗な国です。
その時、お姫様は白馬に乗っている王子様を見つけました。
「あら、あの王子様、きっとアナタの運命の人よ。私、わかるの」
と、たんぽぽさんがクスクス笑いました。
実はお姫様にも、それが分かりました。おとぎの国では、運命の人がひと目でわかるのです。
「うわあ、超イケメン」
たんぽぽさんはどんどん王子様に近づいて降りて行きます。
お姫様はドキドキしながら、綿毛に掴まってついていきました。本当に素敵な王子様なのです。
でも、お姫様は今、綿毛と同じくらいの小さな姿です。
この後、どうしたら良いのでしょうか。
「たんぽぽさん、私、あの王子様と生きたいわ。もう、死にたいなんて言わない」
お姫様がそう言うと、たんぽぽさんは嬉しそうに笑いました。
「そう言うと思っていたわ。だって、あの人は運命の人だものね!じゃあ、行くわよ!」
たんぽぽさんは、両手を広げて
「とぅっとぅるー!」と叫びました。
すると風がビューンと吹いて、お姫様の掴まっていた綿毛を吹き飛ばしました。
「わああ!」
そのまま王子様の方へと飛んで行き、わけもわからないうちに、お姫様の掴まっている綿毛は、ポスと柔らかいところに刺さりました。
「すごい風だな」
王子様がそう言った時、お姫様の姿が元通りになって、王子様の腕の中にすっぽりと収まっていました。
「あ、貴女は…」
王子様は急に腕の中に湧いて出たお姫様を見て、一目で恋に落ちました。
二人を祝福するかのように、たくさんのタンポポの白い綿毛がフワフワと風に乗って舞っていました。
遠くで「とぅっとぅるー!」と聞こえたような気がしました。
こうして、お姫様と王子様は末永く幸せに暮らしました。