予測可能ベースボール
新海ノイールズのホームスタジアムは、いつにも増して観客の熱気に満たされていた。ノイールズにとって、この試合を制さなければリーグ優勝の可能性が消えてしまう大一番だったからだ。しかし、それには「2対1で敗北」だという大方の予測を覆す必要もあった。
それを承知しつつも、ノイールズの応援席に彼らは座っている。
「ここまで予測通りだな」
4回表が終了して、ベンチに帰る選手を眺めながら、黒川は呟いた。
「だから、今回の試合予測は確度がA+って言っただろ?」隣の男、北村はそう返した。
「あぁ、そうだな」黒川は気だるそうに深く座り直す。「全く面白くはないが」
そんな態度を意に介さず、北村は微笑を浮かべる。依然、タブレットPCに目を落としたままだった。画面は、野球情報サイトが表示されている。
今日、プロ野球の試合は予測可能だ。もちろん詳細な部分では誤差も生まれるが、試合の顛末ぐらいは分かる。こと勝敗に関しては84%は当たる。セイバーメトリクスが1970年代に提唱されて以来、野球における客観分析の技術は進歩し続けた。データの蓄積と力業の大規模計算が、予測不能の境界線を、日々、後退させている。
「4回表までゼロ行進だが、この裏で試合が動く。まず、四球で進むのが彼だ」北村は一瞥もくれずにネクストバッターズサークルの選手を指差す。「その次はライトフライでツーアウト、そして四番が、おお、二死一塁なのにタイムリーヒットだ」
「へぇ、さすが。いつも打つよな」
「そう、また彼だ!」北村は画面を指で叩き、黒川に示す。
朝井一[アサイ ハジメ]。13年目 ライト 右投左打。新海ノイールズの大砲。今現在のシーズンRCWINは8.16、OPSは1.163。
「現代野球で、王貞治を比較対象に引き出した選手が現れるって、驚くだろ?」
「そりゃそうよ。死んだ野球で、だからな」
「死んだ野球?」
北村がちらりとバックスクリーンを見ると、アウトのランプが1つ点いていた。
「グレゴリイ・ドノヴァンが言ったんだ、あのワールドシリーズで優勝を逃した時に」
「なるほど、あの鬼監督なら言いそうだ」北村は笑う。
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ドノヴァン監督は、その時、憤慨していた。優勝を決めた相手のチーム、特にGMが気に食わなかったからだ。唯一の女性GMであったスーザン・パウエルは、当時としては奇抜な手法で球団運営を行っていた。
「チーム編成については、Robbie[ロビィ]に従うのよ」
Robbieはチーム編成を一手に担うAIだ。彼女は、徹底的な理性によるチーム編成を運営方針に掲げたのだった。彼女自身は、AIの性能向上と、メディアや他球団の対応に力を入れた。最初は冷笑され、反発もあったが、時間を経るにつれ成果を挙げてきた。
その極め付けが、ワールドシリーズ制覇だった。
「スポーツとしての野球は死んだんだ。試合は解析結果の検算でしかない。熱が冷めた」
ドノヴァン監督は、その年に圧倒的な成績を残しながらも、球団から去った。それ以降、AIが球界を圧巻することになる。チームの参謀の席に、AIが座る時代が来る。
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黒川が気づいた時には、一塁にランナーが立っていた。
北村はほら、四球だろと言い、ポップコーンを口に放り込む。
「普通は、予測されて対策して、また予測されてっていうのを繰り返して、結局、どんな選手も平凡な成績に均衡するんだよね」
「でも朝井は、何故かずっと記録を出している」黒川は頭を掻いた。
「そう。ただ、そうなったのは彼の3年目後半戦からだけどね」
北村はタブレットを操作しあるデータを示す。
「新人の時も、申し分のない成績を残しておきながら、その時、交流戦を機になぜかレギュラーから外されだしたんだ」
「あぁ、そんなことも有ったな」黒川は身を乗り出す。「故障だっけか?」
「いや、違う。『気まぐれ』だ」
「ん?」
黒川の眉間に皺が寄った。
気まぐれ。AIが選手起用についてシミュレートした結果、直感的にはあり得ない選手をスタメンに抜擢すること。文字通りの気まぐれではなく、実際は客観的な判断によるものである。球場、時期、コンディション等が偶然合い、抜擢された選手がいつもの選手よりパフォーマンスが“僅かでも”勝る。そう判断されて、こういったケースが起こる。AIの力業の解析から導き出される為、その要因が何か、人間が知るのは難しい。
「当時、交流戦を境にボールがやけに飛ばなくなった」
「覚えてる。話題になってたな」黒川は呟く。
そう、と北村は頷く。
「噂の域を出ないんだけど、反発係数が基準値以下のボールが試合に使われていたらしい。野球機構と企業がグルで大量の欠陥品の在庫処理したって話だ」
北村は最後のポップコーンをつまむ。
「それで単純に戦略が変わったんだ。その上、AIは交流戦から、選手査定で集客力を重要視し始めた」
「で、スタメンを外れたと」黒川は感心した様子で言う。
「でも、終盤戦にちゃんと戻ってこれたからね。その間に、予測を上回る何かを掴んだと思うんだ、例えば――」
次の一瞬、北村と黒川は面食らった。会話に集中していたせいで、歓声だと理解するのに時間が掛かったが、誰へ向けられたものかは、すぐに分かった。
「朝井だ」
黒川はバッターボックスを見つめた。朝井は打席にゆっくり入っていく。
現代野球では、観客は得点が入る前に、それを知っている場合がある。観客にとって、罠に掛かりにきた相手を手ぐすね引いて待つ感覚に近い。最近までは、そんな物好きだけが観客ばかりだったが、朝井が活躍する度に、ファンが増えてきた。平均化されていく野球に抗う人間を、観客は望んでいるようだった。
スリーボール、ワンストライク。彼は一度も振らなかった。相手投手も悪くなかった。もちろん、予測に忠実であるという意味も含む。投手は汗を拭い、頭を縦に振る。一息つき、伸びるように振りかぶる。
放たれた渾身の球は、納まるべきミットからは程遠く、バックスクリーンに叩き込まれた。
「一点どころか二点取るのかよ」
黒川は立ち上がり、笑みを浮かべた。
「さあ、分からなくなってきたよ」
北村はタブレットで、最新の予測を調べ始める。
スタジアムが歓声で沸く。相手チームの落胆を覆い隠すように応援歌が鳴る。そのとき、朝井は、小さくガッツポーズをしながらホームへ駆けていた。