第十六話
その夜、夢を見た。生前の人生を繰り返す夢だ。
生まれた頃の私。ひたすら泣き叫んでいる。母が何とか私をあやそうとしている。記憶にはないが、再生されている。夜中に泣き叫ぶ私に、母が癇癪を起して叫んでいる。
「もううるさい! 近所迷惑でしょ!」
自分は赤ん坊の立場にいるが、母の叫ぶ言葉の意味が理解できる。怒った母の顔が怖く、余計に激しく泣き喚いてしまった。いけないと思った時は、もう遅かった。
「いい加減にしなさい!」
母が強く私の頬を平手で叩いた。痛みとショックで、私は更に激しく泣いた。
「何で泣き止まないのよ!」
叫びながら、母はその後も私を叩いた。言葉が分からないのに強い感受性を持つ赤ん坊と同じ目線に立ち、怒りをぶつける母に、強いショックを受けた。私はただ、おむつを汚してしまい、不快になっただけだ。悲しさと怖さでいっぱいになる。母が鬼に思えた。
幼稚園から小学校低学年の頃の私。母に躾をされている。箸の持ち方、他人への挨拶、座り方、姿勢、言葉遣い……。数えきれないほどの作法を叩き込まれた。この牢獄での鞭打ちに似ているかもしれない。私は特に箸の持ち方を覚えるのが苦手で、慣れるまでかなりの時間を要した。なかなか正しく持てない私に、母は何度も激昂した。その度に私は泣いた。幼少期は泣くことが多かったと記憶してはいたが、こんなに泣いていたのかと夢で見て驚いた。
「泣くんじゃない! 覚えられないあんたが悪いのよ!」
私が泣くと母はそう叫び、できない私を許してはくれなかった。
「こんなんじゃ、恥ずかしくて学校行かせられないわ。給食を食べるときだって先生に見られるんだから」
母は情けなさそうに溜息を吐く。自分は駄目な人間なのだろうかという悲しい思いが生まれ、心の水面にぽつりと落ちた。そして、波紋がゆっくりと、しかし確かに広がっていった。父は私を擁護してくれず、「母さんの言う通りだ。公共の場に出ても恥をかかない人間になれ」と言い、一緒になって厳しく接した。私に逃げ場はなかった。
小学校高学年から中学生頃の私。勉強に明け暮れた。何か夢や目標があったわけではない。ただ両親に勉強しろと言われ続けたからやっていた。ただそれだけだった。学校を終えて家に帰ったら、まずは勉強する。家にはいつも母がいて、帰ったら母の監視のもと宿題を済ませ、あとは夕飯までひたすら問題集を解く。母の監視下に置かれるという状況はとても耐えられたものではなく、心は常に張り詰め、身体も固くなっていた。
父は高校の教師をしていたこともあってか、成績にはとても厳しかった。
「俺が教えてる学校にも勉強ができない落ちこぼれがいる。基礎がまるで分かってないんだ。惨めだぞ。お前には絶対にあいつらのようになって欲しくない。今のうちからしっかり勉強しておけ。高校の英語や数学は特に、中学校で身に付けた基礎力が物を言う。ここで怠けて分からないところを作ったら、この先習うこと全部が分からなくなるぞ」
中学入学を目前に控えたある日、父はそう言って私を脅した。母も父の言うことに賛同していた。それからは脅しを受ける毎日だった。勉強時間は大幅に増え、夕飯の後も入浴まで勉強することを義務付けられた。自室で私の背後に佇み目を光らせる母が、どれほど私に重圧を与えたことか。しかし、あの清掃活動の日、感情の爆発を更に大きな爆発で押さえつけられてしまって以来、私は父と母に逆らうことなどできなくなってしまった。あのとき、大人二人に一斉に怒りを叩きつけられたことが予想以上にショックで、私の心に深い爪痕を残していた。外側に広がることができなくなった心は、内側に縮むしかなくなった。
そんな小学生時代にも嬉しいことはあった。
五年生の夏休みだった。夏季休業の課題に読書感想文が課せられた。作品は本屋でたまたま見付けた、アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」を選んだのだが、私はこの本に衝撃を受けた。釣り上げたカジキマグロを鮫に食らい尽され、一時は「お前を釣り上げなければよかった」「こんなところまで漁に出なければよかった」と嘆くも、最後には現実をすべて受け入れ、舟の舵取りのこと以外気に留めなくなるサンチャンゴの姿に、私はすべてを受け入れた後に訪れる心の静寂を見た(勿論幼い私の勝手な解釈にすぎないのだが)。そこに神々しさのようなものまで覚えたのだ。それを感想文に書き、クラスメートの前で発表したところ、担任の教師に褒められた。「自分の気持ちを飾らずに表現するのが上手い」と評価され、嬉しかった。今までまったくといっていいほど褒められたことがなく、光彩を放つものなど自分には何もないと思っていたからだ。
自分は書くことが得意なのかもしれない。そう思い、それから書くことが好きになった。勉強の合間に母の目を盗んでノートに好き勝手に文章を書いた。「老人と海」のような、人に衝撃を与える美しい物語を書きたいという思いから、私もフィクションを書いた。もっと衝撃的なものに出会いたいと小説も沢山読むようになった(両親も国語の勉強になるからと読書だけは許してくれた)。子供の書くものだ。はっきり言って稚拙だ。だがそれでも、初めて自分から望んで積極的に行ったことだった。書くことと読書は私の安らぎになった。しかし、そんな楽しみも長くは続かず、ある日物語を書いたノートを母に発見されてしまった。
「何よこれ。くだらないわね。こんなことしてる暇があったら計算問題を一問でも多く解きなさい。あんたは算数が苦手なんだから」
高校生から大学生の頃の私。相変わらず両親への恐れに突き動かされ、名の知れた大学に進学するために一日の大半の時間を勉強に費やした。両親は口を揃えていい大学へ行けと言った。
「将来安定した生活を送るために、今苦労しておきなさい。それは、ゆくゆくはあんたを助けることになるから。とにかく時間を無駄にしないで、少しでも勉強して有名な大学に行っておきなさい。学歴があればいいところに就職できるから」
母が言うと父も同意して言った。
「そうだ。後になって『もっと勉強しておけばよかった』と思っても遅いんだ。若いうちはとにかく苦労する経験を積んでおけ」
絵に描いたような典型的な両親だ。先の幸福のために今を苦しみで満たせと言う。振り返ってみると、勉強自体はとてもおもしろいと思う。だが、自由な時間を潰してまで勉強することを強要されるのは、ただ毎日を暗く重いものにするだけで、活力は貪られ病的に細っていく。本当は物語を書いて、その合間に勉強して過ごしたかった。しかし、私にはもう反発するエネルギーは残されていなかった。従わねばならないと深く刷り込まれていた。
自分が進む道に悩み、足取りは覚束ない。勉強してもただの恐怖心からでしかなく、全力で取り組んでいる感覚がない。操り人形はいつも操り手の力で動かされる。その動きには主体的な意志を持った生物ならではの躍動的な美しさはない。当時の私はまさにそんな操り人形そのものだった。虚しさばかりが募っていき、成績も伸び悩む。そんな私に、両親は傷に吹き付ける潮風のように辛く当たる。試験の答案が返却される度に叱責された。「努力が足りない」「集中力がない」「もっと頑張れ」「そんなことではいい人生を送れない」と言われ続けた。
結局、大学は第三志望の、東京の中堅私立大学の経済学部に決まった。行くつもりは全くなく、滑り止めのために受けた学校だった。努力は実を結ばなかったという結果を受け止めきれず、崩壊しそうになる自我を必死に支えた。大袈裟でなく、少しでも気を抜けば崩壊してしまうと本気で思えるほど、この結果が私の心に与えた衝撃は大きく、立ち直るのに長い時間を要した。私の心は高所から落下した粘土の塊のように、歪な形となった。そこに両親は容赦なく追い打ちをかけた。父は渋面を作り、一言も言葉を発せずに私を睨み付けていた。彼の目は、不出来な娘への呆れと怒りの色で満ちていた。母は全身の神経を針でつつくような、不愉快な金切り声で私を非難した。もともと大きくはなかったが、僅かに残った自尊心が急速に萎びていった。
勉強に身を浸していたときは、強制される勉強に全力で打ち込むなどできる訳がないと思っていた。が、受験が失敗に終わってみると、もっと死ぬ気で取り組めばよかったという後悔が津波のように押し寄せ、私の心の中で暴れ回った。浪人したいと懇願したが、両親は私への期待を既に失くしており、「どうせ浪人してもいい結果にはならない。同じことの繰り返しで金の無駄だ」と言われて切り捨てられた。
この頃からだ。「死にたい」という言葉が口から出始めたのは。口癖のきっかけとなった最初の一言は覚えていないが、一人になったときに気付くと「死にたい」と漏らしている自分に気付くことが多くなった。完全に無意識に出てくるのだ。空腹時に食物を目にすると唾液が口内に溢れるように、一人になると勝手に溢れてくる。初めはそんな自分に驚きもしたが、すぐに何も感じなくなった。自分の人生が生きるに値しないものだと分かり切っていたからだ。
大学入学後は、ただ無気力に一日一日を消化していく日々が続いた。何もかもやる気を失っていた。私は東京の安アパートで一人暮らしを始めたのだが、親元から離れたことが唯一の救いだった。もう四六時中誰かに非難されずに済むからだ。しかし、幼い頃から責められ、激しい感情をぶつけられ続けてきたという忌まわしき経験は汚泥となり、私に纏わり付いて離れなかった。
時給がいいという理由で始めたアルバイト先で、私は自分の打たれ弱さに愕然とした。私は最寄り駅の近くに位置するスーパーマーケットで働いていた。東京だが都心に位置してはおらず、チェーン店でもない。完全に個人経営の店舗で、従業員数も少なく、和気藹々としていた。業務内容は加工食品の棚への陳列と発注という至って簡単な作業だ。そこで何か重大な過失を犯した訳ではない。いじめのような仕打ちを受けた訳でもない。先輩のアルバイトや店長、その他の社員たちは優しい人が多く、滅多なことでは声を荒げることはなかった。現に、私も激しく叱責されたことは殆どない。だが、どれほど相手が言葉に気を遣い、柔らかく注意してくれても、何故か「迷惑を掛けてしまった。自分は役立たずだ」という激しい自責の念に襲われた。注意される度に、父母に責められたときに感じた心の痛みが蘇ってくる。少しきつい言葉で注意されると吐き気を催すこともあった。普通の人からするとさほど気にならないことのはずだ。なのに、言葉のひとつひとつが頭の中で勝手に巨大化し、強い衝撃を与えた。そしてそれは、私の今までの叱責された記憶を掘り起し、それまで生きてきた人生全体を揺さぶるのだった。
結局、自分の心中で勝手に大きくした衝撃に耐えられず、僅か三ヶ月でアルバイトを辞めた。注意してもらえることは有難いことのはずなのに、ただ辛いとしか感じられない自分が社会不適合者に思えた。
アルバイトを辞めてから更に堕落した日々が続いた。勉強に対するモチベーションは既に消失しており、ただ出席日数のために大学へ行く日々を送った。人と関わることが嫌だったのでサークルには入らず、昼食もいつも一人でとった。目標もなかったので、授業は必修科目以外、楽そうなものを適当にピックアップした。出席日数のために授業に出て、おもしろいと思えない講義を聞き、試験で困るからという理由でノートを取る。友人が誰もいないので、うっかり居眠りもできず、出席表の代理提出も頼めない。
帰宅後は、昼間でもカーテンを閉めて電気を消した薄暗い部屋で、布団の上に仰向けに寝転がり、古びた天井を眺めるのが日課になった。大学生活を謳歌したいと思っても、もうそんな気力も体力も残っていなかった。若さから生み出される夢や希望といった情熱的なエネルギーは枯れ果て、砂漠の地面のように乾きひび割れた生気のない心だけが残っていた。
暗い部屋の中で一人悶々と天井を見詰めていると、濁った思考にどんどん引きずりこまれていく(大学へ行っても会話する相手は誰もいないので、自分が触れる言語は思考やそれが生み出す独り言、そして物語だけだ)。蟻地獄か底なし沼のようだ。そして、そのような思考は大抵良質なものではない。私の場合は将来への不安だった。三ヶ月程度でアルバイトを辞めてしまった事実は、寝床に抑え付けるように私に重くのしかかる。アルバイトだ。社会人(正社員)としての仕事に比べれば負荷は遥かに小さい業務だ。それを放り出した。いや、正しくは業務自体には何も苦しさは感じなかった。叱責に対してだ。業務が重大さを増し、重い責任が伴えば、失敗したときの叱責は、周囲への不利益は、格段に跳ね上がるだろう。それを思うと、耐えられる気がまったくしない。
就職などまだまだ先のことなのに、そんなことに本気で怯えていた。大学生活はまだ始まったばかりだというのに。楽しさなどというものは日々から完全に欠落していた。大学に行っても落ち着かない。周囲から、アルバイトを二年続けて昇給した、三つも掛け持ちしているなどという話が耳に入る度に、社会に出ることへの怯えが刺激され巨大化した。皆平気でやっているのに、どうして私は耐えられなかったのだ。そんな言葉が聞こえてくると、いつも私は耳を塞いでその場を離れた。
私は逃げるように読書に没頭するようになった。何も耳に入れたくないので、空き時間は大学の図書館で好きな小説を貪るように読んだ。私語厳禁なことがこれほど有難いと思ったことはなかった。周囲の声から逃れたいという消極的な動機で好きなことを再開する自分の姿は、後で思い返すと悲しくなる。しかし、当時はそんなことを考える余裕はなかった。ただ耳を塞ぎたかった。
だが、何もしていない時間はやはり怖ろしい。帰宅して布団に寝転がっていると、学校での他者の会話が、待っていたと言わんばかりに脳内で何度も何度も再生されるようになった。深い水の底から空気の泡が上り、音を立てて水面で弾けるように浮かんで来るのだ。自室にまで入り込んできたそれを見たくなく、家でも病的なまでに架空の物語を求め、浸るようになった。
しかし、そうして本にのめり込むほど、空白の時間は恐ろしくなっていく。夜眠りに就く前と朝目覚めた直後は、際限なく生み出される思考という獣にいつも喰われ、ずたずたの肉塊になった。一人暗い部屋で過ごしたことで弱り果てた私を容赦なく食いちぎっていく獣。肉が裂かれ、骨が噛み砕かれ、血が大量に溢れ流れる。臓物も食い尽くされ、空っぽになった皮と骨の残骸が寝床に虚しく横たわるのだ。涙で頬を濡らして。そんなとき私は急いで本を開く。開いた直後は物語の世界に入り込めないが、すぐに獣は見えなくなり、作品に没頭できるようになる。そうして何とか一時的に獣から逃れることができるのだ。本は私にとっては薬かなにかのようだった。読み終えてしまえば、頭の中に空白ができてしまえば、ここぞとばかりに獣が飛び込んでくるからだ。読んでいない本がないなどということがないように、いつも何冊か未読本をストックした。そのため学校帰りに古本屋に立ち寄るのが習慣になった。とにかく能動的に活字を読んでいないと不安だった。
未来が怖い。社会人になることが怖い。責任を背負うことが怖い。叱責が怖い。怖くて怖くて堪らない。際限なく膨らんでいく恐怖。墨のように濃い黒色で、不快な粘り気が強い。目に見える形を持たないが確かに存在し、私の生活の隅々まで入り込んでくる。そんな恐怖と共に過ごす生活は、真綿がぎっしりと詰め込まれた狭い棺の中に入ってでもいるかのように息苦しいものだった。