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母娘の牢獄  作者: 関黒一基
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第十二話

 死は許されない。もう、一度死んでしまっているから。発狂も許されない。死や発狂というもの自体、そもそもここには存在しない。どれほど過酷な状況であっても。どれほど自分の存在や、していることの意味が分からずに苦しもうとも。

 私たちは皆自殺者だ。人間としての生活に悩み、苦しみ、そのために生きることを放棄した。生きて、自分の役割を果たす義務を放棄した。動機はそれぞれ違えども、皆命を投げ出した者として、その罰を受けるために「ここ」にいる。「ここ」とは人間の世界で言う牢獄のようなところだ。牢獄よりも遥かに恐ろしく、苦役を強いられるところだが。生前罪を犯した人間同様、自殺を選んでしまった者たちは、囚人となりここで償いをするのだ。

 ここでの一日についてお話ししよう。

 朝、私たちは岩でできた、固く冷たい洞穴のような囚人房で起床する(死んでいるが一応睡眠というものはある)。そして外に出て「労働」する。だがそれは、生前経験した労働とはまるで性格を異にするものだ。ここでの「労働」には意味がまったくない。現世の労働は「それを通して社会に貢献する」という大きな意味を有する。何らかの形で誰かの役に立ち、その対価として労働者は賃金を手にする。至極当然のことだ。しかし、ここでの「労働」は誰の役にも立たない。私たちが苦しむためだけに存在している。

 その内容は、ひとりひとりが持ち上げることのできる限界の重さのブロックの山を、十メートルほど離れた指定の場所に移動させるというものだ。岩でできた床に血の様に赤黒い線で円が描かれており、その中に運んだブロックを積み上げる。ブロックの数は三十個。すべて移動し終えると、ブロックは溶けるようにそこから消え、元の場所に戻る。それを再び先ほどの場所に移動させる。するとまたブロックは消えて元に戻り、またそれを移動させる。延々、その繰り返し。もはや労働などと呼べるものではない。それは異形の看守が終了の笛(酒の一升瓶ほどの大きさの真っ黒な笛で、発狂した女性の金切り声のような音を出す)を吹くまで続けなくてはならない。

 私たちは皆、生きていた頃と寸分違わぬ肉体を与えられている。しかし、その肉体には生前にはなかった、あり得ない特徴がいくつか備わっている。ブロック運びにより肉体に疲労は蓄積するが、決して動けなくなることはない。私たちの身体は怪我もするし、痛みもしっかりと感じ取る。ブロックを運ぶ最中、腕は常に激痛を感じる。掌に夥しい数の肉刺ができ、潰れ、血が流れる。更に、看守から鞭で打たれ、ブロックの山が崩れ落ち、肉体は常に破壊される。しかし、それでも身体は動き続ける。動き続けなくてはならないのだ。骨折レベルの外傷など日常茶飯事だ。だが、どれほど重傷を負ったとしても、身体は動く機能を失わない。そして、一晩の眠りから目覚めると傷は完全に癒えている。不気味なこと極まりない。

 看守が終了の笛を吹くまで、労働を中断することは決して許されない。少しでも休んでいると、彼らは私たちの背後に忍び寄り、強烈な鞭打ちを浴びせる。鞭の痛みは凄まじく、一度打たれただけで、打たれた部位が業火で焼き尽くされているかのような感覚を味わう。打たれた箇所に細長い巨大な傷の口が開き、空腹の赤ん坊のように血の唾液を滴らせる。現実に生きている人間なら、きっと数回打たれただけで身体が死を選んでしまうだろう。だが、私たちは死ぬことができない。発狂することもできない。どれほどの激痛に襲われようとも、ここに存在し、無意味な労働を続けなくてはならない。それが私たちの「罰」なのだ。

 労働が終わると洞穴の部屋に戻り、就寝時間となる。食事はない。命はないのだから当然だが。しかし、睡眠の時間と機能は与えられている。就寝時間になると、看守が部屋にやって来て鉄格子の扉を閉め、去っていく。そしてしばらくするとまたやって来て薄桃色の粉を掌にのせ、鉄格子越しに囚人に吹きかける。すると、囚人はたちまち眠りに落ちてしまう。そして、悲痛な夢の世界へと誘われる。夢の内容はひとりひとり異なるが、自殺に至るまでの人生の記憶が映像となり、繰り返し再生されるという点で同じである。夢の中でもう一度、自殺するまでの人生を反芻し、凝視し、何故自分は死を選んでしまったのかと悔いるのだ。そして絶望と後悔に打ちひしがれ、涙を流しながら眠りから覚めるのだ。もう取り戻すことのできない人生。自分が放り出してしまった人生。焼けるような苦しみを味わおうとも、あと少し、ほんの少しだけ生きることを受け入れていれば……。人生に立ちはだかった苦しみの意味を考え、少しでも理解することができていれば……。そうすれば、こんな拷問を受ける必要などなかったのに。やりきれない思いを抱えながら、私たちは日の昇らない、希望のない朝を迎える。そしてまた労働に従事する。それが私たち「囚人」の悲痛に満ちた一日だ。

 私たちは質素で汚らしい襤褸切れを衣服としている。素材が何なのか見当もつかないが、おそらく生前の世界に存在するものではない。布は薄く、見た目は藁のような色をしており、いかにもちぎれやすそうだが、実際は固くてちぎることなど不可能だ。囚人房に転がっていた尖った石を使って切り裂こうとしたことがあったが、まったく無駄だった。そのくせ、転倒したときや鞭打ちを受けたときの傷は布などないかのように深く、濃く、私たちの柔肌に刻み込まれる。そして、看守に鞭で打たれても、衣服は裂けるどころか傷一つ残らない。実に都合の良い代物だ。

 ここの看守たちについても述べておかなくてはならないだろう。先ほど「異形」と形容したように、ここの看守たちは皆、人間とはかけ離れた醜悪な容姿を持つ。彼らは身長二メートルを超える筋肉質な巨体に赤土のような色の皮膚を纏っており、異様に長い腕を胴体からぶら下げている。脚は太いが腕の三分の二ほどの長さで、類人猿のように短足だ。その巨体にそぐわない細長い首と小さい顔。顔の中心より少し上に、ぎょろぎょろと忙しなく動き回る、手毬ほどの巨大な目玉が一つあり、耳元まで裂けた大きな口には、紅を塗ったように真っ赤な唇が貼り付いている。口の中には肉食動物のように尖った歯が不規則に生え、目の直下の肉が僅かに盛り上がり、針を刺したかのように小さな穴が二つ開き、鼻の役割を担っている。耳は人間のそれによく似ているが、吸血鬼のように上が尖っている点が異なる。頭には針金のようなぼさぼさの髪の毛が大量に生えている。衣服は茶色の半ズボンのようなものを一枚身に着けているだけで、腰には私たちを折檻するための鞭が皮ひもで括り付けられている。彼らは私たちが自身の罪の重さを噛み締め、無意味な労働という重苦をもって償い、鞭打ちという折檻に悲痛の叫びをあげる様を眺めることに至高の悦楽を見出している。鞭を振るうとき、彼らは涎を垂らしながら低い笑い声をあげる。その声は囚人の五臓六腑を震え上がらせるほど強烈で、息をすることさえ忘れさせる。労働を終えても、その笑い声は囚人の細胞ひとつひとつに染み入り、眠りに就くまで解放してはくれない。私たちは皆看守を怖れている。

 この牢獄は労働場と囚人房の二つから成る。労働場は円形をしており、直径二百メートルほどだ。労働場は三十メートルほどの高さの岩の壁に囲まれている。その壁に穴を掘って作られた囚人房が、だだっ広い労働場を取り囲むように等間隔でずらりと並び、鉄格子の扉一枚を隔てて労働場と繋がっている。労働場には囚人たちが労働に使うブロックの山が幾つも聳え立っており、私たちを嘲笑しているように見える。囚人房と労働場を繋げる鉄格子の扉の中に混じって、私たちがこの牢獄に来るときに通ってきた両開きの扉がある。その扉は真っ黒で高さ四メートル、横幅二・五メートルはあろうかという巨大なものだ。その扉の向こうには一本の長い通路がある。その通路は果てしなく伸び、左右の壁に等間隔で扉が並ぶ。その扉を開けると六畳ほどの広さを持つ正方形の部屋が広がる。そこは自殺を犯した罪人を一時的に閉じ込めておく部屋だ。自殺により命を失った者はこの部屋で目を覚まし、自身を取り巻く状況を飲み込めず困惑する。一部屋に一人ずつ入れられるため、言葉を交わす者もいない。汚染された川の濁流のように不要で無意味な思考や感情に頭が飲み込まれ、理解の混沌を味わうのだ。そんな部屋の扉を両端に構えた通路は長すぎて先が見えない。扉と扉の間の壁には松明が打ち付けられて廊下を照らしているが、豆粒のように小さくなる通路の先を満たすのは闇だけだ。


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