3.竜の巣
「戻れ! オグリアス!」
北の村カマームの境界を仕切る大柵を飛び越えて、取り出した無地のカードを光らせたロディオは先ほどまで跨っていた愛馬、幻獣の白馬オグリアスを召喚カードの中に引き戻す。
召喚カードに優雅な白馬の絵柄が納まったと同時に、着地したロディオは優しく抱きかかえていたティシリアをそっと立ち上がらせた。
「……ひどい……」
荒れ果てた村の景観をまざまざと見つめ、地面に足を着けたティシリアはやっとそんな言葉しか言えなかった。
まだ炎の残るあぜ道、なにか暴力的な強い力で破壊され塀の数々。
武器屋や道具屋など主要な建物は、看板が外れていたり壁が傷だらけになっていたりと小規模な被害はあったが、それでもまだ直に破壊された民家などはないようだった。
しかし他に目を移せば、ここから離れたところに見える畜舎と思しき建物などは悉く破壊され、中で生きていたはずの命は無残にも屠られたことが容易に想像できる。
その証拠は酷い死臭として村のあちこちから充満するように漂ってきていた。
「襲われてからまだ日にちが経っていない……? 血や焼け焦げている場所がまだ比較的新しい……」
もし負傷者がいたらティシリアの治療魔法の出番だったのだが、そんな状況でもないようだった。
家畜たちの原形を留めない死体は悍ましい血や肉片の飛び散った痕としてそこかしこに喰い散らかされている様子がありありと分かるが、人によるものはまだ一つも見つけてはいない。
「どういうことなんだ……? 竜は人を食べないのか?」
そんな話は聞いたこともないが、事実、人間という犠牲者の痕跡は確認できない。
そんな不可解な現状に警戒心を抱きながらロディオが一歩を踏み出した時だった。
柵を突き破ってあの緑の竜が勢い余って村の大通りへと躍り出たのだ。
「ロディオッ……」
あまりの突然の事に振り返ったティシリアが身構える。
同時に振り向いたロディオが大通りへと掛けていくとそこにはあの緑竜がいた。
あの緑色のドラゴンはオーソドックスな種だ。
そのドラゴン、緑色の鱗に覆われたグリーンドラゴンは鼻息を荒くし、呼気で揺らぐ炎を口元で燻らせながら目の前に現れた獲物を凝視している。
どうやら空腹らしく、今にも襲い掛かってきそうな獰猛な視線は瞬きを繰り返すたびにその狂気を増幅しさせていく。
そして腹に空気を溜めたドラゴンはとうとう飢餓感に堪えかねたように大きく吠えた。
吠えてこの村のそこかしこでうろついてるだろう他の竜たちに敵が侵入したことを知らせている。
瞬間、ここへ近づいてくる振動が一瞬にして増えた。
一つや二つではない、5か6つかそれ以上の地ならしが、のこのこと縄張りに侵入した獲物目掛けて集まろうとしている。
それは恐怖以外の何物でもなかった。
この廃村を揺らす地響きがすべて集まった時、か弱い二人の血肉は絶叫の下に集まった竜たちに喰い鍔まれ、無残な姿へと変わり果てて土に還されるだろう。
そんな想像が頭を過ぎり判断力を鈍らせていることを痛感する前に、目の前のドラゴンが襲い掛かってきた。
二足歩行で立ち上がり、民家をも吹き飛ばす鋭い鉤爪の伸びる細い前脚をロディオに振り下ろす。
だがその振り下ろされた凶爪をロディオはいとも簡単に弾き飛ばした。
ドラゴンの爪を弾き飛ばしたその手には風の魔法を纏った木の剣が握られている。
「意外だっていう貌だな。そんなに弱い獲物しか相手にしてこなかったのか?」
目を見開きそれでも獲物から視線を離さないドラゴンにロディオは木剣を握ったまま懐に飛び込んだ。
横殴りの爪や蹴り上げられる後ろ脚を躱し、顎や脇、肘裏など間接部位を狙って風を纏わせた打撃系の斬撃を悉く打ち込む。
だがドラゴンは微かにふらついただけで攻撃の手を緩めない。
「それでも堅いのか……。
皮質の弱そうな間接部位を狙ったのにそこも堅い竜鱗で覆われている……。
そのせいで剣に纏わせた打撃系の魔法攻撃をもってしてもダメージを負わせられない……ならっ!」
剣に纏わせていた風を集束させて鋭い刃を構成させる。
「少し本気を出させてもらうよ」
集束させた風の刃を溜めた木剣から一気に放ち、硬質の竜鱗さえ無視して当てた竜の左肩口をバッサリと斬り落とす。
何が起こったのか認識できないドラゴンがその反動で片脚をついた。
「悪いけどそこは邪魔だ。どいてもらおうか」
続けて木剣を前面に構えると細長くも強力な竜巻を巻き起こして、それを、赤い血を噴き出しながならしゃがみ込む竜に向け、逆刃に立てて振り上げ抜き切る。
直後、対象目掛けて伸びていった竜巻は爆風を発生させて巨体もろとも風の砲撃でそのまま村の端まで弾き飛ばした。
「……まず一つ」
握っていた木剣を鍔なり鳴らして、次の戦闘に備え振り向く。
そばにいたティシリアはその光景を茫然としながら見ていた。
「ロディオ……」
「安心するのはまだ早いよ。次が集まってくる」
地鳴りはまだ収まっていない。
振動の大きさからして次に来るのは、今弾き飛ばした竜と同程度のドラゴンが2匹ほどだろう。
「ティシリア、すぐに防御系と、迎撃用の魔法陣の構築をっ」
「え、 えっ?」
「防御系は君の分だけでいい! でもすぐに用意できないようだったらこれを……」
そう言ってロディオが突然の指示に混乱するティシリアに向けて勢いよく切り発動させたのは自分の召喚カードの1枚だった。
「風のゴーレム、ワイトゴーレムだ。これで今から15分間ぐらいは風の防壁が君をドラゴンの攻撃から護ってくれる」
ルイダームの授業中ではこれほどの判断力、指揮能力のキレを見せたことが無かった今のロディオを見てティシリアは困憊している。
「……どうしたの?」
「だってロディオがいつものロディオじゃ……」
「ああ、ルイダームの中じゃ窮屈だったからね。
でも、これでやっと思いっきり自分の魔力を振り回せれるよっ!」
言って今度は、大通りを挟んで両脇に建つ民家と民家の両角から互いに顔を覗かせた二頭の竜を見た。
赤と青のドラゴンだ。
「来るよ。魔法陣を張って!」
「う、うん!」
言われるがままに風の守護巨人の加護を受けたティシリアは支えにしていた賢者の杖の石突の先を地面に当てて、光る領域魔法陣の構築を開始する。
「さて、それでもある程度の数は減らしておきたいな……」
ロディオが風を纏って二匹のドラゴンに向かい走り出した。
二匹の竜が慟哭して襲い掛かるまでに、風の刃を木の剣に集めていたロディオはすれ違いざまにやはり肩口と脇腹からそれぞれ一撃ずつ二匹の竜に浴びせて距離を取る。
だが、初撃でいきなり深い傷を負わされたにも関わらず、それでも竜たちは果敢にロディオに襲い掛かってきた。
「そんなに死にたいのか……!」
襲い掛かる爪や牙や息吹を悉く弾き躱して、木剣の切っ先を青いドラゴンの体躯寸前で止めて唱える。
「吹っ飛べ」
詠唱にもならない言葉を唱えた瞬間、着火させた切っ先から青いドラゴンの足元で巨大な爆発が巻き起こった。
爆風と塵旋風が荒れ狂う中で遠く彼方に吹き飛ばされたドラゴンの巨体が、それだけの所作で村の果てまで弧を描いて小さく落ちていく。
「次はお前か……?」
爆風が治まる中。
青い衣をはためかせながら残る赤い竜に向けてロディオは鋭い視線を投げかけていた。
それを感じ取って残る赤い竜が一歩後退ったのが分かる。
「なんだ……?」
ロディオはこの竜の咄嗟の仕草に、得も言えない違和感を覚えた。
「お前……人の言葉が分かるのか?」
確かめようともう一歩近づくと確かにそれに呼応したように赤竜がもう一歩後退った。
その様子を目にすると、ロディオの中でこの赤竜から感じる違和感がさらに大きくなっていく。
「なんだ?……ほんとに……」
観察しているとどうやら赤竜は自分の背後が気になるようだった。
何で背後を気にする?
仲間が来るのを待っているのか?
それにしてはこの赤い竜から感じる焦燥感は一体……?
「ロディオ……?」
魔法陣を展開させ集中力を維持したまま長く透き通った髪を靡かせてティシリアがロディオを目で追っていた。
それに反応して赤竜は標的をロディオからティシリアに切り替えた。
「ダメだ、ティシリア! 下がって!」
ドラゴンが口に溜めていた炎の息吹をティシリアに目掛けて放つ前に、ロディオが下顎を風の剣戟で打ち上げ、次に竜巻を伴った剣の連撃で赤竜の巨体を青い竜とは正反対の大通りの北まで突破力を纏いながら押し上げ、最後の一撃で背後に連なる山脈の麓にまで弾き飛ばす。
そして最後の竜がいなくなり、今では遠く離れたティシリアの下に戻ろうとした時だった。
そこは北の大通りの行き止まり。
気付けば帰る行く手を阻むように新たな二体のドラゴンが立ち塞がっていた。
そして東と西の民家や雑木林の影から現われる新たな四体のドラゴンたち。
「全部で六体か……」
合計六体のドラゴンたちがロディオの様子を伺うように円を描きながらゆっくりと取り囲み始めていた。
ロディオは知らず知らずのうちに包囲されていたのだ。
「これはまずいな……」
その状況下に置いて、置いてきてしまった今の魔法陣を展開することに集中しているティシリアを一人にしておくことはかなり危険だった。
まだどこかに他のドラゴンが隠れているかもしれない。
いやそれ以上に……。
「ひょっとしたら、最悪の事態なのかもしれない……」
ことここにおいて、いま思い至った事態からは最悪の状況が予想できた。
相変わらず取り囲むドラゴンたちからは鋭い殺気が感じられる。
その内の一体が待ちきれなくなったのか、痺れを切らして襲い掛かってきた。
それを合図に他の竜たちも一斉にロディオに襲い掛かる。
それらの襲撃を掻い潜り、ティシリアのいる方角、ドラゴンたちの隙をついて逃げ去ろうとした時だった。
最後の一撃、竜の爪撃を躱して着地しようとした瞬間、真横からの尻尾の一振りが襲いかかり、急ぎ空中で体勢を変えたロディオは尻尾のヒレ部分を掠めながらも辛うじて着地に成功する。
「やっぱりこの竜たち、連繋技を学習している」
命からがら竜の包囲網を突破したロディオは驚いていた。
野生生物のレベルではまず習得できない戦術規模での連携攻撃。
爪の攻撃を誰かがすれば隙のできた瞬間に他のどれかが横殴りの尻尾攻撃を繰りだす。
それはまるで誰かに仕込みこまれたものでもない限り、野生動物ではまず習得することなどできない高等な戦術上での連携行動だ。
「このドラゴンたちを飼い馴らしているヤツがいる……」
しかもこれだけの数の竜たちをここまで高度な戦術的行動に取らせるまでにだ。
「ロディオっ!」
そこで背後の南側から足早に駆けてくるティシリアの声が響いてきた。
「ティシリア?」
「大丈夫? ロディオ」
「だめだティシリア! ここから離れて!」
「え?」
言ったそばから、風や炎の属性の息吹が地面を薙ぎ払いながらロディオたちに襲い掛かってくる。
ロディオが大きく飛びあがり、近づいてきたティシリアの身体を抱きかかえあげ息吹を躱しながら距離をとって着地する。
「どうしたのロディオ?」
「まずい、ティシリア。この村には飼い主がいるっ……!」
「テイマーっ? まさかそんな、ドラゴンの?」
ティシリアの信じられないといった表情にロディオは頷く。
「しかも一人や二人じゃない。九頭ものドラゴンにここまでの芸当を仕込むなんてパーティー規模のテイマー集団だ。
まず、まちがいなくその集団の長はマスター級だろう」
「そんな……龍使いがこんなところに……っ?」
ティシリアの絶望した顔が手に取るように分かる。
それは龍使いと言われる竜使い(ドラゴンテイマー)の上級職だ。
職昇解放と呼ばれるおよそ冒険の初心者には関係ない特別儀礼を経て辿り着くことのできる一つの境地。
仮に本当にドラゴンマスターがいるのなら、それに対抗できるのはやはり他の上級職、白騎士やウィザード、高僧侶といった名立たる上級職種ぐらいだろう。
いやしかし、ことの重大さはされだけではないのだ。
それ以上に恐ろしいのは龍使いはおろか竜使いという、そんな一般的に聞こえるクラスでさえ、それに就いている者など人類側にはたった一人だっていはしないという事実である。
人間に飼いならされるほど竜は生半可な生物ではないのだ。
もしそれを飼いならせる者がいるとすればそれは確実に魔族と呼ばれる種族だろう。
「そんな……魔族……?」
この世界で魔族と言えば絶対に例外なく魔王軍の者たちのことを指す。
人間とは違い、魔法の直接的な燃料となる魔力という力を先天的に備えて生まれてきた魔界より来たりし選ばれし者。
「そうだよ。確かにあたしは魔族だ。
しかし残念。
この村にいるのはあたし一人だけで。
もちろんドラゴンテイマーやドラゴンマスターなどじゃあ一切ないっ!」
彼方から伸びてきた蛇蝎のごとき黒き影の破壊力が、竜巻さながらに触手のように暴れ、村の中にある木々を次々となぎ倒し、道を開かせる。
その圧倒的な威力に怯み、ロディオたちを視線で追っていた色とりどりのドラゴンたちは主人の登場で頭をさげ下がりだした。
怖れていたドラゴンたちの飼い主が現われたのだ。
「あたしの名はシキだ。
竜飼いのシキ。
アンタたちがあたしの可愛いドラゴンたちを可愛がってくれたのかい?」
肩に担いだ大杖の様に長い柄から垂れ下がる、その柄のさらに三十倍は長い革縄部分をだらしなく垂れ提げて、その魔族の少女。
ドラゴンブリーダーのシキ。
シキ・イマイロイ・ライセンは現われていた。