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nail.

作者: 八ツ橋

わたしにはなにも無い。


謙遜とか自己否定とか、そういうんじゃなくて、本当になにも無い。


誇れるものが、何ひとつとして無い。



顔もすごくブスってわけじゃないけど、特に特徴も無い。


声も普通、身長も体重も、全部全部普通。




先月25歳になってしまった。

一般企業の事務員として、なんとなく働いている。

就職も確固たる想いがあって入ったわけじゃないから、目標もなく決められた仕事を処理する毎日。



ほんとーに、つまらない人生だ。



そんなわたしにも唯一の楽しみがあった。


3週間に1回通っているネイルサロンだ。


ここに行けば、普通のOLから少し、キラキラした自分になれる気がするのだ。



「ほんとーに爪の形が綺麗ですよね。」


初めて施術してくれた日から、毎回担当のネイリストさんがそう褒めてくれる。



「そうですかね。意識したことないからわからないんです。」


そしてわたしはいつもこう答えるのだ。

滅多に褒められた経験がないから、うまく返答できなくて困ってしまう。



「秋が近いから、ちょっと落ち着いたカラーにしてみますか?」


「うーん。お任せします。」



自分からデザインの提示はしない。

完成が見えてしまってはつまらないからだ。

いったい今度はどんな自分になれるのだろう。

そういうドキドキを求めているのかもしれない。


完成までなるべく爪は見ずに、店内で流れているDVDを観る。

そこには人気急上昇中のバンドのライブ映像が映し出されていた。


じーっと画面を見つめるわたしに気付き、ネイリストさんが話しかける。


「かっこいいですよね。今大人気のバンドですもんね!」


「そうですね。」


「誰が一番好きなんですか?」


「いや、あまり詳しくなくて…。」



なんとなく嘘をついた。

本当は2年前からずっと好きで、いわゆる追っかけをしているくらいなのに。



「私は、ボーカルが一番好きなんですよねー!」


「…そうなんですか。」



わたしもです!って言いたかったけど、


言えなかった。



だって、


誰にも言えないけど、


彼に本気で恋をしているから。



自分でもわかってる。

現実を見なくちゃいけないとか、恥ずかしいことだとか、そんなことはわかってる。


でも、好きになってしまったんだからしょうがないじゃん。




最初は普通のファンだった。

友達に連れて行かれたライブで好きになって、なんとなく通っていた。


最初は地元だけだったのに、そのうち遠征もしていて、自分でも驚くくらいハマっていた。


そして、気が付いた時には恋に落ちていたのだ。



正直カッコ良くはないし、性格も良さそうには見えない。


だけど、彼とどことなく似ている気がして、どうしても自分に重ね合わせてしまうのだ。




「はい、お疲れ様でしたー。」


ハッと我に返り、キラキラと輝く爪を見る。



ベースカラーがピンクベージュ。

人差し指と薬指がブラウンのドット柄で、中指と小指がブラウンのフレンチになっていた。


うっとりと眺めていると、まだ親指を見ていないことに気付く。



「わぁ…チョコレートみたい。」


まるでチョコが溶け出したようなデザインに、心を奪われた。


「これ、来月からのデザインなんですけど、やっぱり爪が綺麗だと映えるなー。」


「ありがとうございます。今までで一番気に入ったかもしれない。」





サロンを出ると携帯が鳴った。


一緒にバンドの追っかけをしている友達からだった。



「もしも」「ねえ、メルマガ届いてた?!」


わたしの声を遮るように、すごい剣幕で問われる。



「え?ううん。」


「来週、握手会あるって!」


「握手会?」


「FC限定の握手会!!やっと、会えるんだよ!」


「会える…?」



びっくりしすぎて携帯を落としそうになった。


嬉しいを通り越して、震えが止まらない…。



やっと、会えるの?

彼に、会えるの?



握手会の開催自体は2度目だけど、前回はどうしても仕事を休むことが出来なくて、泣く泣く諦めた。

だからこそ喜びもひとしおなのだ。



友達との電話を切り、急いでメールをチェックする。


件名に『FC限定握手会開催決定!』と書かれてあるのを何度も確認した。


開催日時…よし!土曜だから仕事も休みだ。


ひとまず安心したが、違う不安心に襲われた。


「なに話そう…。」




当日まで悶々と、なにを話すかについて考え続けた。

もちろん仕事なんて手につかなかったし、ロクに眠れもしなかった。

毎日彼のブログをチェックしては、まだ会えたわけでもないのに涙が出そうになるのをこらえたりもした。



「とりあえず、少しでもわたしのことを覚えてくれたらいいな。」


好きな人は、今をときめく大人気バンドのボーカル。

ただでさえ一番人気のある人だから、覚えてもらえるなんて本気で思っていないけど。




当日の朝は、いつもより早く目が覚めた。


念入りに髪をブローし、コテで毛先を内側に巻く。


化粧もいつもの倍時間をかけたけど、こういうときに限ってうまくいかない。


雑誌かなにかで香水はあまり好きじゃないと言っていたので、ヘアーコロンにした。


服も、この日の為に買った清楚なワンピースで。



何度も何度も鏡で確認したけど、いつものわたしが映るだけ。


そうこうしてるうちにあっという間に時間が過ぎて、開場ギリギリになってしまった。


会場は2000人程集約できるライブハウスだった。


入場するとスタッフが握手会の注意事項を説明して、あっという間に握手会がスタートしてしまった。



「それではメンバーが入場します。皆さん、拍手で迎えてください。」


スタッフのナレーションが聞こえたと思うと、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こる。


列の後方にいたわたしは、それだけで物怖じしてしまう。



やっぱりすごい人気なんだな。

改めて実感すると、急に恥ずかしくなってしまった。



こんな人に恋をしてるなんて、バカみたいだ。

結局は現実から逃げてるだけで、恋に恋をしているだけなのかもしれないな。


握手、出来るだけでいいや。



急に現実に引き戻されたわたしは、なんだか緊張が解けて気持ちが楽になった。


周りを見る余裕も持てるようになった。



いつものライブでは見ないような光景だ。

みんなお洒落してるし、髪もセットしてる。


あ、あの人いつも来てる人だ。

ライブではパンクっぽい格好をしてるのに、普段はあんな可愛い格好してるんだ。



人間観察をしていると、やっとバンドのメンバーが見えた。

握手の順番は、ドラム、ベース、ギター。


そして、ボーカル。


他の人に向ける笑顔を見て、胸がチクリと痛んだ。



しょうがないよ、仕事だもん。

あ、やばい。泣きそう。


さっきまでは大丈夫だったのに、気持ちがかき乱される。



ついにわたしの順番がまわってきた。


ドラム、ベースとは、「応援してます」「ありがとう」みたいな定型文のやり取りしかしなかった。

ギターに関しては全く覚えていない。

まさに心ここにあらずだった。

チラチラ視界に入る彼が気になって、仕方がなかったから。



ついに、彼の番だ。



「こんにちは。」


「こ、んにちは。」


恥ずかしくて顔を見ることが出来ない。

首元あたりを見ながら話す。


「さっきさ。」


「はい。」


「なんで泣きそうな顔してたの?」


「はい…え?!」



急に彼に質問されてテンパる。

さっき?さっきっていつ?もしかして整列のとき?見られてたの?


あわあわしていると、彼が触れていたわたしの指をまじまじと見た。



「手が、すごく綺麗だ。」


「えっ?」



顔を上げると、だいすきな彼の顔が目の前にあった。


スタッフの「お時間です」と言う声は聞こえていたけれど、金縛りにあったみたいに身体が動かなかった。


両肩を叩かれて気が付く。



「あっ!す、すいません!ありがとうございました!」



多分相当なアホ面で彼の事を見ていただろうと思い、恥ずかしさで死にたくなった。


慌てて出口から出ようとすると、背後から彼の声が聞こえた。



「僕、チョコが大好きなんだ。」



振り向くと、もう彼は他の子と会話をしていたけれど、


右手で小さく手を振ってくれていた。




胸がじーんと熱くなる。

溢れる想いを胸に押し込めながら、わたしは会場を出た。









わたしにはなにも無い。


誇れるものが、何ひとつとしてない。



そう思って生きてきた。





次、ネイルサロンに行ったときには必ずこう言おう。



「わたしも、そう思います。」

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