君を失ったときは
*
僕は病の床にある理香子に付き添っていた。病院内でも特にこの個室は重病で先がない患者たちが一般病棟から移されるのである。さすがに末期のガンで顔の色はグレーに近かった。ほぼ寝たきりで栄養は口から取れず点滴だったし、生命維持装置も付けられている。まだ二十代半ばなのに彼女は胃ガンを患っていたのだ。同じ年代にいる人間の一人として、とても気の毒でならなかった。ただ酸素マスクを付けていても、こっちが言ってることは分かる。ずっと付き添い続けていた。もう理香子は先がないのである。残された時間と命を使って人生を全うするしかないのだ。ずっと手を握り締める。可哀相だが、致し方なかった。今の医療で末期の胃ガン患者を救う道はなかったからだ。そして彼女の病状は日に日に悪化していった。担当医も、
「もう痛み止めも効いてないでしょう。近々旅立たれるものと思われます」
と言う。
「何か彼女にしてやれることは?」
僕がそう訊ねると、医者が一瞬目を見据え、
「ただ付き添って差し上げるしかありません」
と言った。涙が溢れてくる。なぜ何も悪いことをしたことがない理香子がなぜこんなに早くあの世へ旅立たないといけないのか……?歯がゆいという言葉があるが、まさにその通りだった。興奮する気持ちを落ち着けて深呼吸する。病院特有の消毒液の匂いが鼻腔に入ってきた。ずっと彼女は酸素マスクを付けている。自力呼吸は難しいらしい。医者は一礼して部屋を出た。部屋の窓のブラインド越しに夕日が沈んでいくのを見る。大きな太陽はまるで走り去るようにして、地平線の彼方へと消えていった。蜜柑のような色をした夕日が落ちて残照がある。それと同時に辺りに暗闇が訪れた。漆黒の闇だ。真っ暗である。その日、病院の食堂で夕食を取り、ずっと理香子に付き添う。一晩徹夜で見続けた。午前三時過ぎ頃、疲れ果てていたのでベッドサイドにあるテーブルの上に頭を載せ、知らず知らずのうちに眠ってしまっていた。
*
数日が経ち、十一月も半ばを過ぎた頃、理香子は亡くなった。遺体となった彼女を見ながら、まるで空蝉のような気持ちになっていたのが本音だ。何も言葉が出ない。一体何があったんだろうといったような感じで、疲れ果てていたのだけははっきりと覚えていた。理香子の父親の真吾が、
「謙三君、娘の葬式には着てくれるね?」
と訊いてきたので、僕が黙って頷く。母親の恵津子も若くして死んだ愛娘に対する悲しみが込み上げてきて涙が止まらないらしく、ずっとハンカチを持って目元を拭い続けた。それから先、喪主となった真吾が取り仕切る中で、葬儀が執り行われる。僕も参列した。葬儀は死んだ人間が若かったからか、集まった人間も少なくて、極めて形式的なものだった。祭壇には花が飾られ、十代のときの写真が遺影に入れてある。悲しみは涙の粒となって溢れ出る。特に二十代という、まさに人生の出発時に死んだ理香子は誰よりも気の毒だった。やがて葬儀は終わり、出棺の時間となる。遺族と友人・知人が集まり、お棺の中に花や遺品などを入れて、やがて葬祭場の外へと運び出される。これから火葬場で遺体が焼かれ、煙突から出る煙と共に彼女は空の彼方へと旅立つ。二十年とちょっとの人生じゃあまりにも短過ぎる。確かに人間は年を取って普通の人以上に長生きすれば嫌われもするし、疎まれることも多いだろう。だけど理香子は二十代で逝ってしまったのだ。しかも現代医学でも未だ不治の病であるガンを患って。
遺体が焼き上がった後、彼女は白い骨になった。真吾や恵津子、それに僕や他の友人・知人たちで骨を拾う。そして骨壷に収め、皆が山の中にある火葬場から貸しきっていたバスに乗り、街へと帰る。ちょうど焼ける際に出ていた煙が煙突から出ていて、
〝ああ、君は今確かに空の彼方へと旅立ったんだね〟
と思った。そして涙が溢れ出る。ドッと。ハンカチで拭い取りながら何もなかったかのように毅然と振舞う。ハンカチは涙ですっかり濡れてしまっていた。これがホントの意味での悲しさなのだろう。偽りのない。僕自身、ここ数日ずっと理香子に付き添っていたので疲れていた。夜もろくに眠っていなかったし、食事も思うように喉を通らなかったのが現実だ。人の死に接してきたことは何度もあったが、愛する人の死に接したのは初めてだった。およそ一生で何度かしか経験できないことである。
*
鳥になって大空を自由に飛べたら、天国にいる理香子に会いに行けるかなと思うこともある。だけどそれはあくまで仮定の話だ。実際出来るわけがない。ただ恵津子から渡されていた理香子の遺髪は大事に持っていた。幾分茶色がかっている髪の毛で、抗がん剤の投与で抜け落ちる前にそっと切って持っていたらしい。少し香りが残っている。嗅ぐと彼女のしていたシャンプーの残り香がわずかに漂ってきた。大事に取って持っている。それにしても大切な人を失うのがこんなに辛いとは思っても見なかった。確かに身内の葬儀などには出たことがあるのだが、まだ若い僕にとって大切な人と死別するのはあまりにも早かった。葬儀が終わって理香子の自宅で恵津子と再会し、話をしていたとき、
「謙三君、理香子のことはもう忘れて、新しい彼女を見つけて」
と言ってきたのだが、
「とんでもないです。僕の中にまだ理香子は生きてます。呼吸してます。笑ってます」
と断言した。それだけ思いが強かったのだ。決して彼女のことだけは忘れられないだろう。念じるようにして思っていた。しっかりと力を込めて言えるぐらい愛している。これが愛しい人を想う人間の心だ。僕自身、ずっと感じ続けてきた。理香子はまだ自分の中で生きていると。何も怖がることはないと思っていた。怯えるのは冬の夜の街の暗さの中だけで十分だ。何も他に恐れることはない。鳥になるのが無理ならば風になってもいい。大空に吹き付ければ、天国の理香子と同じ空気を吸えるのかもしれないのだし……。
涙が溢れそうなときは思い切って泣けばいいのである。我慢することはないだろう。それにきっと理香子にも伝わっているはずだ。僕の流している涙の意味が。そして心の中にある想いが。あの理香子の分身とでも言うべき遺髪はまだ取ってある。何か心に穴が開いてしまったときは、それを見てまた傷を塞ごう。きっと癒えるはずだ。どんなに辛くてどうしようもなく痛い傷でも、きっと彼女の残してくれた髪がそれを塞いでくれる。ずっと一緒だ。もうあの笑顔を見られるのは携帯のカメラに撮り残していた写真だけなのだから……。
時は全てを洗い流してくれるかもしれない。でも絶対に忘れはしない。最後まで付き添った理香子と過ごした日々の一つ一つを。そして絶えることなき想いを。
(了)