表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/7

第三話:『泥棒と英雄と、汚れた万華鏡』

 その日、京の町には不穏な風が吹き荒れていた。


 佐藤策太郎は、相変わらず「はずれ屋」の軒先で、ゴロ(隊士一号)と日向ぼっこをしながら、社中の改名を検討していた。


「よし、今日からは『地球社中』だ。龍馬さんの『海援隊』が海を助けるなら、わしは地球そのものを助けるぜよ」


「地球を助ける前に、今月の宿代を助けてくれない?」


 おキクが、空の財布を策太郎の鼻先に突きつけた。


「あんたが昨日『最新式の望遠鏡だ』って騙されて買ってきたあれ、ただの竹筒にビー玉詰めたゴミじゃない」


「ゴミとは失礼な! わしにはこれを通して、日本の夜明けが見えたんだ!」


 策太郎が竹筒を覗き込む。見えるのは、歪んだおキクの顔と、キラキラと光るガラクタの破片だけだった。


 その時、路地の向こうから「泥棒だ! 誰か捕まえてくれ!」という悲鳴が聞こえた。

 見れば、小汚い男が風呂敷包みを抱え、猛烈な勢いでこちらへ走ってくる。


「……! きた、これぞチャンスぜよ!」


 策太郎は立ち上がった。龍馬さんならここで鮮やかに銃を構えるか、あるいは理路整然と説得して改心させるはずだ。


「待てい! 逃がさんぜよ!」


 策太郎はカッコよく路地へ飛び出そうとした。……が、運悪く足元のゴロが欠伸をして伸びをした瞬間だった。


「わわっ!?」


 ゴロの尻尾に足を滑らせた策太郎は、そのまま前方へダイブした。


 ドゴォォォン!


 策太郎の頭は、逃げてきた泥棒の腹部に、完璧な角度でめり込んだ。


「ぐはっ!?」


 泥棒は悶絶し、抱えていた風呂敷包みを放り出して気絶した。


「……やった。わしの『頭突き八策』が炸裂したぜよ……」


 星が飛ぶ頭を押さえながら、策太郎が誇らしげに周囲を見渡すと、そこにはいつの間にか、黒い紋付き袴を粋に着こなした、一人の男が立っていた。

 逆立った髪。鋭いけれど、どこか懐かしいような、深い目。

 策太郎の心臓が、今日一番の速さで鳴った。


「……坂本、龍馬さん……?」


 本物だった。噂の中の英雄がそこにいた。

 龍馬は、気絶した泥棒と、地面にめり込んでいる策太郎を交互に見て、豪快に笑った。


「こりゃあ傑作じゃ。銃も刀も使わずに泥棒を仕留めるとは。おまん、名前は?」


「さ……坂本です! いえ、あの、佐藤です! 佐藤策太郎です!」


 策太郎は、慌てて泥だらけの顔を袖で拭った。憧れの人の前で、せめて格好をつけたかった。


「わ、わしも社中を作って、日本を洗濯しようと……その、ドブ川を掃除したり、漬物を漬けたりしておりまして……!」


 龍馬は、策太郎が落とした例の「竹筒の望遠鏡」を拾い上げた。

 策太郎は顔から火が出るほど恥ずかしかった。そんなゴミ、今すぐ捨ててほしかった。

 龍馬はその竹筒を、片目で覗き込んだ。


「……ほう。こりゃあ、面白い」


「え……?」


「このビー玉越しに見ると、血生臭い京の町も、万華鏡のように綺麗に見えるのう。佐藤君、わしらが作ろうとしちゅう『新しい国』も、案外こんな風にキラキラしちゅうのかもしれん」


 龍馬は策太郎の肩をガシッと叩いた。


「おまんは、そのままでええ。わしが大きな船で海を渡るなら、おまんはその足で、この町の泥の中を歩いていけ。おまんのような奴がおるから、わしは安心して上を向いて歩けるんじゃき」


 龍馬はそう言い残すと、風のように去っていった。

 策太郎は、しばらくの間、動けなかった。

 手の中には、龍馬が返してくれた竹筒が残っている。


「……おキクさん。聞いたか? 龍馬さんが、わしを『そのままでいい』って……」


「はいはい。良かったね。でも、その泥棒が盗んだの、うちの店の『おにぎり用の梅干し』だよ。あんた、結局自分の食いぶちを守っただけじゃない」


 策太郎は、照れ隠しに空を仰いだ。

 竹筒を覗く。

 ガラクタのビー玉が光を反射して、泥だらけの路地を、見たこともない黄金色に染めていた。


「いいんだ。わしは、坂本龍馬にはなれん」


 策太郎は、初めて心の底から笑った。


「でも、わしは『世界一の佐藤』になってやるぜよ!」


 歴史の歯車は、確かに龍馬が回している。

 けれど、その歯車が錆びつかないように、泥だらけになって笑っている男が、この町にはいた。

 策太郎の「自称・維新」は、ようやく、ほんの少しだけ輝き始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ