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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪役令嬢を殺せと命じられた殺し屋の話

作者: 相対定理

名前のない影。それが俺だ。

人の命を奪うために造られた、人に似た何か。


俗にいう殺し屋……。


物心ついた頃にはそういう連中に拾われて、人外に育てられた。


まあ、俺のことはどうでもいい。


今、俺はとある令嬢の部屋にいる。正確にはベッドの天蓋の一部になって息をひそめている。

豪奢なベッドのわきには庶民には手の届かない上質な桃やリンゴが置かれている。そのほのかに甘い香りが俺の鼻孔をくすぐってやまない。


だが、その誘惑ももうすぐ終わる。

もうすぐ標的の女が部屋に戻ってくるからだ。


がちゃと扉が開き、一人のうら若き女が入ってきた。


次の標的である侯爵家の令嬢リズ・ヴェラールだ。

月光のような銀髪をゆるやかにウェーブさせ、紫水晶のような瞳を持つ神秘的な美少女。しかし、その表情は常にどこか険しく、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。


今日のリズはずいぶんお疲れの様子だ。浮かない顔をしている。部屋に入ってくるなり、暗い瞳でベッドわきに置かれた果物を凝視している。


いや、違うな、その横に置かれた果物ナイフを食い入るように見つめている。


危ない目つきだ。聞いていた情報とすこし違うな。


情報によると彼女は、新しく有閑階級に入ってきた田舎娘をいびり倒す悪魔のような令嬢だと聞いていた。

が、目の前にいるリズは、とてもそのようなあくどい令嬢には見えない。

どころか、今にも消えそうなほど儚げに見える。


まあ、上からの情報なぞこんなものだ。

それに、標的であることに違いはない。


俺は彼女を殺すだけ。それだけだ。


さあ、もっとベッドに近づけ。


お前が毎夜夢を見るベッドの天蓋に、まさかお前の命を狙う賊が忍び込んでいるとは夢にも思うまい。


さあ、あと一歩こちらへ。一撃で息の根を止めてやる。ナイフを持つ手に力が入る。


と、その時だった。

ノックもせずに部屋に入る者が。


あれは――


「リズ……なんださっきのいびりは……?」


「殿下……」


この国の第一王子ラトランドだ。栗色の髪を優雅になびかせ、エメラルドグリーンの瞳を細めるその姿は、まさに絵画から抜け出た王子そのもの。


常に人当たりの良い笑顔を浮かべ、誰とでも気さくに話す彼は、貴族の令嬢たちからは「優しい王子様」として慕われ、民衆からの人気も高かった。


「さっきのあの廊下でのいびり……」


そんな人気者の王子はかなり立腹の様子だ。対するリズは子リスのように怯えている。

二人の短いやり取りから察するに、リズが田舎娘をイジメていたところを王子に見られでもしたのだろう。マヌケな女だ。


「殿下、私はもう――」


「言い訳はいい! さっさと(ひざまず)け!」


地団太を踏む王子の前に令嬢リズがおずおずと跪く。いくら指導の為とはいえ仮にも侯爵家の令嬢を跪かせるとか、見かけによらずサドい王子だ。


と感心していると、床すれすれに下げたリズの頭を、王子は力強く踏みつけた。イヤな音が鳴る。


「なんだあの腑抜けたいびりは。あんなんじゃあ、そのあとに会う僕が一服の清涼剤にならないだろ? あ?」


「す、すみません……」


おっと、雲行きが怪しくなってきたな。

王子はリズの銀髪を踏んづけつつも続ける。


「お前は誰のおかげでここにいられるのかわかってるのか?」


「で、殿下のおかげでございます」


「そうだよなぁ!? お前のオヤジが若くに病死して家が潰えそうになったのを、僕の一言で助けてやったんだよなぁ!? だったらもっと僕の意に沿うように動けよ、クズが!」


王子はリズの頭の上にある足をぐりぐりと動かす。なるほど察するにリズは弱みを握られて王子の人形をやらされていたということか。


まるで、どこぞの俺だな。

まあ、俺には握られるような弱みなんてないが。


ただジジイどもの命令のままに人の命を奪う人形――そう、人形には変わりない。


「ひっぱたけ」


「……!?」


「次にフラウワーに会った時に、彼女の頬を思いっきりひっぱたけ。理由は何でもいい。そのあとに僕が偶然を装って彼女にやさしい言葉をかける――」


「そ、そのようなことをしなくとも、殿下の魅力はフラウワーもよく存じおります」


「わかってないなぁ、人の感情は起伏があるから面白いんじゃないか。僕の肩書だけで寄ってくる女は面白くないんだよ。もっと、こう、心の奥底から僕に心酔してもらわないと」


王子はリズの後ろ髪をガシッと掴むと確認のために口を開く。


「さあ、リズ。お前は次に何をするのか言ってごらん?」


「ひぐっ…………フラウワーを……ひっぱたきます……」


「うん、それでいい。頼んだよ」


王子は悪魔的な笑みを浮かべると、リズの部屋から出ていった。


殺す前に面白いものが見られたな。どこの世界にも人形は居るものだ。

俺はなぜかホッとしてる自分に気づいて、戸惑う。

なぜホッとした? 俺と同じような境遇の女がいたから、だから安堵したのか? 

俺と同じ人形が上流にも居た。それだけのことだ。そして、それが何だというのだ。


ヤメろ。揺れるな。アレは俺じゃない。俺は、彼女を、殺すだけだ。


リズは跪いた格好のまま、えぐえぐっと泣き崩れていた。このままでは俺の間合いに何時まで経っても来てくれそうにない。仕方ない。気は乗らないがこちらから出向くとしよう。


俺はベッドの天蓋から床に、猫のように音もなく着地する。


そして一歩、また一歩とリズに近づく。


お前のやるせない気持ちを今ここで終わらせてやろう。

そんなことを思いながら、俺はナイフを彼女の首へと持って行く。


「ありがとう……名前も知らない殺し屋さん。わたくしを殺しにきてくれたのですね――」


リズの突然の言葉に、口から心臓が出そうになる。


バレていた? いつから? 


頭をフル回転させて考える。


この部屋に帰って来てヤツは果物しか見ていないはず。


いや、ヤツは果物は見ていない。その隣にあったナイフを凝視していた。


ナイフ…………ハッとした。ナイフに俺の姿が映っていたのか!?


背後を振り返ると、果物の横にあったナイフが忽然と消えていた。


しまった。


再び視線を戻すと、こちらを振り返ったリズの手には例の果物ナイフがあり、彼女はそれを自分の白い首へとあてた。


「僥倖なことに、ここには、わたくしを殺したい人が二人もいますわ」


近くで見るとリズは息を飲むほど美しかった。目の下のクマや大粒の涙といった本来マイナスの効果を生むはずのものが、なぜか、彼女の美しさを助長させているように俺には見えた。


「ヤメろ」


言ってから俺は驚く。まさか俺の口からこんなセリフが出てくるとは……。


「なぜ止めるのです? わたくしを殺しに来たのでしょう? でしたら、そうしてくれるとありがたい。わたくし、こう見えて、ビビりなので――」


「あんなクズの業に焼かれて命をくれてやることはない」


いったい俺は何を言ってる? 似たような境遇だから同情でもしているのか? 

だったら暗殺者失格だな。

いや、今まで殺しに矜持を持ったことなど一度もないが。


しかしリズの目には静かなる覚悟の光が浮かんでいた。このままじゃほんとに自分を刺すな。

仕方ない。刺せばどうなるのか事細かに教えてやるか。そうすれば少しは躊躇するだろ。


「お前が刃を向けている血管は頸動脈といって、いわゆる人体の急所の一つだ」


「……」


リズは突然始まった俺の人体講義に黙って耳を傾ける。


「そいつをプスッといくと、それはもうビックリするほど血が噴き出る。血が出る、じゃなく、噴き出るといった表現が正しいほどに、血が噴き出る。そうだな、たとえばここにいるお前の頸動脈から血が噴き出ると、向こう側の壁がものの数秒で真っ黒になる」


そう言って、俺は奥の壁を指さす。

するとそれにつられて青くなったリズが一瞬、俺から目を離す。

その隙に、俺は彼女の手からナイフを奪った。刃物の扱いには慣れていた。


「あっ」


「もっとも、あの壁紙が死ぬほど気に入らないのなら話は別だが」


「かべ……がみ?」


リズはきょとんとする。さっきまでの負の気配が消えた。いい感じに誤魔化せたようだ。


ぷふっ、とリズは小さく息を吐いた。そして目の端にあった涙の玉を指で飛ばしてから言った。


「けっこう、気に入ってますわ」


リズの口元から白い歯がこぼれた。微笑。わずかにほほ笑んだだけ。それだけなのに、目の前にいた俺は雷に打たれたみたいに動けなくなる。いやはや、上流階級の令嬢というのはすごい武器を持っているものだ。


そんなことを考えていると、彼女の背後の扉が開く。


喋りながら入ってきたのは先ほどのラトランド王子だった。


「考えたんだが、ひっぱたくより階段から落としたほうが――ん? 誰だ貴様は――」


王子が、ナイフを持った俺を見つける。しまった。見られた。

俺はとっさにナイフを投げる。

虚空を裂くナイフは王子の首をかすめるように飛んでいくと、さっき俺がリズに言った通りの現象が起こった。


「かっ――かはっ」


王子の口からは乾いた空気が漏れ、頸動脈からは間欠泉のごとく血が噴き出し、奥の壁を真っ黒に染め上げていった。


「手元が狂った」


説明的に言うと、俺は呆けていたリズの肩を掴みこちらに向かせる。


「いいか? お前は、今目の前で起こったことを、ありのまま全てを話すんだ」


そう諭してもリズには響いていなさそうだった。心ここにあらずといった感じだ。無理もない。人生初の血の噴水を前にすると誰でもこうなる。


「リズ」


名前を呼ぶと、ようやく彼女の焦点が俺にあう。


「犯人は窓から逃げたと言え。いいな?」


こくり、と彼女は首を縦に振った。

よし、と俺は俺のアリバイを確固たるものにするべく、血の海を通ってわざと足跡を窓の方へと持って行く。

ったく、我ながらとんだ出来心で、とんだことをしでかしてしまったものだ。しかも相手は王族。一生追われる身、確定だな。


まあ、闇に潜む生活は慣れてる。警戒度が数段上がるだけだ。


窓から逃げようとする俺に、リズがすがってくる。


「わたくしを――わたくしを連れて行ってください」


「断る。これから泥水をすするような逃亡生活が待ってるんだ。誰かを守る余裕は俺にはない」


「守らなくても結構です!」


またあの覚悟の決まった目だった。彼女なら、本当に放っておいても自分でどうにかしそうだ。そんな気持ちになる。もちろんそれは気持ちだけで、この先のことを考えると、箱入りのお嬢様には地獄には変わりないのだが。


「あんな豪華なベッドじゃもう寝られないぞ。ネズミのすぐ横で眠ることになる」


「あなたがそばにいるのなら、どこでも――」


覚悟の決まった瞳で射抜くように見つめられる。彼女なら、あるいは――


「……好きにしろ」


用意していた縄を伝って降りようとする俺をリズは再び呼び止める。


「あの――」


「まだ何かあるのか?」


「お名前を聞いても?」


「…………………………ない」


俺には名前なんて素敵なものはない。

しかしリズは紫水晶の瞳をキラつかせ、


「ナイ様」


「あっ、いや、ナイじゃなくて名前はない」


「ナイ様!」


「………………もう、それでいい」


こうして殺し屋と侯爵令嬢との奇妙な逃亡生活が幕を開けたのだった。







最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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