好き
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そんなてんやわんやの末......
何とか危機一髪の事態を切り抜け、無事帰宅を成し遂げた琴音ではあったのだが......
その日の21時。
長い夜は、まだまだ終わりを告げることは無かったのである。
コンコン......
突如、琴音の部屋をノックする音が。
きっと母に違い無い......そんな予測のもと琴音は、
「はい......どうぞ......」
普通に声を返した。
ところが、ギー......
そこに現れた者はなんと、母では無かった。
「ちょっといい?」
「智美ちゃん......」
琴音は意外とも言えるそんな来訪者の顔を認識すると、直ぐにテーブルの椅子を空け自らはベッドに腰を下ろした。
実際のところ、これまで智美が琴音の部屋を訪れたことなんて過去に1度も無かった。そんな智美の表情は、いつに無く強ばりを見せてる。
よくよく見てみれば、頬には泥の跳ね跡が残ってた。きっとゆっくり風呂に入ってられるような心境じゃ無かったんだろう。
そしてここから、2人の噛み合わない会話がスタートを見せるのでした。
智美
「そ、それであの後......どうなったのよ?」
琴音
「あたしは......大丈夫......」
智美
「そ、そう......なの?」
琴音
「あの後......何も......無かった」
智美
「そ、そうなんだ?! よ、良かった!......そ、それで?」
琴音
「それで......」
智美
「だからさ......」
琴音
「だから......」
智美
「もう、イライラすんな! あたしはさ、あんたにあんな酷いことしちゃったんだからどうすればいいのかって聞いてんのよ!」
そんな逆ギレとも言える鬱憤を爆発させる智美。しかしそんな彼女の目には、うっすらと涙が浮かび上がってた。
どうやらこの智美なる娘、心の芯まで腐り切ってた訳では無いらしい。そこはせめてもの救いと言えよう。
すると琴音は全く違った質問を繰り出し始めたのである。
「涙......悲しんでる......の?」
障害者雇用支援セミナーの時と全く同じ展開だ。
「当たり前じゃない! あんたに何か有ったらどうしようかと思って......もう生きた心地がしなかったんだから! ウッ、ウッ、ウッ」
気付けば、智美の目からは大粒の涙が零れ落ちてる。
極度の緊張から解放されたことによる安堵の気持ちと、琴音に対し耐え難い苦痛を与えてしまったことによる罪悪感が複雑に入り交じって溢れ出たそんな涙だったに違いない。
琴音は女、そして智美も同じ女......
あの時の話の流れからして、女の琴音が如何に危険な状況であったのかなど、女の智美が知らぬ訳も無かった。
自分の仕出かした過ちの大きさに気付き、さすがに後悔の念に駆られてたに違いない。
「あの後......何も無かった。だから......心配しないで」
「よ、良かった。ほんとに......良かった。あたし......もうあんなこと絶対にしないから! だから......あたしを許して!」
「許す?」
「そう......許して!」
この時浮かべた智美の表情は、いかにも自信が無く、また弱々しかった。恐らく琴音の記憶の中で、そんな彼女の姿を見るのは初めてだったに違いない。
「分かった......智美ちゃんのこと......好き......だから」
そしてこの時、琴音の浮かべた表情は智美とは正反対。穏やかであり、また温かくもあり......それは霧島翔子に電話を貰った時のそれと全く同じ。まるで再生映像を見てるかのようだった。




