好きな人の為に
『あたしはね、思ったことを何でも言っちゃう厄介な性質なんだけど、それと同時に1度やろうと思ったことは相手の気持ちも考えずに勝手に何でも進めちゃう性質でも有るの。
じゃあ何であなたに仕事を紹介しようと思ったのかと言うと、今日1日会っただけであなたのことを好きになっちゃったから。だから放っておけなくてね。それがあなたの質問に対するあたしの答えになるかな』
『あたしを......好きに......』
『そうよ。あなたを好きになっちゃったの。でも誤解しないで。今あたしは男の人と同棲してるから』
『あ、ありがとう......霧島翔子......さん』
『ハハハ......どう致しまして。でも良かったぁ、あなたの力になれそうで。じゃあ明日、頑張って行って来て!』
カシャ、ツー、ツー、ツー......
霧島翔子からのそんな電話が切れた後も、なぜかスマホから手を離さない琴音。一体、何をやってるのだろうか?
見れば、何かの語句を必死に検索してるらしい。それは『好き』、そんな語句だった。やがて『ENTER』ボタンを押してみると、
『気に入って心がそれに向かうこと。またその気持ち』
そんな文字が浮かび上がってた。
「つまり......霧島翔子さんは......あたしを気に入って......心があたしに向かったから......雇用先を......探してくれた......そう言うこと......なんだ」
この時、琴音の顔は相変わらずの能面。でも心なしか赤味を帯び、少しばかり穏やかに見えたりもする。正直、その理由は分からない。
ただ今もなお琴音の頭の中に霧島翔子の残像がくっきりと残っていることだけは間違い無かった。
やがて琴音は思い出したかのように、机の引き出しから『履歴書』なる雛型を取り出した。つい1か月前、マンション清掃員の面接で購入したものだ。3枚入りだからまだ2枚残ってる。
ペンを握ると、一気に空欄を埋めていった。17才から始まったたった5年間だけの履歴書。それに然したる時間を要すことは無かった。
やがて、夜も更けて時刻は23時。
そんな時間ともなれば、琴音は薄ピンク色の布団にくるまり就寝の途に就いていく。
因みに感情の起伏が無い分、彼女の体内時計は殆ど狂いを生じることが無い。時計など見なくても23時になれば眠くなって布団にくるまり、目が覚めれば必ず時計の針は朝の7時を指してる。
「そうだ......」
琴音は1度潜ったベッドから思い出したかのように起き上がると、再び机の椅子に腰掛けた。そして引き出しから取り出した物は何かと言えばそれば、
『向日葵の観察記録』
表紙にそんな文字が記された真新しいノートだった。
琴音は眠気眼を擦りながらペンを当てる。すると履歴書と同じく軽快なペースで文字を綴っていった。スラスラスラ......
やがて全てを書き終えた琴音はノートを再び引き出しに収めると、室内照明を落として、今度こそ温かい布団にくるまれていったのでした。
そして、 スヤスヤスヤ......
穏やかな寝顔を持って、長い1日の終焉を迎える琴音だった。
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【向日葵の観察記録】
4月9日(水)1日目
琴音の始まり
今日あたしは花壇の隅に2粒向日葵の種を植えた。
平手さんがくれたメモに書いてあった通りに、土を2センチ掘って種を置いて土を被せた。その後、水をたっぷりあげた。
1粒目はあたし。それで2粒目は霧島翔子さん。
平手さんの話だと、これから種は自然の恵みをいっぱい貰って、やがて地上に芽を出すそうだ。
だから、あたしも霧島翔子さんと一緒に芽を出したいと思う。
今日あたしは、霧島翔子さんからいっぱい恵みを貰った。
だからあたしもいつか霧島翔子さんにいっぱい恵みを与えたいと思う。
今日あたしは一つ言葉を思い出した。そして今日あたしは一つ感情を思い出した。
それは、人を好きになると言うこと。人を好きになると嬉しいことも知った。
霧島翔子さん、ありがとう。
明日あたし、頑張ってみる。
あたしの為に。
そして、好きな人の為に。
琴音
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