乙女の意地
キ~コ~、キ~コ~......
それまで気にもならなかった油切れの自転車の音が、今はやたらと耳障りに感じた。
あたしがもし貧乏な家に生まれて来なかったら、こんな自転車なんかとっくに捨てて、ギヤ付きの格好いい自転車買ってたのに。
あたしがもしこんな優柔不断な性格じゃ無かったら、悠真さんに直ぐ返事して、こんなことにはならなかったかも知れないのに。
それであたしがこんなに弱い性格じゃ無かったら、涙がこれ程までに、零れ落ちることも無かったのに。
うっ、うっ、うっ......
ちょっと考えれば、分かることじゃない! あたしなんかじゃ、悠真さんと全然釣り合わないってことをさ......
気まぐれで声掛けられただけなのに、本気にしちゃって、舞い上がっちゃって、家まで押し掛けちゃったりして、
ほんと......
バカみたい。
今漸く分かった。あたしはただからかわれてただけだってことをね。
ところがここで......
そんなあたしを、ブリキ人形から元の人間に戻すような大事件が巻き起こったの。
「そろそろ村から出るぞ。熊避けの鈴付けた方がいいんじゃないか?」
ブルルン......ボボボ......
僅かなエンジン音を轟かせながら、誰かが背後から話し掛けてくる。
「......」
耳には入ってたけど、別に反応するつもりは無かった。
「おっと、スマホ部屋に置いて来たままだった。でもまぁいいか......目の前に誰かさんが居るんだからな」
「......」
なおも反応しなかった。
「ガソリンは満タンだな。機嫌直してくれるまで、どこまでも付いて行くぜ」
「......」
正直、少し腹が立って来た。だってあなたは、あたしを泣かせた張本人なんだからね!
キ~コ~、キ~コ~......
ピタッ。
「おい、急に止まるなよ。バイクは急に止まれない。なんてな......おっとっと」
「河村さん!」
「ん? なんで名字なんだ?」
「『いいなずけ』の方を置いて来ちゃダメじゃ無いですか?!」
「放っとけ。親が勝手に決めたことだ。俺に従う義務は無い」
「......」
キ~コ~! キ~コ~!
「おっと、今度は無言で走り始めたぞ。下り坂はチャリでも速いな! 置いてかれる訳にはいかん!」
ブルルン、ガガガガッ......
もしかしたら......あたしは彼が追って来てくれるのを待ってたのかも知れない。この後何を聞かされるのかは分からなかったけど。
ただ何の話も聞けぬまま、この村を虚しく出るのだけは嫌だった。
地獄へ突き落とされるのか、天に昇るのかは分からない。でも本人の口から、真実を聞きたかった。なのに今あたしは、悠真さんを突き放そうと必死にペダルを漕いでる。
それはせめてもの若干17才、恋する乙女の意地だったんじゃ無いのかな。
ところが......
そんな乙女の意地なんてどうでもよくなるような事態が、この後巻き起こってしまうのでした。
バサッ!
「ん?」
バサッ、バサッ!
「えっ? バサッ、バサッって......なんの音だ?」
バサッ、バサッ、バサッ!
「木の枝が折れる音......かも?」
「なんか......ヤバく無いか?」
バサッ、バサッ、バサッ、バサッ!
「居たぞ! く、熊だ!」
「えええっ? ど、ど、どうしよう?!」
正直、写真やテレビでは何度も見てたけど、檻に入ってない熊を肉眼で見たのは初めて。
見ればもの凄い形相で、こっちに走り寄って来てるじゃない! 熊ってこんなに走るの速いんだっけ?!
あたしは反射的に足をペダルに掛けてた。とにかく逃げるしか無い! って思ったから。
すると、
「早く後ろに乗れっ! 自転車なんかで逃げ切れる訳無ねぇだろ! 死にたいのか?!」
「え、あ、わ、分かった!」
そんなこんなで......
あたしは生まれて初めて、バイクの後ろに乗ったのでした。しかも悠真くんの操るバイクの後ろに。