青年
元々居た場所は斜面の上だったけど、本来二足歩行の人間が四つん這いで熊と徒競走したところで勝てる訳が無い。
そうともなれば、逃げる方向はそっちしか無かった。散々蛇行した山道を登って来た訳だから、下へ向かえば直ぐに山道へ出ることが出来るんだろう。
正直恐くて後ろなんか振り返れないし、振り返りたくも無かった。
別に振り返らなくたって近付いて来る野獣の足音を聞いてれば、かなり不味い状況であることくらいは直ぐに分かる。
そんな訳であたしは、香車に成り切って30度のゲレンデを直滑降。でも足より気持ちが先走るから直ぐに足がもつれてしまう。そうともなれば、
「不味い......転ぶ......」
そんな警報が即座に脳へ伝達されたところで、1度崩れ始めた体勢を早々元には戻せない。
「あ、あ、あ、ダメ......転ぶ!」
そして......
遂にその時がやって来てしまった。
バサッ!
次の瞬間、あたしの身体は宙に浮いてた。今放たれたばかりの大砲の玉みたいに。別にビーチフラッグを取る為に飛んだ訳じゃ無いけど、なぜか反射的に両手が前に飛び出してる。
ヒュー......
それで直ぐに落下するかと思いきや、30度の斜面だけに中々身体は落ちて来ない。
木の枝が顔をかすめ、鳥が目の前を通過して行き、最後にあたしの視界に映ったものと言えばなんと、1段下の山道だったのである。
そして更にその後、あたしの目に映ったものと言えば、
「あっ、危ない!」
キーッ、ガガガガッ!
「キャー!」
「だっ、大丈夫か?!」
............
............
............
寸前のところで、あたしと言う名の弾丸を避け切ったバイク青年の姿だった。
............
............
............
「う、う、う......痛い......」
「けっ、怪我は無いか?!」
どうやら......
遮二無二駆け走ったおかげで、思惑通り1段下の山道へ飛び出てたらしい。ここはさっき歩き登ったばかりの場所だ。景色に見覚えがある。
「くっ、熊は?!」
「えっ、なっ、なに? く、熊に追い掛けられてたのか?!」
「そ、そう!」
正直、あたしの身体は不死身なのかと思ってしまった。
気が張り詰めてて神経が麻痺してたのかも知れないけど、肘をちょっと擦りむいてヒリヒリするだけで、他に痛む所は無い。
そんなこんなで......
バイク青年はやたらと辺りをキョロキョロ見渡してる。熊がまた追って来たら一大事だ。
「どうやら熊もびっくりしてどっか行っちゃったみたいだな。何も居ないぞ」
やがて青年は腕で額の汗を拭いながら、そんな吉報を伝えてくれた。
「そう、良かった。ああ......」
きっと張り詰めてた心と身体が突然解放されたんだろう。急に力が抜けて、あたしはその場にへたり込んでしまった。
「だっ、大丈夫か?! きゅ、救急車呼ぼうか?!」
別にあたしがへたり込んだのは、身体に異変を来したからじゃ無い。疲れがどっと出ただけだ。
「大丈夫。あなたが現れてくれたから逃げれたの。だからあなたは命の恩人よ」
「えっ? ちょ、ちょっと待ってくれ......」
すると何を思ったのか? 話半分で急に近寄って来る青年。どうやら自分の目のすぐ前であたしの顔を見たいらしい。
「やっぱそうだ! 俺の顔よく見てみろって! 隠匿村の大地、沢渡大地だよ! 君は向日葵だろ。いやぁ、すんげ~久しぶりだな!」
なんと!
予想だにもしないそんなことを言い始めたのでした。




