仲裁
大地君がこれから何を仕出かそうとしているのか?
そんなの彼の表情を見れば、誰にでも分かること。きっとその筆で佳奈子を絵を泥だらけにするつもりなんだろう。
「だっ、大地君、そんなことしちゃダメ!」
あたしは目が覚めたかのように、そんな言葉を投げ掛けた。みんなが見てる前でそんなことしたら、この後大変なことになっちゃう!
そんな訳であたしは大地君の手を掴もうとしたんだけど、動きが早すぎて全然間に合わなかった。
それで遂に、泥がいっぱい付いた筆が佳奈子の絵に届きそうになったその時のこと。
「彼女を泣かせていいのか?」
突如、地を這うような低い声が響き渡る。そしてそんな声にあたしは聞き覚えが有った。まさか......
「えっ?!」
あたしなんかよりもっと驚いてたのは、言うまでもなく大地君本人。寸前のところでフリーズしてる。見れば横でしくしく泣いてる乙女の姿が......
「実菜......」
「大地君、もう止めて......」
もし大地君が勢いに任せて、佳奈子の絵に泥を付けていようものなら、大地君はおろかその後家族にまでに被害が及んでたことだろう。
なんせ山菱家はこの3村一番の権力者だからね。はっきり言って、親バカだし。
そんな大地君の勢いに任せた行動を止めてくれたことに、今あたしは本当に感謝してる。
いつの間にやら、誰も言葉を発すること無く完全なフリーズ状態。
そんな中、またしても動きを見せたのはこの人だった。気付けば大地君から筆を奪ってる。それでこの後どうするのかと思えば、
なんと!
自分の真っ白なシャツで、筆から泥を落としてる。それで次の瞬間には、
「はい、このピンク色の筆、君のだろ。大事にした方がいいぞ」
そんな筆を大事に差し出して、優しい笑顔を浮かべてるじゃない!
「あ、あ、ありがとう......」
そう......一昨日と昨日に引き続き、ピンチに颯爽と現れてくれた救世主は他でも無い。佳奈子の意中の人、悠真さんだったの。
すると、
「悠真くん、そんな汚い筆で捨てちゃった方がいいよ!」
佳奈子がいきなり横やりを入れて来た。きっとあたしと悠真さんのそんなやり取りに、我慢出来なかったんだろう。
「なんでだ?」
「だって毛がいっぱい抜けちゃてるし......もう使えないと思ったから......」
「自分でこの筆使ったような言い種だな」
「え、いや......その......」
「君の絵はここに貼られたばっかの時、俺がしっかり見てる。ここに展示されてる誰の絵よりも個性的で素晴らしかった。それでもう......今回だけは良しとしてくれないか?」
正直言って、本来なら納得なんて出来る訳が無かった。だって折角描いた絵を台無しにされちゃったんだからね。
でも、
『俺がしっかり見てる。誰の絵よりも素晴らしかった』
そんな一言で、あたしの心が一気に癒されてしまったこともまた事実だったりもする。ちょっと悔しいけど......
そんな訳で、
「きっと誰かがこの絵を運んでる時、たまたま落として泥だらけになっちゃったんでしょう。元々大した絵じゃ無かったし......もうこの話は終わりにしましょう」
結局、彼の話に合わせることにしたの。
「ご理解、誠に感謝する」
まず間違いなく、あたしの絵を泥だらけにしたのは佳奈子なんだと思う。それは彼に突っ込まれた時の反応を見れば明らかなこと。
でももうこの話は本当に終わりにしたかった。実菜ちゃんも大地君も加わって、話が大きくなり過ぎちゃってるからね。
それと何よりも、お父さんの仕事に影響するのが一番困る。山菱酒造で働かせて貰ってるのが運のつきよ。