旅立ち
やがてうっすらと目を開け、最愛なる実娘の姿を視界に捉えた母は、力無い笑顔を浮かべた。それはきっと、彼女の精一杯とも言える琴音への愛情表現だったに違いない。
そしてそんな母は、必死に何かを語り掛けようとしている。
自ずと琴音の耳は、母の口元へと近付いて行った。声にもならない声を聞き取るには、もうそうするしか無かった。
「琴音......いいえ、向日葵」
「......」
「人は皆......幸せになる権利があるの。もちろん......あなたにもよ。今のままじゃ......ダメ。過去を乗り越えて......前の自分を取り戻しなさい」
「幸せ......過去を乗り越える......」
「そう......あなたの本当の名は......花咲向日葵。まずは......あなたの故郷......御影村を訪ねなさい。そこには......あなたの......本当のお父さんが......居る。まずはお父さんに会って話しなさい。
全ては......そこから......道が切り開かれるでしょう。きっと賢也も、それを望んでいるはず......ゲホッ、ゲホッ」
「御影村......お父さん......それと、賢也......」
「そう......あなたなら、絶対に乗り越えられる......だって、あなたは......夏の強い日差しにも決して負けない......強い、強い、向日葵なんだから。グエッ......」
ピー、ピー、ピー、ピーッ!
突如心電図とリンクした警報音がICUに鳴り響いた。そして血圧計は、80、70、60......その数値を見る見るうちに減らして行く。
「大変です! 心肺停止です!」
「さぁ、あなたは外へ出て! 電気ショックだ!」
........................
........................
........................
........................
それから10分もしないうちに、母は娘の幸せを懇願したまま天上へと一人旅立って行った。
苦しかった筈なのに、その死に顔は実に安らかだったと言う。
恐らく......
最後の最後で意識を取り戻したのも、きっと最愛なる娘にどうしても伝えたいことが有ったからに違いない。
そして無事それを伝えることが出来た母は、何も思い残すこと無く安らかな気持ちで川を渡って行ったのだろう。
誠也が去り、そして母も琴音の前から今去って行った。そして次は、琴音が去る番だったのである。
東京、そして山村家、更には『山村琴音』と言う偽りの自分から......
※ ※ ※ ※ ※ ※
その後琴音は、病院の霊安室の前のベンチにおいて、高ぶる感情とは裏腹にいつの間にやら意識を失っていた。
きっと今日1日、色々なことが有り過ぎて、脳が耐え切れずに無理矢理シャットダウンしてしまったに違いない。
スヤスヤスヤ......
そしてこの時琴音は、またしても例の夢を見ていたのである。
※ ※ ※ ※ ※ ※
今日もまたあたしは
真っ暗闇の中を
1人で歩いている。
目を開けているのか
閉じているのかも分からない。
はたまた
夢の世界なのか、
現実の世界なのか、
それすらも分からない。
「ここはどこ?」
そんな夢の中で、
手探りしながら歩き続けるあたし。
なんとなくだけど
石段を上がっているような
気がする。
すると、
サラサラサラ......
何やら
木の枝葉が風で揺れる音がしてくる。
しかも至る所から。
夢の中を彷徨ってる筈なのに、
ほんと不思議な感覚。




