灼熱地獄
彼女は即座にスマホをポケットに戻すと、辺りをキョロキョロし始めた。どうやら全神経を鼻に集中してるらしい。鼻をクンクンさせている。
やがて琴音は厨房の奥へと歩を進めていった。どこからか流れ込んで来る臭気が気になって仕方が無いらしい。
クンクンクン......
ちなみにIHコンロの上には、ブイヨンが満タンに入った大鍋が。IHコンロの電源はOFFになっているし、当然中身も焦げ上がって無い。
オーブンレンジを開けてもみたけど、中に焦げたピザも置かれて無いし。
結局店内を全て見て回ったけど、臭気を発生させるような要因は何1つとして見付けることは出来なかった。
「?......」
琴音は小首を傾げながらカウンター席へ戻ると、再びスマホに指を触れる。
そして、
『もう直ぐ帰るから。先に寝てて』
呑気にも母へそんなメッセージを送っていたのでした。
そんな中、
遂に......バチッ、ゴーッ!
爆音と共に、悪夢は最終局面へと到達してしまったのである。
なんと!
配線から飛散を続けていた火花が、廃油で満タンとなった一斗缶を炎の渦へ!
「!!!(な、なに? どうしたの?!)」
残念なことに......
今この店には店長も隆美さんも居ない。居る者と言えば、まだ物心付いたばかりの居眠り少年と、ライターの火を見ただけで頭を抱えてしゃがみ込んでしまう年若き女性の2人のみ。
油と火......
そんな役者達が共に手を組めば、火龍と言う名の悪魔が君臨することは、小学生でも知ってること。
そうともなれば、純喫茶スイートピーと若き2人の命がもはや風前の灯。それはもう、逃れようの無い事実だったのである。
やがて、バックヤードで産声を上げた火龍は一気に壁、天井までをも包み込み、更には店内へとその勢力を増していく。そのスピードはもはや尋常じゃ無かった。
ゴゴゴゴゴゴッ!
既にそれは『火災』の域を遥かに超えていたのである。
突然なる烈風が吹き荒れ、それに乗った無数の火の粉が琴音の頭に降り掛かり、いつの間にやら髪の毛はチリチリと音を立て始めてる。もはや1秒足りとも猶予は無かった。
瞬きする度に火は2人の側面、そして背後までをも消滅させていった。そんな危機たる状況であるにも関わらず、琴音はと言うと、
「あわわわわ......」
脳にプログラミングされた通り、頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。もうこうなると一貫の終わりとしか言いようが無い。
一方夢追い人の光太くんも、
「ん......なに? 何だか熱くて、煙いんだけど......え? な、なんだ? か、か、か、火事?! マジで?! ゲホッ、ゲホッ......」
『火災時の対処法』など、頭の中にインプットされてる訳も無かったのである。しかも寝起きときてる。
気付けば、壁、天井、テーブル、椅子......その全てが炎に覆い尽くされてる。前後左右、どこを見渡しても炎ばかり。
この時点で既に生への道は、その全てが閉ざされてたと言わざるを得なかった。
更に悪夢は続いていく。
バサッ、ゴトゴトゴトッ!
なんと! 天井が崩れ落ちて来たのである。寄りによって、彼の足目掛けて!
「うわぁ!」
それは正に、目を疑うような光景だった。崩れ落ちた天井が、見事なまでに光太の足を押し潰してる。
「い、痛いっ!」
恐らく......もしこのまま誰も手を差し伸べずにいたならば、まず真っ先に光太くんが猛火に包まれていくことだろう。
それが一番よく分かっていたのは、もちろん本人。なのでもう叫ぶしか無かった。ライターの火を見ただけでフリーズしてしまうその者へ向かって!
「こ、琴音ちゃん! な、何頭抱えてるんだよ! 早く助けて! 焼け死んじゃうじゃん!」
ところが当の琴音はと言うと、
「あなたは......誰?」
なんと! キョトンとした顔で、そんなトンチンカンな疑問符を投げ掛けて来たのである。烈風吹き荒れる灼熱地獄の中で。




