身代わり宮の明玉 八
「飽きた」
後宮生活一週間にして、明玉はそう呟いた。
毎日、何もしなくてもいい生活に、三日目まで極楽に感じたものの、四日目からは手持ち無沙汰になり、五日目には裏山を駆け巡りたいという衝動にかられ、六日目には継ぎ接ぎ服に身を包みたいと思い、七日目となる一週間で明玉は後宮生活を『飽きた』の一言で総括した。
花鈴が訝しげに明玉を見る。
「お食事ですか? 衣装ですか? 部屋にですか?」
飽きた対象を確認しているのだ。
「全部。後宮生活に飽きたわ。やることがなさすぎて」
「やること……身代わり宮ですので、やることがない方が幸せかと」
后妃の身代わりで懲罰を受けない方がいいはずなのだ。
「身代わり以外に役目ってないの?」
「身代わり以外は優雅に暮らせるのが、代妃の役得なのですよ」
「優雅って退屈なのね」
「では、ついででございますれば、後宮の役割分担をお話いたします」
花鈴がコホンと咳払いして、口を開く。
「後宮の主たる后妃は、後宮の儀礼祭礼をする役目がございます」
後宮の儀礼祭礼、生活に関する全般は女官や官女の働きによって行われているが、それを指示して動かすのが后妃になる。
后妃は、最初の命令と最後の確認。そして、儀礼祭礼、宴など表舞台で立ち振る舞う。
「后妃は表の役割を担います。裏方的役割を嬪妻四佳人が担います」
本来なら、嬪妻四佳人は后妃誰かの傘下に入るのだ。つまり、それが後宮の勢力図にもある。
重要な儀礼祭礼の準備を后から任されれば誉れとなる。
后から正妃、正妃から嬪へ、嬪は妻に指示し、四佳人が動き、女官や官女末端までに指示が通るのだ。
明玉は小首を傾げる。
「代妃は?」
「表舞台にも裏方にもなりえます。正妃の代わりに儀礼祭礼に出ることもありますし、現在のように嬪妻四佳人がいないときは、裏方も担うのです」
そこで、花鈴がひと息つく。
他の代妃の部屋を慮るように視線が動く。
「現在、嬪妻四佳人はおりませんので、中間である代妃がその役を担うことになりました。ですが、皆様床にふせっており身代わり宮の女官が代わりをしております」
「身代わりが代わりをして、さらにその代わり……何がなんだか」
明玉は呆れる。
「つまり、現在この身代わり宮の最高権力者は、明玉代妃になります」
「は?」
明玉は目を瞬いた。
確かに、他の代妃が皆床にふせっている現在、明玉しか女官や官女に指示できる立場の者はいないわけだ。
「とはいえ、入宮したばかりの明玉代妃に、後宮の儀礼祭礼はわからないでしょうし、後宮裏方への指示もできないかと」
明玉はウンウンと頷く。
「他の代妃に早く完治してもらわなきゃ」
明玉の言葉に、花鈴が微笑む。
「何かしら、お見舞いの品を見繕うとかはどうでしょうか?」
「それは良いかも! ……よし、庭に行くわ」
花でも見繕うのだと花鈴は思っていよう。
だが、明玉の目的は別にあった。
回廊に出た明玉は、身代わり宮の中央にある庭を眺める。
板張りの道は桟橋のようになっており、中央の広場から放射線状に伸びて、屋敷と表門へと続いている。その道の狭間に見事な花が咲き乱れる。それぞれの狭間に趣があり、見飽きない。
所々に風流な設えの机や椅子。小川が流れていたり、石庭であったり、それはもうそこに妃が佇んでいたら絵になることだろう。
だが、この庭を楽しむ妃らは床にふせっている。明玉を除いては。
「さあ、明玉代妃、参りましょう」
花鈴が明玉の手を取る。
「身代わり宮にいるときくらい、添え手なんて必要ないわ」
明玉は花鈴を置いて、カポカポと高履きを鳴らしながら歩き出した。
「……後宮に召されたばかりの后妃は、この高履きに慣れるまで一年はかかると言われています」
「確かに、これで走るには相当の鍛錬が必要よね。頑張ってみるわ」
「いえ、そうでなく……ハァ」
花鈴が説明するのも面倒になったのか、ため息をつく。
「大丈夫よ。一年なんてかけないわ。こういうの慣れだってことくらい分かるもの」
明玉は高履きでスキップしだす。
「明玉代妃! 危のうございます!」
花鈴が明玉の腕をガシッと掴み、スキップを止めた。
花鈴の恐ろしい顔面に明玉は引きつり笑いを返す。
「へへ……あ、そうだ。籠はある? 見舞いの物を入れたいから。九人分のお見舞いだからね」
「そうでした。籠が必要ですね。取ってきますから、そこの椅子でお待ちを」
花鈴が屋敷に引き返していく。
明玉は花鈴が屋敷に入るのを見届けると、高履きを脱ぎ捨て中央の広場まで移動した。
庭に日陰を作るため、中央には小高い木が植えられている。
「あの尖った形状は、渋か半渋」
明玉は木になった実を見上げながら、口角を上げた。
上着を脱ぎ椅子にかけると、髪飾りのリボンを解き、裳の裾をたくし上げて結ぶ。
「一人二個ずつとして、二十個ぐらいは欲しいわね」
明玉は木に手と足をかけ、野猿のようにスルスルと登っていく。
その光景を、屋敷から出た花鈴が目を見開いて見ることになった。手にしていた籠をボトンと落として。
「明玉代妃ぃぃぃぃぃぃ!!」
それはもうとんでもなく大きな悲鳴で、屋敷のあちこちから女官らの顔が出る。
そして、木の上の明玉の姿にポカンと口を開けて固まった。
「花鈴、下で受け止めてね!」
明玉は柿の実を取ると、青褪めて木を見上げる花鈴に落とす。
「ヒッ」
花鈴は柿の実を避けた。
柿の実が板張りの広場を転がる。
「花鈴、籠は? 籠で受け止めて!」
「明玉代妃! 下りてください!!」
「えー? まだ柿の実を取らなきゃ」
「すぐに! すぐに! 下りてくださいまし!」
明玉は仕方がないとばかりに、木から飛び下りた。
綺麗な着地を決めた明玉に花鈴が卒倒しそうになる。
「何?」
「な、な、な、なっ」
花鈴は上手く言葉が出てこないようだ。
「干し柿をお見舞いの品にするわ。花鈴は、下で柿の実を籠で受け止めてね」
言うやいなや、花鈴が止める間もなく明玉は木に登った。
花鈴の膝が崩れ落ちる。
「あらま」
明玉は木の上から花鈴を見て呟いた。
「うーんと、じゃあ裾にでも入れて」
楽しそうに、明玉は柿の実を収獲する。
下を見ると、花鈴以外にも女官がわらわらと集まってきた。
明玉は、これ幸いにと柿の実を落とす。
「受け止めて!」
女官らがてんやわんやしながら、柿の実を受け止めたり、転がった柿の実を追いかけたりと、明玉は楽しくて仕方がない。
爽快な気分になって、周囲を見渡す。
微風が頬を撫でた。明玉は大きく息を吸った。
「やっぱり、木登りは楽しいわ」
眼下には『碧月城』。広大な王宮の果ては見えない。
「……あれは」
明玉の瞳に映ったのは人。
「屋根守りかしら?」
視力のいい明玉は、王宮の……否、汀良王の手の者を視界に捉えていた。いわゆる、姿を見せぬ影の侍従や密偵は屋根に身を潜めている。
「これだけ大きい王宮だもの、雨漏りの修繕は必須よね」
完全に誤解している明玉である。
「干し柿ができたら、お裾分けしようかしら」
そこで明玉は余分に柿の実をもぐ。たくし上げた裾に数個入れてから、躊躇なく飛び下りた。
かけ声を発しながら。
「ヒャッホッホーイ!」
着地は決まった。華麗に決まった。
明玉は悦に入ってポーズを決めるほど。
「宙を流るるは青龍の如し、羽を広げるは朱雀が如し、地を踏む脚は白虎の如し、ぶれぬ芯は玄武が如し」
決め台詞とともに。
「おい、猿」
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