身代わり宮の明玉 六
汀良王は、すこぶる機嫌が悪い。
「后や正妃らの資質が悪すぎる」
後宮という女の戦場がどういうものか、汀良王もわからぬわけではないが、後宮開宮一カ月足らずで、身代わりの妃を全滅させるほど陰湿などとは思ってもいなかった。
「まあ、残りものですからね」
汀良王に控えている男が呟く。
「徳膳、残りものでも酷い選出だな」
汀良王の侍従徳膳が眉間にしわを寄せた。
「色狂いの先々代で器量よしはいなくなり、才女を集めた先代と続き、後宮に召す資質のある者がいなくなるのは必然でしょうから」
そうである。兄弟で血の争いを行った結果、器量よしで才覚ある年頃の者は、先々代、先代が全てかっさらってしまっていたのだ。
つまり、残りものである。
「残り物には福があると言うが……今のところ災いしかないぞ」
汀良王は目頭を押さえる。
「それでも、一定条件を通過した者しか後宮に召しませんでしたので、通常は百千いてもおかしくない後宮に、たった十人しかおりません。本来なら、后以外に福妃や正妃以下の嬪も揃えねばなりませんでしたが、……身代わりも含めて二十程度です」
「十分、多すぎる。内政が混乱している最中、相手などしておれん!」
それこそ、先々代、先代は後宮開宮時だけでも百人はいた。汀良王の後宮の方が異常なのだ。花で埋め尽くしてこそ後宮なのだから。
一后、二福妃、九正妃、(代妃)。
二十四嬪、四十八妻。
貴人、才人、麗人、淑人(四佳人)。
沙伊国の後宮制度の中身だ。徳膳の言うように、妻までで百近くなる。
汀良王は、一后、九正妃、代妃しか召していない。
四佳人には決まった人数はなく、際限なく後宮に花を召すことができる。それこそ、先々代は花狂いであった。
汀良王は、机に積まれた後宮からの陳情書を鷲掴みし、火鉢に落とす。
徳膳が慌てて拾い、陳情書に灯った火を払った。
「全てお渡りの陳情だ。身代わり宮を休宮したにもかかわらず、その意味さえわかっておらん。チッ、特に后は酷いものだ」
毎日、後宮においでませとばかりの文を寄越す。後宮の妃らを統べるべき后自らが、その妃らと同じ土台に立ち、お渡りをせがむのだから。
「妃教育を口にしたつもりが、あれ(后)の耳には届いておらんようだ。本当に一定の条件とやらを通過したのかも疑わしいな」
「まあ、今回の一定条件は低すぎました。先々代、先代と無関係の名家、中立的立場の家、この二点と、妃自身の教養として、他国語がわかる者でしたので。あと、『碧月城』から三日以内の地からでした。遠方の者は、つけ込まれる隙ができますから」
徳膳が、汀良王に説明する。
未だ、国内は三度続いた代替わりで混沌としている。汀良王に反逆する者が、遠方から後宮に入宮する妃嬪らをそそのかすことを危惧しての条件だった。
急遽の後宮開宮は、危機管理の方を優先した后妃の選出だったのだ。
実際、汀良王の手の者が、先々代、先代の妃嬪らに接触し、情報を得ていたし、寝返りさせてもいた。今もなお、後宮に密かに潜らせている。
「特に、綺羅々后は、他国語でなく多国語を習得とのこと、それにより后の位になりました」
「後宮では役に立たん。後宮をまとめる補佐をつけねば、あれでは後宮が機能しない。後宮密偵の情報からは、福妃候補は正妃にはいないようだ」
汀良王は、再度陳情書を火鉢にくべた。徳膳も流石にそれを止めない。
後宮の情報は、汀良王の手の者である密偵から報告されている。
「后とて、その地位に相応しく思えんがな」
汀良王の言葉に徳膳がフッと笑う。
「今後のため、御せやすい方が使い勝手がよろしいかと判断した結果です。后に次ぐ二位、三位をお決めください。序列が決まれば、自ずと統制ができましょう」
徳膳は、汀良王にとって使い勝手がいい捨て駒を后にしたと言ったわけだ。張りぼてでも、汀良王の即位の体面を整えるための後宮開宮だった。
よって、正式に正妃らの序列は決まっていない。
汀良王が決めたのは、后妃の宮殿名だけである。
『碧月城』は、三代の代替わりによって、人選、人員が定まっていない。後宮の管理は後回しである。
「煩わしい。開宮が早すぎた」
「いえ、遅くなればなるほど、反逆分子の手の者が後宮に入っていたことでしょう。……我々も同じでしたから」
「……まあな」
汀良王の玉座は万全でない。綱渡りのような状態だと言っても過言ではないだろう。
「先々代の狂いで沙伊国の財は半分以上が消え、先代の机上の空論で改革が強行され、財源が不安定になった。さらに、改革によって国の土台が揺らいでいる。国内は混乱し、周辺国も沙伊国の窮状に舌舐めずりをしていよう」
汀良王はフゥーと息を吐く。
先々代の狂いの後で、先代の机上の空論による改革強行で、民のみならず貴族に至っても大きな打撃を受けた。
「先代の改革は間違ってはいない。だが、時期を間違えたし、早急過ぎた。頭が痛いことに、改革の信奉者は多く潜んでいる」
あのままでは、周辺国に沙伊国は呑まれていたことだろう。
汀良王が寸でのところで、先代を御したのだ。
「ところで、あの新顔は?」
汀良王は濡れそぼった明玉を思い出す。
「あの者はですね……」
徳膳が言い淀んだ。
汀良王は訝しげに徳膳を見る。
「石州、沈家の娘明玉です。沙伊立国時からの由緒正しき家柄の娘です」
「ほお、それが何故正妃でなく代妃なのだ?」
徳膳の言葉どおりなら、明玉は正妃で召してもいいはずだ。
「沈家は、落ちぶれ名家の……名ばかり貴族が実状でして、現在では官吏も排出していない家で……」
「つまり、先々代、先代とも無関係か?」
徳膳が頷く。
「正妃でないのは何故なのだ?」
徳膳が愛想笑いを浮かべる。
「笑って誤魔化すな」
汀良王はピシャリと言い放った。
「……野猿なので」
「は?」
徳膳が諦めたように口を滑らかにする。
「もちろん、候補でした。ですから、どのような娘なのか密偵を出し確認したのですが、コホン、野猿のように山を駆け巡る娘でして、品行方正にはほど遠く、かの娘の教養はなんだと問われたら、きっと野宿と答えましょう」
「……」
汀良王は無言になる。
「後宮の密偵から、このままでは身代わり妃がいなくなると、報告されたときに……ハッと、野猿を思い出したわけです。身代わり妃が全滅したときの追加要員にと」
「……」
汀良王は目頭を押さえる。
「おい」
「はい」
汀良王と徳膳は視線を交わす。
「野猿は言い過ぎだろう」
「いえ! 断じて言い過ぎではありません。継ぎ接ぎだらけで身を包み、屋敷の裏山を駆け上ったかと思えば、竹やりを持ったまま『ヒャッホー!!』と滝壺へと飛び込み、浮上してこないから焦った密偵が飛び込もうとした瞬間、水面に顔を出したそうです。その手には三匹の魚が突き刺さった竹やりが掲げられていたと」
「おいおい、冗談がきついぞ」
「御上も野猿、いえ、明玉代妃の息の長さは目にしておりますよ。水苦の刑で」
「……」
「しかも、それだけに留まらず、岩場で魚を血抜きして捌き、紐で括って担いだかと思えば、木をスルスルと登り、蔦を掴むと『イヤッホー!!』と木々を蔦っていき、急坂に着地すると、跳ぶように屋敷へと駆けていったと。密偵は追いつくのに必死で、見失う寸前だったそうです」
「……」
汀良王と徳膳は視線を交わしたまま止まっている。
「人違い」
「だろうと私も思い、実際に確かめに行きましたから。一応、『 召 妃 』を持参で」
徳膳が視線を宙に向ける。
「私が裏山で見たのは……野猿との睨み合い。私の口にした野猿は野生の猿のことです。明玉代妃は、柿の実った木でボス猿とタイマンを張っていました。あの域になると、戦わずして相手の力量を測れるのでしょう、ボス猿の瞳に怯えが浮かんだ瞬間」
「もういい」
汀良王は、睨み合いの死闘話を止めさせた。
「……いつか、野に返してやろう」
「……御意」
一度後宮に入った者は、基本外には戻れない。
だが、御上のお手付きがない者は二十五歳の時に、選択を与えられる。
いわゆる、下賜によって後宮から出られるのだ。
後宮に残るのか、自らを褒賞物として差し出すか。
『野に返す』=『下賜で後宮から出す』
その野に返そうとした明玉に、救われることになろうとは、このときの汀良王も徳膳も頭の片隅にも思っていなかったのである。
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