身代わり宮の明玉 五
輿は身代わり宮の表門前で止まった。
表門では、身代わり妃付きの女官らが集まり、輿を心配そうに眺めている。
花鈴が先に輿から降りた。
「花鈴、大丈夫でしたか?」
花鈴がコクンと頷く。
輿を追うようにやって来た侍従が、女官らに穏やかに笑む。
「御上が身代わり宮を一カ月の休宮と命じました。また、労い膳が届けられます。それから、労い金が少々」
「ヤッター」
明玉は勢い良く輿から飛び降りた。
侍従が目を丸くする。もちろん、女官らも明玉の元気に唖然としていた。
花鈴が咳払いする。
明玉は未だ濡れそぼっている髪を撫でながら、『ヘヘッ』と笑った。
「明玉代妃です。皆、挨拶を」
花鈴の指示で、女官らが片膝を折り、そこに両手を合わせ頭を下げた。
それが下位の者が上位の者にする通常挨拶である。
「すぐに湯殿へ」
「洗顔に湯浴みまで! ここに来て、良かったわ!!」
さて、花鈴以外はぽかんと明玉を眺めている。
「明玉代妃、洗顔でなく水苦の刑です。お間違えなく」
花鈴が脱力しながら言った。
「心強い妃にございますな」
侍従がニンマリと笑み、うんうんと嬉しそうに頷いた。
「では、私はこれにて。皆様、一カ月の苦行お疲れ様でした。これより、一カ月の休宮になります。お体を健やかに」
侍従が頭を軽く下げ、五歩ほど下がってから踵を返した。
身代わり宮は平穏の朝を迎える。
どの妃も安眠していて、日が昇っても起きる気配はない。
だが、明玉だけはいつも通りに起床していた。
明け方の薄暗い時間から、部屋の掃除をまず始めていた。
「ウッフッフン」
ご機嫌である。
それもそうだろう。名ばかりの院である小屋から、すきま風も吹き込まぬ綺麗な部屋なのだから。
身代わり宮の造りは、表門を入って大きな庭があり、その庭を望むように屋敷がコの字に建っている。
本来なら、妃一人に一つの屋敷が与えられ、御上より宮名が授かるものだ。
しかし、身代わりの妃らには個別の屋敷はない。
大きな屋敷の一角が住まいになる。
明玉は私室を出て、対面にある扉を開けた。
「ここも部屋ね」
「誰!?」
さてさて、花鈴が現れた。否、明玉が開けた部屋に花鈴がいたのだ。
「花鈴の部屋なのね」
妃付きの女官は、妃の住まいに住み込むのが沙伊国王宮の風習である。
宮に仕える者も同様だが、住まいは宮内の宿舎である。
花鈴が状況に追いついていないのか、寝台で固まったままだ。
「他の部屋も見てこよう」
扉が閉まってから、花鈴がハッとし飛び起きた。
「明玉代妃!」
花鈴が飛び起き、明玉を追いかける。
明玉はお構いなしに回廊を進んでいく。
「明玉代妃、お待ちください!」
かろうじて羽織物で寝間着を隠した花鈴が、明玉を止めた。
「まだ、寝てていいわよ。私は散歩だし」
「妃をひとり歩きさせるわけにはいかないのです!」
「それも後宮のしきたり?」
明玉は小首を傾げる。
「しきたり以前の常識と思ってくださいませ」
「常識……か、妃って面倒なのね」
花鈴がハァーとため息をついた。
「面倒とか、そういう問題ではなく……その面倒こそ、女官や宮女の仕事ですから」
「あー、つまり仕事を奪っちゃう?」
明玉の言葉に、花鈴がいかにもと頷く。
花鈴は、完全に覚醒したようだ。
「身代わり宮は一カ月の休宮ですので、その間に妃としてのあり様を覚えていただきます!」
花鈴が明玉にズイッと近寄り、圧をかけた。
「は、はひぃ」
明玉は後ずさりながら返答した。
「さあ、お部屋にお戻りを!」
明玉は、花鈴に背中を押されるようにして自室に戻った。
ということで、明玉は髪の手入れから肌の手入れ、爪までもピッカピカに磨かれている。
昨日の功績あってか、女官らが異様に甲斐甲斐しく明玉の世話をしている。
「明玉代妃は原石にございますね」
身代わり宮付きの女官が、明玉に化粧を施しながら言った。
「いやいや、その辺りに転がってる小石よ」
「ゴッホン!」
花鈴が咳払いし、明玉に向き直る。
「身代わりではありますが、召された妃なのです、明玉代妃。それを小石だと例えるなら、御上に対して不敬にあたりましょう」
明玉の頬が引きつる。
「じゃあ、なんて答えるもの?」
「原石のままでは、御上に失礼になるわ。お目汚しにならぬよう、ととのえてちょうだい……こんなあたりが及第点になりましょう」
花鈴の物言いに、明玉は背中がこしょばゆくなった。
「さあ、明玉代妃。鈴の音のように可愛くおっしゃってくださいませ」
「いや、無理」
そう返答した明玉に、花鈴が圧をかけ続ける。
明玉は、花鈴の圧から逃れるように視線を逸らす。
その視線の先にあるのは、風流にも部屋の中に設置されている小さな石の箱庭。
明玉は、水の流れる石庭を見ながら口を開く。
「お、お目汚しにならぬよう……玉砂利程度には研磨してほしいわ」
「玉砂利?」
花鈴が復唱するように呟いた。
皆の視線が明玉の視線の先、石庭に向く。
「水中の玉砂利ってきれいよね」
明玉の発言に、花鈴はカクっと項垂れる。
女官らは、予想外の発言に手が止まる。
「……研磨が必要なのは、明玉妃の言葉でしょうね」
花鈴の名言に、女官らが思わず噴き出したのだった。
明玉は、絶賛しごかれ中だ。
「ち、が、い、ま、す!」
明玉は、後宮の挨拶とやらを花鈴にしごかれている。
後宮内では、位によって挨拶の仕方が違うのだ。
「面倒くさいから、とりあえず頭が高いってやつで、ひれ伏せば問題ないんじゃ?」
明玉は、水苦の刑で御上にしたように床に両膝をつき、両手を重ねてひれ伏す。
「御上に対する挨拶と、他を一緒にするなど以ての外!」
明玉は、ピョンと飛び上がる。
「明玉代妃、体を起こすときは女官に支えてもらうものです!!」
花鈴のしごきのボルテージが上がっていく。
肩で息をするが如く。
「いやいや、立ったり座ったりなんて、一人でできなきゃ子どもじゃあるまいし、ヒッ!」
花鈴の鬼のような形相に明玉は悲鳴を上げた。
「普通の妃は、一人では立ち上がれません! 豪華で重厚なお召し物と、重い飾りつけ髪、そして高履きで!!」
明玉はキョトンと首を傾げた。
昨日の辛うじて妃に見える出で立ちから、完全に妃に見える出で立ちに明玉はととのえられている。
花鈴の口にした全部を身につけている明玉だが、問題なく立ち上がれた。
厚底の靴である高履き、地毛の結い上げでなく貴金属がきらびやかなつけ髪。衣装は上着に色とりどりの刺繍が施された重厚さ、上着の下にも四枚身につけている。さらに、宝飾品まであるのだから、重量はかなりのものだ。
「普通の妃は、ハァ」
花鈴が息を吐く。ボルテージはさっきの言葉で限界に達したのか急激に下がったようだ。
疲労困憊気味である。
「嬉々として身代わりになりませんから、ハァ」
花鈴が残念な者を見るような視線を明玉に向けた。
「へへ、そんなに褒められても」
「褒めていません!!」
花鈴がこめかみを押さえる。
「……言葉を発するのは危険、コホン、粗相があってはなりませんから、笑みで誤魔化し、コホン、微笑みで返答する練習から致しましょう」
「コホンコホンって、風邪でもひいた?」
花鈴が遠い目をして、『温かいお茶でも淹れましょう』と女官らを引き連れて下がっていく。
部屋を出る瞬間、花鈴が振り向く。
「優雅にのんびりとお過ごしを! 決してひとり歩きなどなさいませんように!」
少しばかり腰が浮いていた明玉は、花鈴の形相に小さく何度も首を縦に振って応えた。
花鈴が出ていき、明玉はニマっと笑む。
ここぞとばかりに昨日麗羅正妃から届けられた金子を数え始めたのだった。
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