身代わり宮の明玉 二の十二
碧月城霊廟、御上汀良王と后が祭壇前で並び、正妃らが左手に並んでいる。
そこに本廟参りの一行が右手から入ってくる。
まずは佳良公。続いて、朱宣。
汀良王と二人の視線が重なる。
佳良公が瞬きで軽く挨拶し、朱宣は目を細めて小さく頷く。
汀良王はフッと笑ってみせた。
御上の名代を勤めた二人は汀良王の背後に控えた。
そして、次は后の名代の入場になる。
本来なら、紗蓉代妃、明玉と続くはずだが、紗蓉代妃のみの入場だ。
続いて、随行者が霊廟の後方で控えた。
「明玉代妃はどうしたのじゃ!?」
后が声を荒らげた。
「私は、ここに」
明玉は霊廟に入っていく。
その姿にシーンと静まり返った。
固唾を呑む。
まさにその通りの雰囲気だ。
皆が明玉の出で立ちから、ゆっくりと御上汀良王と后へ視線を向けた。
「おぉぬぅしぃぃぃぃ、どういうことじゃぁぁぁぁ」
后が叫んだ。
明玉は悠々と后の下まで行く。
「龍華の名代である私が、普通の礼装で本廟参りをすることは不敬になると思いまして」
「なんじゃとぉぉぉぉ」
后は興奮している。
「碧『龍』と富貴花である『華』の名代を勤めました。御上と后、まさに龍華。お二人がともに私明玉に御印を授け、名代を勤めよと指名しましたので、祖先にその旨をしかとお伝えできるように、二人で一つを身に纏いお参り致しました。お二人の心通った名代の指名に、この明玉、代わりを勤める者として奮闘致しました!! ですがっですが……」
明玉は目元を手巾で拭う。
もちろん、涙など流してはいないが。
「この明玉、大きな過ちをっ」
そこで明玉はヨヨとかます。
そして、后から貰った髪飾りをサッと髪から抜き取り胸の前でギュッと抱える。
「御上の御印より頭が高い髪飾りとなってしまいましたっ。ああ、なんと不敬なことをっ。御上の腰飾り御印碧龍の標より上に后を飾る不敬っ……ああ、后のお怒りもご尤もっ……ああ、私の失態にございますぅぅぅぅ」
そこで明玉は崩れ落ちるように両膝を折った。
シーン
ヨヨ
シーン
ヨヨ
固唾を呑む。全く持って、まさに、ほんっとうに、しつこいぐらいその通り。
明玉の独壇場だった。
「なっ、な、な、な、なんっ」
后は言葉にならぬ声を震わせる。
今にも卒倒しそうである。
「お、お、おぬしぃぃぃぃ、なんということうおぉぉぉぉ」
「はい!! まさに、なんということをしでかしてしまったのでしょう!! 『御上より上に后を飾る』などぉぉぉぉ」
このときの后の『なんということを』と明玉の『なんということを』はいささか意味合いが違っているが、明玉はあっさり后の言葉を逆手に取った。
「おい、そう言うのなら、さっさと立て。碧龍が膝を崩しているではないか」
鶴の一声か、はたまた突っ込みか、もしくは、后や針坊の者が期待する憤怒か……汀良王が言った。
少し前に戻る。
息を呑む。まさにその通り。
汀良王は明玉の姿に息を呑んだ。
文の答えがその姿。
文字を重ねるより、一瞬で超えてきたその姿。
汀良王は、緩みそうになる頬に力を入れた。
龍を身に纏い、富貴花からの飾りを挿す。
龍の代わりとなるための男装、華の代わりとなるための髪飾り。
思考するまでもなく、それが答え。
一目瞭然。
これがための文。
これが読み解けぬようでは、きっと明るい玉華に笑われよう。
目前で、后が声を荒らげている。
……自制もきかぬその姿に幻滅するが、やはり表情は変えない。
明玉に言葉尻を捉えられるとは、后の器としてどうか? 感情を抑えることもできず、表情もさらけ出す様にうんざりする。
喉から出かかりそうになる言葉をなんとか抑え、その代わり、膝を崩す玉華の言葉尻を反対に捉えた。
「おい、そう言うのなら、さっさと立て。碧龍が膝を崩しているではないか」
「お、御上……」
后が納得していない顔つきで声を震わす。
探るような瞳が苛つかせるが、顔には出さない。
頂とはそういうものだ。
「この出で立ちは、事前に報告を受けている」
「え?」
后が大きく目を見開き、驚愕の表情をみせる。
それは、本廟参りに随行した者らも同じだった。
「わ、わ、私は聞いておりませね!!」
「我も本廟参りに代妃を行かせるとは聞いていなかったがな」
「っ……」
そう返されては、何も言えない后であった。
静かになった后を横目に、汀良王は明玉を見やる。
明玉が顔を上げる。
ニマァァァァとした不気味な顔に、汀良王はギロォォォォと睨む。
そんな顔芸を一瞬交えたが、互いに澄まし顔に戻り、明玉が立ち上がり、汀良王はフンッと鼻を鳴らした。
明玉の男装の礼装に内心はともあれ、平常を保っていたのは汀良王のみである。それが、明玉の出で立ちを事前に知っており、許容したことの証明にもなったわけだ。
だが、これでは后の体面は保てないだろう。
苛烈で陰湿な虐めを明玉が受けることは明らかだ。
それを回避するため、汀良王は明玉にケチを付けなければならない。后の威厳を保つために。
内心は心底どうでもいい体面であるが。
且つ、明玉に至っては虐めを虐めと思わない者でもある。
なにせ、物怖じせず、素で能力あり、天然で強靭、苦節の上であっけらかん、最強のすっとこどっこいなのだから。
「代妃明玉、なぜ皆と一緒に帰ってきた?」
明玉が不思議そうに瞬きするのを、汀良王は内心で愉しむ。
「三歩一拝……ならぬ、散歩一杯だったか。后がそちに褒美として命じたはずだ」
「あっ、ありゃ、そうだった」
明玉が口を滑らす。受け答えとしては完全にやらかした発言だ。
出発の際の会話は、石州でお散歩して一杯のんびりするというものだった。
汀良王はそれを指摘したのだ。
嘘も方便、出発時の会話を持って、龍華二人の名代で本廟参りをしたならば、散歩一杯も実行してこなければならないと。
「オ、オホホホ」
明玉が愛想笑いする。
「后のせっかくの気遣いを無にしおって」
「はい、申し訳ありません」
明玉が軽く膝を折り、頭を下げた。
龍華の御印を持つ者としての所作に留めたようだ。
「罰がいるな」
汀良王の発言に后の表情が嬉しげに変わる。
「明日から、霊廟の灯火守り十日だ」
霊廟の灯火守りとは、夜間の霊廟で火を絶やさぬように番をする者である。
祖先の社が闇に飲まれないように、霊廟は夜でも燭台が灯っている。
寝ずの番になるわけだ。
罰としては……まあ、微妙であるが、これが御上の女人としては厳罰になる。夜こそが御上の女人の役目だから。
ということで、后の溜飲を下げたのだろう。
汀良王の視線に、后がまんざらでもなさげに微笑んでいた。
「仰せのままに」
明玉が応じたのだった。
「……なるほどな」
霊廟への報告を終え、汀良王と佳良公、朱宣で集まっている。
汀良王は佳良公と朱宣から道中の様子を聞き、文の意味を理解した。愉快な気持ちと腹立たしい気持ちが同時に沸き起こる。
「牡丹香れど龍を舞わせて振り払う。とまあ、そんな感じでしょうかな」
朱宣が愉しげに言った。きっと、思い出しているのだろう。
汀良王は、その場を見たかったと思う。
あの姿を初見できた佳良公と朱宣を羨ましく思う。
汀良王はそこで腹立たしい気持ちの一番がそれであったことに気づき戸惑った。
本来なら、本廟参りを利用して、小細工をした后に腹を立てねばならないのだ。后の体面を自身で崩すような小細工なのだから。
后にとって粛々と行われる本廟参りより、いかに明玉を悲惨な目にあわせるかを優先したことの方が問題である。
「調査致しましょうか?」
汀良王の思考の間を汲んだのか、佳良公が言った。
汀良王は必要無いと言わんばかりに手を振る。
「いや、いい。すでに、密偵を動かしている」
「そうですか」
佳良公が頷いた。
詳細な報告は、密偵が行うだろう。
誰が命じ、誰が実行し、誰が見ていて、誰が知っていたかも全て。命じた大元の名は上がらずとも。
「どうするのです?」
佳良公が問う。
「どうもしない。あれの方便を無駄にする必要はない」
無駄にはしないが、詳細は知っておくべきだ。
後宮の異変が、先の華会のようなことに繋がるのだから。
「あの代わりの華は、とても見応えがありますね」
佳良公が愉しそうに言った。
汀良王は、佳良公からの文の文面が思い浮かぶ。
***
代わりの華の香ばしいことに心躍るばかり。
代わりの華は見飽きません。
代わりの華はさえずりなし。
***
そして、今、代わりの華は見応えがある、と口にした。
佳良公が明玉に目を奪われているのはわかる。それに恋情があるかどうかはわからない。
「そうだな。あれは代わりのいない華だ」
明玉の代わりはいない。
口にした瞬間、朱宣が口角を上げたのがわかった。
そして、佳良公が……目を伏せたのも。
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