身代わり宮の明玉 二の八
石州まであと一日となった。
本日も早朝の出発である。
二度あることは三度ある。
一日目、二日目と続いたなら、三日目もあるということだ。
「后ってこういうことに長けているのね」
明玉はそれを見ながら言った。
花鈴は憤怒の表情、凛音は悔しげな表情でそれを見つめている。
「一日目は礼装破損、二日目は貧相な膳、三日目は履物に小細工。流石、后。手を緩めないあたり、正に后」
明玉は感心した。
「こ、こんなこと……」
凛音が涙ぐんで履物に手を伸ばした。
明玉から貰った高履きだ。
いや……高履きの高たる箇所が取られて、平履きになっている。
ヒックヒックと凛音が嗚咽を漏らす。
高位女官となり、明玉という主からの最初の贈り物。寵愛の証が無惨な姿になってしまった。
「凛音……」
花鈴が凛音の肩にソッと触れて慰める。
「あらあら、まあまあ」
そこに針坊の随行者が現れた。
凛音が涙目になりながらも、キッと睨んだ。
「流石に針坊と言えど、履物を修復する者は随行しておりませんの。私では手直しは無理ですわ。履物を過度にご使用されたのですね」
小さな声で『木登りなどするほどお元気な代妃ですから、履物も痛むのでしょう。お付きもそれに倣ってバタバタと履物を鳴らしているのでしょうね』と、口元に手をあて言った。
確実に、この所業は針坊の随行者がやったことだろう。だが、証拠はない。いや、証拠は出ない。それを見た者も出てこない。
后の指示だからだ。
いや、もしかしたら雨慈が后に耳打ちしたのかもしれない。
何せ、本廟参りを伝えに来た雨慈がよろけた時に、明玉と花鈴が言葉にしたことの意趣返しにも思えるからだ。
凛音が唇を噛み締めて耐えている。
「ですが、履くことはできるようで何よりですわ」
(後宮低位の平履きで歩けますわね)
針坊の随行者が自身の履物を一瞥する。
もちろん、平履きだ。
自分と同じ身分に見られるのを楽しんでいるかのように。
凛音が履物も履かずに飛び出すと、手を振り上げた。
針坊の随行者がヒッと怯む。
明玉は凛音の振り上げた手首を掴むと、肩をポンポンとあやすように叩き落ち着かせる。
花鈴も慌てて凛音を振り向かせた。
明玉は、二人に目配せし小声で告げた。
『ちょうど良かったじゃない。これで、参拝のときは三人ともに同じ身なりができるもの。高履きより平履きの方が準備している礼装に合っているでしょ?』
針坊の随行者には聞こえていないだろう。
凛音がハッとして目を見開く。
明玉のその発想に凛音の激情はスーッと引いていった。
花鈴も明玉の機転に感服する。
「な、なんと恐ろしいことでございましょう!!」
針坊の随行者がわざとらしく身を震わせながら大声を出す。
ここは、陣屋敷。
出発前で人が集まっている。
手を振り上げた凛音を恐ろしい者、野蛮な者とそしりたいのだろう。自身を被害者のように見せて。
本当の被害者は、高履きを壊された明玉らであるはずなのに。
「そうよね!! 履物が壊れて失意の中ふらついた高位のお付き女官を、咄嗟に支えることができない平(履きの針坊の者)が、本廟参りの一行にいるなんて、本当に恐ろしいことだわ。こーんな近くにいるのに、手も出さぬ無能っぷりに驚くばかり。そうよね、自ら修復もできないと公言していたのも頷けるわ。ああっ、そうね!! ちゃんと申告していたのだもの、叱責などしないわ。大丈夫よ、あなたの手は役目ができないと十分理解したわ。そんなに頑張って、自身の無能っぷりが恐ろしいなんて卑下することはないわ。針坊の者が役に立たない手を持っているなんて、口に出して言えないものね。あら、やだ、私ったら オホホホホ」
スパーンと爽快なまでに明玉は言い放った。
集まっていた皆が一瞬で固まった。
「プッ、クックッ」
誰かが耐えられず噴き出す。
瞬時に、それが伝達していって口元を抑えた噴き出し笑いがそこかしこで広がっていった。
針坊の随行者が顔を真っ赤にして明玉らを睨んだ。
明玉は慈愛の眼差しで、針坊の随行者を見て頷く。
ゆっくりと平履きとなった履物に足を入れ、微笑みを絶やさず針坊の随行者の手を取りソッと包みこんだ。
そして、フゥーフゥーと息を吹きかける。
以前、后が白梅正妃にしたように。
「この手が、良き手に育つように、フゥーフゥー。針坊のお役目以外に使われることのないように、フゥーフゥー。誰かを支えられる手でありますように、フゥーフゥー。大丈夫、きっとこの手は日の目を浴びるわ」
明玉は、針坊の随行者に身を寄せる。
『針坊の手としてか……悪しき手としてか……どちらかでね』
(針仕事の実力で日の目を浴びるか、この陰湿な行いが公となるか)
『明るみに出た時、后は『平』を庇うかしら? こんな陰湿な嫌がらせを命じるあの后が?』
針坊の随行者の顔色が変わる。
明玉はそんな針坊の随行者を軽く抱きしめる。
「大丈夫よ、手出しは不要。ちゃーんと、后のご意向に従うから」
明玉は針坊の随行者の目前であの不気味な笑みを披露した。
「は、はい……わ、わかり、ました」
小刻みに震え出した針坊の随行者の手を明玉は再度取り、指を一本一本擦る。
「后はこの手がお好きなのね?」
明玉は吐息のようなほとんど聞こえないだろう声を紡ぐ。
『何本無くなるのかしら?』
針仕事の手の指が……と続くだろうことは予測できただろう。
悪しき手として公となれば、后は庇うことなく糾弾し、その手は針を持てぬように罰せられるかもしれないと。
「ヒィッ」
足をもつれさせて、退いていく哀れな者に明玉は小首を傾げる。
「あらあら、まあまあ」と。
お返しの言葉で見送ったのだった。
佳良公の視線が明玉の足下に向く。そして、顔を上げる。
明玉は笑む。
「えっと……」
佳良公の視線がまた足下に向く。そして、また顔を上げる。
「はい?」
明玉は特に気にする様子もなくいつも通りだ。
また佳良公の視線がジーッと足下を見て、無意識なのか指をさしていた。
「これは?」
また、顔を上げて明玉を伺う佳良公である。
「地面が何か?」
明玉は佳良公の言わんとしていることは分かっていたがすっとぼける。
「……おみ足は大丈夫ですか?」
佳良公が角度を変えて問うてきた。
「ええ、二本健在よ。輿に乗っているだけだから、疲れてはいないわ」
「……それにしては、目の下の隈が酷いように思えますが?」
佳良公は履物以外の点を指摘することにしたようだ。
そこで、明玉は手巾を目元にあてて、わざとらしく『ヨヨ』と泣き真似をする。
「御上と離れ泣き濡らす夜の長きことよ。ヨヨ、心が締めつけられ、眠りも浅く……」
「グフォ」
明玉と佳良公のやり取りを眺めていた朱宣が噴き出した。
「本日も御上に文を出されますかな?」
「ええ、もちろん」
ヨヨの泣き真似などどこへやらで、満面の笑みに変わっている。
「私も文を出すよ。何か伝えたい『事』はあるかな、明玉代妃?」
佳良公が一瞬明玉の足下を見る。
助け舟を出したのだろう、頼っても良いのだと。何があったか口にしても良いと。
それを汀良王に伝えることもできるのだからと。
「そうですね……」
明玉は白月浮かぶ空を見ながら少しばかり考える。
「お土産は何がいいですか? とか」
「グフォ」
朱宣がまた噴き出した。
予想だにしない発言に、佳良公は呆気に取られたのだった。
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