身代わり宮の明玉 二の七
翌日、早朝。
本廟参り一行は出発で集まっていた。
紗蓉代妃が眉尻を下げ明玉を見ている。
口をモゴモゴと動かして、何か言いたげな表情だ。
小さく息を吸い込んで何か言おうとした瞬間、針坊の随行者が紗蓉代妃の横に並んだ。
「お召し物を確認しますわ」
紗蓉代妃がビクンと反応した。
「長旅です。布も疲労していきますわ。本廟では疲労を見せられませんし。フフ、后からもきつく命じられていますのよ、紗蓉代妃?」
ニィッと笑った針坊の随行者に、紗蓉代妃は顔色を無くす。
后の命令という後ろ盾があることを明言して、紗蓉代妃の口を閉じさせた。
本廟では疲労を見せられませんーー本廟で披露できません、という隠語を口にしたのだ。
何らか明玉を手助けすれば、本廟で礼装を披露できないようにするぞ、と暗に示したわけだ。紗蓉代妃の礼装も明玉と同じようになると。
そして、針坊の者が明玉らを一瞥してフンッと鼻を鳴らした。
「紗蓉代妃は后から言付かった針坊の私、あちらは繍坊のあれが担当しますので」
この言い様も暗に紗蓉代妃は后の命令を受けた針坊の方につけと言った……脅したのだ。
紗蓉代妃は虚ろな瞳になり明玉を見ている。
お付きの女官らもすっかり身を縮こませている。
「紗蓉代妃! また後で!」
明玉はそんな不穏な状況を気にすることなく溌溂と紗蓉代妃に手を振った。
紗蓉代妃の目が一瞬で見開く。
「ぁ、っ……」
言葉にならない声だけが紗蓉代妃の口から漏れる。
「石州では継ぎ接ぎで暮らしていたから、大丈夫!」
明玉はそう言い残し輿に乗り込んだ。針坊の者だろうクスクス笑いを背後に受けながら。
そこから少し離れた場で、佳良公と朱宣が明玉らを眺めていた。
「……って、あれさ、何か応酬があったよね?」
佳良公が言った。心配する風でなく、何やら好奇心にじみ出る表情で窺っている。
「でしょうな」
朱宣が是と応じた。こちらも、心配する素振りもない。
「あの明るい華は全く気にしていないようだね」
佳良公の頬が緩んでいる。
「あれは、そういう強靭な華ですからね」
「でも……顔色が悪いね」
明玉らの目の下には隈ができている。いくら化粧で誤魔化しているとはいえ、よく見ればわかってしまう。
礼装準備で夜ふかししたからだ。
「何かあったのは確かでしょう」
「手助けしないの?」
佳良公が朱宣に問うた。
「今のところは。『事』次第でしょうな」
朱宣が目を細めて明玉の輿を見た。
「目に見えて報告する『事』はまだ起きていないからか」
佳良公が汀良王へ出す文を準備する。
「文にはつつがなく出発って記すかな。……あの華は、見飽きないね」
後宮の陰湿さは、代替わりのたびに見てきた佳良公である。屈するばかりでさめざめと泣く女人は見飽きている。庇護欲など、とうの昔に置いてきた。
だからとて、我欲の強い女人にも辟易している。意中の者の前では色香でしなり、裏では別の顔を持つ……后のような、正妃のような女人も後宮では当たり前の存在だ。
「さてさて、あちらの華はなんと記すやら」
朱宣が愉しそうに言った。
二人は顔を見合わせ、明玉の輿へ向かったのだった。
そして……
汀良王のもとに、また文が届けられた。
経過報告を致します。
早朝つつがなく出発しました。
代わりの華は見飽きません。
ー佳良ー
おっかみぃ、離ればなれぇでぇ恋しいわぁあん
この心ぉのぉ震えをどぉかぁ包んでぇくだせぃましぃ
朝露にぃ濡れたぁのかぁ
エーンエン、ズビズビィ
私の衣はぁ酷い有り様ですのぉ
ー照ら月の包む我が身で参らんー
「……」
文を持つ汀良からの手が震え出す。
『落ち着け、自分。いいか、佳良公ものことだ、文面通りではない。隠語に違いない。あれのあれは見飽きないほどおかしな者だということだろう。きっと、眉をしかめるような気持ちを示したに違いない。……問題は、この悪寒が走る文。昨日のものといい……きな臭い。華会時のように、何かあるに違いない……と思いたいが、どう見ても恋文に見える。それも最高級に気色の悪いやつだ。あれの気色の悪い作り笑いのようだ。そう……作り笑いと同じで作り文か。……そうだ、朱宣! あやつが噛んでいるな』
汀良王は思考を巡らせ、一種の答えにたどり着いた。そうして、納得しなければ文の存在に頭を悩ませてしまう。
「御上、少しお休みになられては? 隈が酷いですよ」
徳膳が言った。
そう、汀良王の目の下に隈ができている。
昨夜は、明玉の文を解読しようと夜ふかししたからだ。もちろん、全く解読などできなかったが。
二通目でやっと朱宣の存在を思い出し、奴がからんでいると気づいた。
「温布をくれ」
目元を温めて少しばかり瞑想でもすれば落ち着くと思ったからだ。
「かしこまりました。お待ちを」
徳膳が部屋を出たのを確認し、汀良王は明玉の文を再度確認する。今回も徳膳には見せていない。
「……」
汀良王は二通の文を見比べた。
「……明るい玉華で間違いないよな」
文には明確に明玉と記されていないのだ。
「まあ、照らと我を言うのはあれしかいない」
冷宮の月夜を思い出し、汀良王はフッと笑った。
後宮の塀をひとり歩きし現れ、汀良王の御前だというのに色香も出さず、睡蓮のように夜に寝ていたいと宣った。
朱宣には振られたと笑われたのだなと。
「帰ってきたら、また冷宮に呼んでこっちも嫌がらせをしてやろう」
朱宣が明玉をけしかけた嫌がらせだと汀良王は結論付けた。
「あれはまったく飽きない華だな……」
口にして気づく。
汀良王は佳良公の文を見た。
「……」
「戻りました。御上、温布です。御上?」
徳膳の呼びかけ、汀良王はハッとした。
佳良公の文を机に置き、明玉の文を懐にしまう。
「どうぞ」
徳膳が盆を机に置き、温布を汀良王に掲げる。
汀良王は温布を受け取ると椅子に座り、目元を温めた。
「佳良公は」
「徳膳、しばし休む」
机の文を目にしただろう徳膳の言葉を汀良王は遮った。
なんとなく、何も聞きたくない、何も目にしたくないと思ったからだ。
徳膳が下がっていく衣擦れの音を聞きながら、汀良王は瞑想に入ったのだった。
綺羅々后の命令は一つではなかったようだ。
肉や魚なしの葉物しかない膳が運ばれてきた。本当に葉物だけ。穀類もない膳だった。
「わあお、久しぶりにいつもの食事に戻ったわ」
明玉は貧相な膳を気にもとめない。
陣屋敷の給仕係の者が身を縮こませている。
「これそこの者、この膳で間違いはないの?」
給仕係の者に花鈴が問うた。
「あ、あ、あの、そのように、はい……后からご指示が出ているとのことで、あの、私どもは言われた通りに、はい、したまででして」
給仕の者が小声で続ける。
「血肉を口にした穢れた体で参拝しないようにと、お伝えせよと」
明玉に打撃を与えたい后の追撃だ。
今回の一行には食事全般を担当する食局の者も随行している。針坊の者と同じく后から命令が出ていたのだろう。
「では、皆も同じ膳なの?」
花鈴が給仕係の者に確認した。
給仕係の者はプルプルと首を横に振る。
花鈴が眉をひそめた。
「も、申しわけありません!! 私は……私どもは、仰せつかった通りにしているだけで」
「大丈夫よ。もう下がっていいわ」
花鈴が給仕係に詰め寄りそうになるのを、明玉は制した。
「ですが、明玉代妃!」
花鈴が声を上げた。
凛音も不満げにお腹を擦って膳を見ている。
「大丈夫、大丈夫!!」
明玉は荷物をガサゴソとしだす。
「あった、あった」
明玉が荷物から出した袋を開けて花鈴と凛音に見せた。
「まあっ!!」
凛音が嬉しそうに声を上げた。
明玉は鼻高々でニンマリと笑う。
「干し柿に、干し芋、干し肉まで」
凛音が目を輝かせている。
「それで、明玉代妃」
花鈴がニーッコリ明玉に笑んだ。
「これら乾物(干し物)はどこでどうやってこしらえたのでしょうか?」
「えへ、えへへ」
明玉は笑って誤魔化す。
「ひとり歩きをしていますね?」
「ア、ハハ」
明玉は明後日の方向に視線をずらす。
だが、花鈴が明玉の視界に入ってきて笑みの圧をかけた。
「えっと……後宮の空き屋敷で」
花鈴のお小言が夜通し続いたのは言うまでもない。
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