身代わり宮の明玉 二の三
身代わり宮に雨慈がやってきた。
后のお付き女官という権力を振りかざす。
「后より身代わり宮に指示が出ました」
雨慈は、あくどい笑みをこれでもかと満面に浮かべる。
「本廟参りをするようにとのこと。名代は紗蓉代妃と明玉代妃、他に行きたい者は明日までに名乗りを」
雨慈が花鈴を一瞥して、嫌な笑みを浮かべる。
「本廟参りに関しては、そこの花鈴が詳しいわぁ。皆、よぉーく聞いて、本廟参りか身代わりかを決めればいいわぁよぉう」
主に似るというか、主に似せるというべきか、雨慈は后の言い回しのごとく発した。
花鈴は軽く膝を折って応じ、雨慈の煽りを無表情でやり過ごす。
雨慈がフンッと鼻で反応した。
「后はぁ、いつものように碧月城の霊廟からお祈りするわぁ。ちゃあーぁんとしたお参りはわかるわね、花鈴?」
花鈴の眉間に一瞬シワが寄る。
雨慈は、それを見逃さず愉しげだ。
「……霊山本廟参りでございますね」
花鈴が言った。
「ええ、その通り。ちゃあーぁんと正式参拝よ。皆にぃ教えてあげてねぇ」
雨慈がクスクスと笑う。
「三歩一拝、かしこまりました」
花鈴のその言葉で、明玉以外の代妃らがヒュッと息を吸った。
霊廟とは、祖先を祀る場だ。
祖先の魂を祀る建物で、そこで祈ることが霊廟参りである。后の役目の一つに、毎日の霊廟参りがある。
霊廟参りから一日が始まると言ってもいい。
霊廟は墓とは違い、碧月城内に造られている。
そして、本廟とは沙伊建国の祖が聖域と定めた険しい山ーー霊山に造られた。
碧月城から三日ほどかかる岩山で、そこを三歩一拝で参ることを后が指示したわけだ。岩山を三歩一拝で。
「じゃあ、よろしく」
雨慈が軽い口調で代妃らを見て言った。女官が妃に使う言葉遣いではない。后のお付き女官、虎の威を借る狐、そういうことだ。
青ざめる代妃やそのお付き女官らの様子を愉しげに眺めてから、雨慈が踵を返した。厳しい本廟参りか、厳しい身代わりか、代妃らに逃げ道はない。
皆が無言で雨慈の背を見つめる中、明玉は超絶かつ溌溂と言い放つ。
「気をつけてね、雨慈!」
とっても大声で。
雨慈がその声でビクンと体が反応し、高履きゆえにやらかす、グキッと。
ヨタヨタッと倒れそうによろめくが、なんとか体勢を立て直すと振り返り、ギロッと明玉を睨んだ。
明玉は口元に手を添えて、花鈴に耳打ちする。
「雨慈ってば、若々しいわね」
(高履きでよろめくなんて、不慣れな若い女官のようね)
明玉の言葉の裏を花鈴がわからぬはずはない。
いや、褒め言葉の裏に隠した意味を、後宮に籍する者が気づかないわけがない。
「明玉代妃、違いますわ。歳には抗えないのです」
(高履きでよろめくほど、老いた足なのでしょう)
花鈴があえて、慈愛に満ちた視線で雨慈を見た。
雨慈は羞恥のあまり顔を真っ赤にさせ、ダンッと高履きで地面を踏む。そして、再度踵を返すと見せつけるように威勢よく闊歩して出ていったのだった。
明玉の部屋に、紗蓉代妃が訪れている。
家族が大病を患い、希少な薬を得るため大金が必要となって身代わり宮に上がった妃である。
代妃となったおかげで、大金と希少な薬を手に入れるつてを得て、生家は持ち直したようだ。
明玉が身代わり宮に入宮する時、血みどろで床を這いずり出てきたあの家族思いの代妃である。明玉入宮までは、紗蓉代妃が末席の妃だった。今は明玉が最下位末席の妃である。
「本来は、本廟参りは四佳人の役目ですが、現後宮に存在しませんので、后は代妃に指示したのでしょう」
毎日の霊廟参りと六カ月に一度の本廟参りは、後宮が受け持つ儀礼祭礼である。
「ですが、慣例では、最初の本廟参りは高位正妃二名が名代になるものです。それをしない代わりに正式参拝を命じた……低位代妃に」
花鈴の顔は険しい。
「三歩一拝での本廟参り……なのですよね」
紗蓉代妃が力ない声を出す。
「そうそう、散歩一杯ね。まさか、後宮外に散歩に出られるなんて、后ってば気が利くわ」
明玉の言葉に、部屋の中の者がシーンと静まる。
花鈴と凛音、紗蓉代妃のお付き女官四人、部屋付きの官女ら全員がポカンと口を開けて明玉を見ていた。
後宮から出られないとはいえ、例外的に外に出る勤めがある。本廟参り然り、御上の視察随行であったりだ。
「あ、の……険しい山、それも岩山ですよ」
紗蓉代妃が散歩程度に思っている明玉に言った。
「霊山よね。大丈夫、地元だし」
「そういえば、明玉代妃は石州でしたね」
花鈴が言った。
沈家のある石州に霊山はそびえている。
「ええ、霊山はお庭みたいなのものよ」
「は? 霊山に入山したことがおありなのですか!?」
沙伊建国の祖が聖域と決めた山、本廟まで建てた山に一般人が足を踏み入れることはできないはずだ。それこそ、懲罰ものである。
霊山麓の拝殿からしか一般人は祈れない。
そして、その拝殿から三歩一拝で参ることを后は指示した。
三歩一拝は祖先を尊び、真心込めた参拝方法の一つである。
「だって、霊山の供物は沈家裏山の恵みをお供えする決まりだからね。沈家が落ちぶれても、ギリギリ踏みとどまれたのはその役割があったから。一カ月に一度、一張羅を着て供物を霊山に運んでいたし、本廟参りの供物も同じよ。でも、本廟参りの供物は父と兄が随行していたわね」
沈家から霊山の登山口までは歩いて一刻ほどである。
「まあ! なんと心強いことでしょう」
紗蓉代妃が明玉を拝むように見つめている。
「大丈夫、任せて!」
明玉は胸をドンと叩いた。
「……何だが、嫌な予感が」
花鈴が呟く。
明玉の大丈夫が一般的ではないと……任せるととんでもないことになるのではと……花鈴はそこはかとなく感じていたのだった。
明玉が紗蓉代妃とともに、本廟参りの話をしていた頃、汀良王のもとに訪問者が現れた。
「兄上! あっ、違った。御上」
汀良王を兄と呼んだ男が、両手を目の高さで組んで両膝をつく。
「佳良公、よく来たな」
汀良王は一つ下の弟、佳良公に手を伸ばし立ち上がらせる。
王の子は、男は公子君、女は公女姫、沙伊での呼び名である。玉座につく者だけが王となり、御上として崇められる。
「御上のためなら、火の中水の中、死地からでも飛んで参ります!!」
「おいおい、我がお前を死地になど行かせんぞ」
汀良王は佳良公の肩をポンポンと叩いた。
佳良公は唯一辺境地に赴いていない公子君である。だが、碧月城にいない。監査官として、先触れなしに沙伊をまわり不正を調査している。
汀良王の懐刀、遊撃隊のような位置づけだ。
「失礼しますぞ」
兄弟対面の場に、朱宣が飄々と入ってきた。
侍従の徳膳が気軽に入ってきた朱宣を少しばかり睨む。
「お伺いなしに入室は」
「まあ、良い」
徳膳が小言を口にしようとするが、汀良王は制した。
納得しない表情で、徳膳はスーッと下がった。
朱宣が両手を目の高さで組み両膝を折る。
「お呼びとのこと。私、朱宣参内致しました」
朱宣が深く頭を下げた。
「待っていたぞ。我の名代として、二人には本廟参りに行ってもらいたい」
汀良王は佳良公と朱宣に言った。
「確かに、本廟に新王の報告をしなければなりませんな。本廟参りの時期でもありますし」
汀良王が玉座について五カ月ほど経った。
六カ月毎の本廟参りと相まって、いい時期である。
「後宮からは誰が?」
佳良公が訊く。
「后に指示は出している。我の治世最初の本廟参りだ。序列の高い正妃を出すことだろう」
……さて、汀良王の名代は弟の佳良公と外交官の朱宣、后の名代は序列最下位の明玉と紗蓉代妃。
奇想天外の本廟参りが幕を開けることとなった。
5,10,15,20,25,30日毎更新




