身代わり宮の明玉 三
「さて、后にご連絡したわ。しかるべき処罰がありましてよ」
白梅正妃がハンカチを口元にあて、『ごめんあそばせ』と卑劣に笑う。
「お茶が溢れたのは!」
床を拭く麗羅正妃の女官が、抗議するように声を出した。
麗羅正妃がお茶を溢したのは、茶台に細工がなされていたからだ。
「これ、止めよ」
麗羅正妃が女官を制した。
白梅正妃が眉を潜める。
「全く、茶もまともに嗜めぬ、お付きの女官も躾がなっていないとは、正妃ともあろう者が情けないことですわ」
白梅正妃が、口を真一文字に結び屈辱を味わっている女官を見下す。
そして、床についた女官の手を一瞥すると、クスッと笑い底の厚い靴で踏んだ。
「白梅正妃、お止めください!」
麗羅正妃が叫ぶ。
「女官に身代わりはいないのだから、処罰は自身で受けてもらわねばいけませんわ。間違っておりまして、麗羅正妃?」
麗羅正妃がハンカチをギュッと握りしめた。
「上位の私に声を荒らげたのです。この後宮の規律を軽んじるとは、何様なの!」
白梅正妃が、グリグリと女官の手を踏みつけた。
女官は、苦悶しながらも声を上げず耐えている。ここで、また声でも出そうものなら、また白梅正妃にいちゃもんをつけられるからだ。
「失礼致します」
后に報せに行った白梅正妃の女官が、后の女官と一緒に戻ってきた。
「后より、お言葉を頂戴しました」
后の女官が麗羅正妃に向く。
「御上汀良王様の茶を粗末にした罪、白梅正妃の部屋を汚した罪、重罪ゆえ、『水苦の刑』に処するとのことです」
麗羅正妃が、深く膝を曲げ頭を下げる。
「仰せのままに」
かくして、身代わり宮へ早急の知らせが入ったのだ。
『碧月城』には、多くの宮がある。
名家と同じで、王宮の中央が王宮殿で、北に后宮殿を中心とした後宮、東に太子宮殿、西に公女宮殿、南に離宮となる。
まだ、東西の宮の住人はいない。
離宮には、王族が住まっていた。
各宮内も、細分されそれぞれの主に独立した屋敷が与えられている。
「御上汀良王様は、即位してまだ三カ月です。即位の一カ月後に后が召され后宮殿が開宮しました。そのまた一カ月後に九人の正妃が召され、後宮が開かれたのです」
明玉は歩きながら、花鈴から説明を受ける。王宮に出仕していない沈家は、内情を知らない。
先王が亡くなり現王が即位した、それ以外を知る由もない。
その代替わりも、明玉が知るところで三度である。
現御上汀良王は、兄王が病で逝去したため玉座についた。病で逝去が二度続いているが、そこは禁句だ。
いわゆる、毒か暗殺かと思われる。兄弟の血の争いだ。
「つまり、後宮は開宮して一カ月しか経っておりません」
花鈴が足を止める。
さっき通ったばかりの表門だ。
明玉は、綺麗な上着を身にまとい、髪は結い上げられている。沙伊国では、既婚者は髪を結い上げる習わしだ。
中央分けで編み込まれた髪に花飾りが添えられている。頭の上で、ハの字の輪で結い上げられた髪に赤いリボンが揺れる。
煤けたような髪、手入れされていない荒れた肌、明玉は到底妃に見えない状態だが、取り繕ったような身なりで、辛うじて妃だと判別されるだろう。
そして、あの底厚の履き物である。
歩きにくい靴だが、明玉は花鈴の添え手など要らぬが如く颯爽と歩いている。
「端的に申し上げます。正妃同士で足の引っ張り合いをし、后へ失態を告げ、処罰を科している状況です」
「それで、正妃の身代わり妃が処罰を受ける仕組みなのね?」
「左様……そうです。身代わり宮は、后と正妃の身代わりを役目とした宮です」
明玉は頷いた。だいたい想像はついていたのだ。宮の名称的に、それ以外の解釈はできない。
「本日、御上のお渡りは麗羅正妃です。白梅正妃の宮で失態をし、綺羅々后より『水苦の刑』が下されました。本来なら、身代わり妃で対処するところですが」
「使える身代わり妃はいなかったのね」
そして、明玉の出番となったわけだ。
「身代わり妃がいなければ、正妃自身が処罰を受けることになり、御上のお渡りはお流れになりましょう」
「ああ、なるほど! 花鈴が『これが狙いだったのね』って言ったのは、そういうこと!」
明玉はスッキリした。
身代わりがいなければ、妃本人が処罰を受け、心身が傷付けば御上の相手はできなくなるからだ。
身代わり宮の状態からして、拷問に近いのだろう。
「これから『水苦の刑』です。大丈夫ですか?」
明玉が全く怖じ気づいていないことを、花鈴が案じているのだ。
「花鈴、急いで!」
また、なんとも遅い走りで女官がやってくる。
麗羅正妃付きの女官のようだ。
「処罰は、后宮の陰宮で行うのが習わしです。輿にお乗りください」
カッポカッポと底の厚い靴で表門を出ると、輿が待機していた。
明玉と花鈴は、輿に乗り込んだ。
「身代わり妃は来ないですわね」
白梅正妃がハンカチで口元を隠しながら言った。ハンカチの内側では、口角は上がっていよう。
「もう、待てぬ。刑を執行せよ」
段上の椅子に座っている綺羅々后が言った。
麗羅正妃は震えだす。
目の前には、たっぷり水の入った大きな桶が置かれている。
その水桶に顔を浸けるのが『水苦の刑』だ。
息が続かなくなるまで顔を水に浸けて、苦しませる刑である。
「何をしているの? 后が命じたわ。早く刑の執行を」
白梅正妃が后付きの女官を急かす。
その時だ、明玉が現れたのは。
「遅くなりました」
花鈴が、両手を目線の高さで揃え、両膝を床に着けて頭を下げた。
明玉もそれに倣う。ここに来る前に、所作は花鈴から聞いていた。
白梅正妃が唇を噛み締め、苦々しげに明玉を見た。
女官たちが、すぐに明玉の両脇を掴み立たせる。
明玉は水桶の前に運ばれた。
「后をお待たせするとは不届きですわ。刑の追加が望ましいかと」
白梅正妃が軽く膝を折り、綺羅々后に進言した。
「一計でなく、三計にせよ」
綺羅々后が命じる。
要するに、顔浸け三回に増えたのだ。息が苦しくなるまで顔を浸けることを三回せよと。
か弱い正妃なら、一回でも失神することだろう。
「始めよ」
そして、明玉は女官に頭を押さえ付けられ、水桶に顔を浸けた。
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