身代わり宮の明玉 二十九
「旦那、勿体ぶらねえでくだせぃ」
こともあろうに明玉は、机に肘をつき濁り酒を片手に、とんでもなく妃らしからぬ口調で汀良王を促す。
徳膳のこめかみに青筋が浮かび上がった。
背後に控える徳膳の隠しきれぬ怒気を、汀良王が軽く手でいなして口を開く。
「もし、青菜皿が下げられなかったら、どうなっていた?」
「そりゃあ、皆、食あたり食中毒だね」
明玉はグビッと酒を煽る。
汀良王が小さくウンウンと頷いた。
「その原因を探るだろ?」
「そりゃあね」
汀良王と明玉のかけあいが続く。
「そこで、あの青菜皿のニラが水仙の葉だってことが判明されるわけだ。そんで、その毒の青菜を卸した奴は誰だってことになるよな」
「なるほど、そうだね。ってこたぁ、商団商人に嫌疑がかかる?」
汀良王がそこで干し柿を口にポイッと入れる。
「青菜を卸した商団はなんと、……后の生家と懇意の商団だった」
「ええっ!?」
明玉は目を見開く。湖月代妃と懇意の商団ならまだしも、まさかの后の生家が出てきたのだ。
「驚くよな。そうなると、后は失脚するわけだ。后妃の序列が一段ずつずれる」
「代妃筆頭は、正妃末席に上がるってことか!!」
明玉は汀良王とのかけあいを楽しんでいる。
汀良王も饒舌だ。
「ここで重要なのは、献上品の青菜を事前に知っていること」
汀良王が明玉に答えてみろと、視線で促した。
「……ああ、そっか。『華会』の準備は身代わり宮が担っていた。事前に知ることができたわけだ、代妃筆頭なら」
汀良王が頷く。
「后妃への恨みつらみの仕返しを企てる。そこで、擬い物の青菜を混入させることにした。冷宮に女官を向かわせ、毒の葉を手に入れた。身代わり宮の女官が、『華会』の準備をしているから、混入は容易にできたわけだ」
「へぇ、よく考えたもんだ。……あの代妃にしては」
明玉の湖月代妃への印象はありきたりな後宮妃の域を脱していない。明玉を猿妃と蔑むあたり、幼稚な悪意を振りまく小者感があった。
本当の悪意は、味方のフリをした敵である。裏で糸を引くという奴だ。自身の悪意を表に出さず、恨みつらみを受けないように心優しい気弱な性格を振る舞う。
そういった意味では、綺羅々后は明玉にとって小者である。それは汀良王も同意することだろう。簡単に御せる者を后に据えたのだから。
「不思議だと思わんか?」
「ああ、あの小者にしてはよく考えた企てだ」
「いや、違う」
「ん?」
汀良王がお茶に指をつけ、机に水仙を描いた。
「なぜ、入宮したばかりの代妃が、冷宮に水仙が咲いていることを知っていた? なぜ、水仙の葉が青菜の擬い物で、毒になると知っていた?」
明玉は『あっ』と声を溢した。
「『誰か』が教えた!?」
そこで、汀良王の視線が明玉をジッと見つめた。
朱宣も愉しげだった表情から、スンと澄ましたような顔つきで明玉を見ている。
徳膳に至っては、とてつもなく険しい視線を汀良王の背後から向けている。
「えっと、私、疑われています?」
冷宮に水仙が咲いていることを知っていて、水仙の葉がニラの擬い物であるともわかっている。
住まいを同じ空間とし、湖月代妃に耳打ちもできる。
明玉も后の妃教育といういじめを一身で受けた。恨みつらみも抱えていよう。
湖月代妃にいえることは、明玉にもいえることなのだ。
「お前を疑ってはいない。もっと疑わしい者が碧月城にはいる。この冷宮をよく知っている者……先代、先々代の后妃、嬪妻、四佳人。離宮で遺児と共に息を潜めて暮らしている者だ」
汀良王が濁り酒に手を伸ばし、グビッと飲んだ。
「我の三の膳にだけ、毒の青菜と黄ニラの和え物だった。そして、密かに水仙の球根まで細切りにして混ぜてあった」
明玉は驚愕した。水仙は華も葉も球根も毒だ。
黄ニラで球根を紛らわせたのだろう。
球根までも混入していたなら、嘔吐下痢に留まらず、昏睡する可能性も秘めている。
正妃への格上げを望む湖月代妃が、汀良王の昏睡を望むはずはない。
「『誰か』に踊らされたのだろうな。正妃になれる夢を見せ、毒の混入をさせる。『誰か』の本当の夢を叶えるための捨て駒にされたのだ」
「……夢」
明玉は汀良王の語りに小さな声で反応した。
「代替わりは三回続いた。四回続いたところで驚きはしない。沙伊の血筋は遺児として離宮にいる。我の信頼する弟らは国境近い辺境地だ」
汀良王は危うい玉座を守っているのだ。周囲に信頼する者は少ない。
「転覆を目論んだ」
明玉は口にしてから、汀良王を見る。
汀良王がフンッと鼻で笑った。それが答えであるというように。
「『華会』の日、離宮に怪しい遣いが向かった。先代時に商いを起こした新興商人だ。先代の市場改革を信奉する者、その益を授かった者になる。『華会』失敗を知らせに行ったのだろう」
『誰か』にしてみれば、『華会』で汀良王や后妃に毒を盛るはずだったのだから、企みが失敗したことになる。
明玉によって。
「代妃付きの女官が、その新興商人と懇意だった」
この場合の懇意とは親密な関係を指すのだろう。
「……とんでもなく、入り組んだ面倒な背景ですね」
「関わった各々の思惑が入り乱れている」
湖月代妃の思惑、お付き女官の思惑、新興商人の思惑、離宮の『誰か』の思惑……もっと言えば、汀良王転覆を望む傍観者の思惑も含まれるだろうか。
「奪った玉座の代償だ」
汀良王がまた濁り酒を煽った。
「『華会』の青菜に箸をつけていたら、考えられる展開は多々ある。こちらが一番最悪で、あちらが一番最高の展開は、我の昏睡だっただろう。后妃共々床に伏す状況下で、なし崩し的に四回目の代替わりとなったわけだ」
離宮の『誰か』はそれを望んで、女官と親密な新興商人を使い、湖月代妃を唆した。
それが、今回の背景の大筋だろう。
「食あたり食中毒で収まったなら、それを引き起こした献上品を卸した既存の商団が糾弾され、新興商人がほくそ笑む。せっかく調整の終わった市場も元の木阿弥。我は痛手を負う」
離宮の『誰か』は汀良王転覆までいかずとも、その結果に満足するだろう。
治世の混乱は四回目の代替わりを後押しするからだ。
「『后妃の腹を下す』……そんな意図もあったはずだ」
離宮の『誰か』は汀良王の世継ぎを望まない。后宮開宮三カ月強、後宮開宮二カ月強、確かにそれを狙う時期でもあろう。
「湖月代妃は?」
明玉は身代わり宮から消えた筆頭代妃の名を口にする。今まで、汀良王はその名を口にしていなかった。あえて、そうしていたように思う。
汀良王が明玉を一瞥してから空を見上げた。
「碧月に、そんな者は存在しない」
沙伊の王宮『碧月城』。
碧の城は月夜で映える。
明玉も月を見上げた。
『密かに消える女は、後宮では普通でございますよ』
凛音の言葉が明玉の脳裏に浮かぶ。
きっと、『誰か』も湖に浮かぶ月の如く、夜が明けて消えたのかもしれない。
汀良王があえて名を口にしなかったのは、名を呼ぶ息吹、個人の確固たる存在を、明玉に感じさせないためだろう。
人の名が出れば、現実であることを認識してしまう。
明玉に現実味を与えたくなかった汀良王の優しさかもしれない。
自身も『御上』と呼ばれている名もなき存在なのだから。
「照ら(汀良)の月夜の優しきことよ」
明玉は詠った。
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