身代わり宮の明玉 二十七
『華会』は表向きには成功を収めた。
表向きは……。
『華会』の裏、毒の葉が混入することになった裏事情を、明玉が聞くことになったのは、三日後のことであった。
「明玉代妃」
花鈴が小声で呼びかける。周囲を気にするように視線まで動かしている。
移動した部屋には、確かに人の出入りが多い。
「何?」
明玉も小声で訊き返す。
「部屋移動は、先の件でのご褒美かと」
花鈴が嬉しそうに微笑んだ。
反して明玉は残念そうに肩を落とす。『褒美は金子が良かったのに』と。
「それにしても……呼び出しがなくてホッとしました」
凛音が呟く。
「着飾ってしまった代妃は后の妃教育に招集されましたね」
花鈴が続けた。
三日前の『華会』で御上の目につこうと着飾った代妃は、本日后に妃教育という名目で呼び出されている。
代妃十人中半数を超える六人だ。ちょっと盛った程度の者も呼ばれた。后の抜け目なさがうかがえる。
「まさか、三人しか代妃が残らないなんて……」
凛音が視線を中庭へと向けた。
十人中六人が后の宮。残り四人のはずだが、身代わり宮にいるのは三人。一人……消えた。『華会』後に、消えた。
「夜食を食べず膳を荒らし、后妃と並ぶように着飾って、御上と后に不興を買ったのです。消えるのは当然でしょう」
花鈴が冷たく言い放った。
「湖月代妃だったわね?」
明玉は消えた代妃を覚えている。『華会』に向かう時に、明玉を猿妃と呼んで蔑んでいた代妃だ。
着飾っても御上の目に触れず、后に目をつけられ、終いには、『華会』後に配られた御上からの夜食膳をひっくり返すという暴挙に出て……翌日姿が消えていた。
『華会』で思うように御上に自身を売り込めなかった苛立ちから、膳をひっくり返したのだろう。その膳に、明玉の干し柿も添えられていたのだ。
末席の代妃が、御上と后に認められたのに、自身はうまくいかなかったと荒んだ心が暴挙を引き起こした。
そう、身代わり宮の者たちは思っている。
そして、三日後の本日、明玉は部屋移動をしている。元湖月代妃の部屋に。
「この部屋が、身代わり宮の一等席ですね」
凛音が嬉しそうに言う。
中庭を真正面にする部屋。正門から真っ直ぐにある部屋。コの字屋敷のど真ん中、そこに明玉は移動した。
「今までの部屋より、広くて豪華だわ」
明玉は部屋を見回した。
「元々、代妃は九人が正式で、明玉代妃の部屋はコの字屋敷の左右に作られた控え部屋でしたので」
それもそのはず。明玉が召されたのは、身代わりをする代妃が全滅したからだ。急遽、召された明玉の部屋は、代妃としての部屋では元々なかった。
「部屋なんてどこでもいいわ。雨漏りしない屋根と隙間風さえ吹き込まなければ」
明玉の発言に花鈴と凛音はなんとも言えない表情になる。名家令嬢である明玉の、これまでの不遇な生活が垣間みえて。
「それにしても、湖月代妃って結局どうなっちゃったのかしら?」
明玉は消えた代妃がどうなったかが気になり花鈴に問うた。
「正式な発表がないですからなんとの言えませんが、陰宮行きでなければ冷宮行きかと思います」
后の陰宮か、御上の冷宮か、どちらにせよ懲罰処分ということだ。
「戻ってきたら、元の部屋に私がいる。きっと荒れ狂うでしょうね」
そこで花鈴が口元に手を当てて口を開く。コソコソ話のように。
「もしくは、本当に後宮から消えた可能性も」
明玉は目をパチクリと瞬いた。
「密かに消える女は、後宮では普通にございますよ」
凛音もコソッと明玉に告げる。
「……怖いこと言わないで。着飾って夜食をひっくり返しただけじゃない」
そんなことで追放になってしまうなら、明玉の方がまっさきに追放されていなければおかしい。明玉は、ずいぶんとやらかしているのだから。
妃にあるまじき木登りに、すっとこどっこいな行いをした御上との茶会。湖月代妃よりやらかしている。
「でも、あの日の夜食ってちょっと残念だったわね。ひっくり返したくなる気持ちもわかるわ。少なかったし」
明玉は三日前の夜食を思い出す。
とても小さな膳だった。とても奇妙な組み合わせでもあった。
「ひと口大のニラ饅頭とひと口大に切った干し柿、なんだか怪しげな色をしたお茶と、濁ったお酒」
たったそれだけの夜食だった。
花鈴が咳払いして説明を始める。
「後宮の夜食は小腹を満たす程度の量が基本です。それに、怪しげなお茶ではなく薬茶です。『華会』での飲食で胃を壊さぬように御上がご配慮されたのでしょう。濁り酒は……たぶん良く寝られるようにでしょうか」
「ふーん」
明玉はそんなものかと頷く。
「ですが、御上直属の内官が配膳に来るとは思ってもいませんでした。湖月代妃も内官の前で膳をひっくり返さなければ、大事にならなかったかと」
凛音が続けた。
「そうね。御上に報告され、逆鱗に触れたのでしょう」
「でも、その内官もちょっと気味悪かったわ。完食、完飲するまでずっと見ていたから」
人にジッと見られながら食べるのは居心地が悪いものだ。
「失礼致します」
そんなことを話していると、噂をするとなんとやらで、その内官が現れた。
手には何やら布がかけられた大きな盆。
花鈴がすぐに対応する。
「何用でしょうか?」
「御上から『華会』成功の褒美でございます」
内官が布を捲る。
盆の上には、硯と筆があった。
「『水絵の披露見事であった』とお褒めのお言葉も預かっております」
粋な褒美である。
水絵で食せぬ三の膳を描き、青菜皿が毒であると伝えた明玉に、硯を授ける。水から硯へと格上げということだ。
「それから、こちらも」
内官が軽く巻かれた紙を明玉に渡した。
明玉は紙を開いて中を確認する。見事な水仙の絵が描かれていた。
「御上直筆です」
明玉は絵をジッと見る。
荒んだ屋敷の庭、池の水際に水仙。池には月が映っている。四阿に影が二つ。庭を眺めて酒でも飲んでいるかのよう。
なんとも趣のある絵である。
「……賜りました」
明玉は内官に告げた。
内官が頷いてから下がった。
「確かに、御上直属の内官の方々は……少々気味悪くございますね」
「それだけ、優秀なのでしょう。こちらが身構えるほどの、何かこう……雰囲気を持ち合わせているという」
凛音の言葉に、花鈴が返す。
「褒美は部屋移動と硯に筆。もうひと声欲しかったわ」
明玉が欲しいのは金子である。
「さて、そろそろ昼餉です。本日は庭にて他の代妃の方々とご一緒ですよ」
懸命な判断をした代妃らとなら、楽しい昼餉になろう。明玉の秘密防具やお見舞いの干し柿も受け取った代妃らである。
庭でのんびり昼餉を食べながら、后の宮から帰ってくるだろう代妃を出迎えるという……ちょっと嫌味な昼餉ではある。
それも、後宮ゆえ。
それこそ後宮だから。
明玉は昼餉を食べながら、空を一瞥する。
「今宵の月は趣があるでしょうね」
明玉は手で口元を隠しながら、クスッと笑ったのだった。
明玉は鼻歌まじりに塀の上を歩く。
月夜の散歩だ。
……たった一人の。
なぜなら、それは明玉だからである。
寝静まった身代わり宮を抜け出し、明玉は趣の宮へと向かっている。
『あんな豪華な部屋より、冷宮の屋根で月を見ながら微睡んだ方が格別よ』
内心、そんなことを思いながら。
さてと、以前昼寝をした冷宮の屋根で夜風に吹かれながら月を眺める。
眼下には、廃れた宮。庭の池に月が映り、水際には水仙が咲いている。雑草にまみれた四阿。……まさに趣の宮、御上が描いた絵が目前に広がっていた。
そして、視線は重なる。
「おい、猿」
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