身代わり宮の明玉 二十六
明玉は深々と綺羅々后に頭を下げた後、ゆっくり顔を上げ妖艶な笑みを浮かべた。
その顔つきに、綺羅々后のみならず汀良王も目を見張る。
「後宮末席の華として、披露したき華がございます」
綺羅々后の言葉に合わせるように明玉は汀良王に向き直って言った。
汀良王の視線が鋭くなる。珍獣の明玉までも、汀良王に媚びようとしているのかと。
それは、綺羅々后も同様で、明玉に厳しい視線を向けていた。
明玉はそんな二人にほんのり微笑み合わせる。そして、手を隠した両袖を口元に添えて軽く膝を折った。
「華とはいえ、末席の私では誇れるようなものはなく、唯一あるのは『華の手』のみ。后から手取り足取り教育賜りました。その成果を披露させていただきたく思いますわ。水絵で『食せぬ三の膳』を描かせてくださいませ。食前の余興です」
こういうときの明玉はスラスラと流暢に言葉が出てくる。袖からスッと両手を出す。所作さえも流れるように美しい。
「明玉代妃、こちらをお使いください」
さて、意を得たとばかりに朱宣が懐から筆を取り出した。
明玉は御前から下がり朱宣から筆を受け取ると、水を探す。目にとまったのは百種牡丹を生けてある花瓶だ。
明玉は躊躇うことなく、后の華である牡丹の花瓶に筆を浸した。
無作法かつ綺羅々后への侮辱のような行いだ。綺羅々后の手が拳を作っている。
明玉はそんな后にまたも妖艶な笑みを向ける。
「后には絵心まで授けていただきました」
そんな言葉で綺羅々后の怒気が鎮まることはないが、表面上は笑みを浮かべて頷くしかない。自身が華の教育(妃教育)をしたと言ったばかりの口だから。
明玉は板間に三の膳を描き始める。
幼い頃、石に水文字やら水絵をしていた……嗜んでいた明玉である。筆使いに迷いはない。
みるみるうちに三の膳を描いていく。
皆が身を乗り出すように、明玉の水絵を見ている。
豪華食材の三の膳が板間に出現した。
方々から、余興を楽しんでいるかのような笑みと感嘆が漏れた。
だが、まだ描き終えてはいない。
最後に青菜皿を描くのを残し、明玉は汀良王と綺羅々后へ再度微笑んだ。
「最後の一皿となります。食せぬ三の膳、食せぬ華をご披露したく」
明玉は牡丹の花瓶に筆を浸し、最後の皿を描く。
丸く描いた皿に青菜(ニラの和え物)でなく『水仙』を見事に咲かせた。
最後の最後に、華を描いた明玉に水絵を楽しんでいた者らが満足げに頷いている。『華会』に相応しい余興だと思っていよう。
水絵は水ゆえに、乾いていく。
最初の一筆はすでに消えている。
最後の一皿前に間をおいたので、『水仙』だけが最後まで鮮やかに板間を飾っていた。
明玉はそこで『食せぬ三の膳』と美しい文字を書いた。
そこかしこで拍手が起こる。
明玉は両手を目線で重ね、両膝をつき最上級の挨拶をする。
「私は末席の代妃『食せぬ華』を描きました」
周囲には、代妃の明玉だから、御上が手を付けぬ華だと聞こえただろう。身分を理解し、消える華まで描いた明玉を慎ましいとも思う者もいそうだ。
その上、『華会』の趣旨を壊すことなく、后妃のように彩ることなく、添物の青菜皿のようにひっそりと自身の華を咲かせ、一頬を撫でる微風の如く消えた『華』を見事に表現した。
そう、つまり、自然に……周囲に気づかれることなく。
明玉の『華』余興を楽しむ者が大半の中、侍従の徳膳が顔色を変え汀良王の耳元に告げる。
「青菜皿は『食せぬ華』、つまり『毒』のようです」と。
朱宣を伴って干し柿を献上した機。その意味。
華を披露すると周囲には見せかけて、青菜皿を最後にそこに水仙を描く。水絵ゆえ『食せぬ華』。代妃ゆえ『食せぬ華』とまた周囲に披露し、そこに隠した真意は『食せぬ青菜皿』ということだ。
御上のお側つきなら、明玉の『食せぬ三の膳』の意味がわかる。毒が盛られるのも御上ゆえ経験があろう。
それは汀良王も同様で、明玉の水絵の意味を理解できた。
皆が消えゆく『水仙』を酒の肴に眺めている中で、汀良王と徳膳がコソコソとしていても気づかれはしなかった。ただ、朱宣だけが二人を見ている。
その視線に気づいた汀良王が、朱宣に頷いた。『食せぬ三の膳』を理解したとの頷きだ。
明玉ができるのはここまで。あとは汀良王の手腕になる。汀良王と明玉の視線が秘かに重なった。
「上級品の干し柿もお納め致します」
明玉の言葉で、皆の視線が汀良王へと向く。
后妃が華を披露しても、言葉などかけず頷くだけだった汀良王が、明玉にはどう対処するのかと興味津々である。
汀良王が明玉と視線を密に重ねたまま、口を開く。
「后よ、華への教育しかと目にできた」
汀良王は、明玉でなく后を称えた言葉を発した。
綺羅々后が満足げに微笑む。
明玉への言葉がけを避け、かつ、后のことを褒めることで『華会』が成功していると示したわけだ。
「手取り足取り教育した末席の華に言葉を授けることはないか? 后よ」
自身の言葉でなく、后が明玉に言葉がけせよと汀良王は指示したのだ。
綺羅々后は、内心明玉になど声をかけたくはないだろうが、その場が整えられた。
「……見事な華であった」
后がなんとか紡ぎ出した。褒めたくない内心の現れが、間を作ったようだ。
そこで、明玉は汀良王から綺羅々后に視線を向ける。
「ありがたき幸せに存じます」
綺羅々后が頷く。
「食せぬ華(青菜皿)を下げ、干し柿を配れ。我からの后妃への褒美である」
汀良王が言った。
明玉は上級品の干し柿を掲げる官女二人を促す。
徳膳が下りてきて、青菜皿を下げ干し柿を配るように手配した。
見事に自然な流れで青菜皿を下げたわけだ。
だが、ここで献上食材を下げさせたことで、商団商人らの気持ちが良いわけがない。その青菜皿が毒だと知らぬ商団商人らには。
「下げた青菜でニラ饅頭を作り、夜食として配るように」
汀良王は商団商人らの顔も立てた。
もちろん、下げた青菜でニラ饅頭は作らせないが。
毒の青菜が意図した混入か、意図せず混入かはわからない。それは、『華会』終了後に調べるしかない。
汀良王が干し柿にかぶりつく。
空いた腹に甘味が渡る。なんとも甘美であろう。
明玉は末席に戻り、腰の力が抜けたようにクニャリと座り込む。
「明玉代妃、お疲れ様でした。ですが、すでに次のお疲れが迫ってきております」
「え?」
花鈴の言葉に明玉は小首を傾げる。
花鈴と凛音が明玉の衣装を整えながら、周囲に視線を動かしている。
明玉も同じように周囲を窺った。
「……お見知りおき?」
「はい。明玉代妃に声をかけようと、虎視眈々と狙っております。衣装整えの間は控えましょうが、時間稼ぎももうできません」
明玉は内心『ヒィ』と悲鳴を上げている。
「来ましたよ。……あれは、最初にお品書きを渡した商人ですね」
花鈴がコソッと明玉に伝えた。
その時、明玉の前にヌッと影が現れる。
「え?」
商人より一歩早く明玉らの前に座した者いる。
「まあ、朱宣様」
衛士姿から朝廷服に転じた朱宣である。
青菜皿を下げさせ、干し柿を配っている間を利用して早着替えをしたようだ。若干衣服が乱れている。
「いやあ、ひと汗かきました」
早着替え然り、一連の青菜皿然りといったところだ。
「私は、冷や汗をかいたわ。もう、こんな大役は懲り懲りよ」
明玉は朝廷の者にするような言葉遣いでない。
花鈴が『ん、んんっ』と諌めるが明玉は肩を竦めるだけ。
「きっと、御上から格別な褒美がありましょう」
朱宣の言葉に、明玉がパッと顔つきが明るくなる。
「ご褒美! 楽しみだわ」
明玉はきっと金子だと思っていよう。
だが、朱宣は意味ありげに微笑むのだった。
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