身代わり宮の明玉 二十三
二の膳が配られ后妃への挨拶合戦が始まると、汀良王はいったん席を離れる。衣装替えをするためだ。
華会は儀式としての準正装で座していた。
後宮公式の儀だったからだ。
対して、華である后妃は華として装っている。儀式でありながらも華会という趣旨から、咲き誇る美を身に纏うわけだ。
ある意味、華会での后妃の様子が流行りとなって広まっていく。それも商いと繋がるのだから、朝廷の者ならず商団商人は目を光らせている。
「たかだか華を見るだけに、仰々しい冠に重厚過ぎる衣装、膳に手を伸ばそうにも身動きができん」
汀良王は愚痴愚痴言いながら、徳膳に衣装を脱がせてもらっている。
「二の膳には手を付けられましょう」
徳膳がクッと笑いながら言った。
汀良王が徳膳の笑みに眉をしかめる。
「すみません、あの者が脳裏をよぎりまして」
「……ああ、あれはあれだったな」
席を立つ時に視界の隅に映った明玉の点心を頬張る様子に、若干汀良王は腹立たしかった。自身は、膳に手を伸ばせない状況であれを見たからだ。
「あれだけは、華会でなく食事会ではないか。全く、妃としてどうかと思うぞ」
「あれはあういう者として認識し、達観し眺める珍獣として楽しむのがよろしいかと」
徳膳の言い様に、汀良王は呆れたように笑う。
「まあ、息苦しい中で、あれを眺めていたら、気が休まるかもな」
汀良王は動きやすい衣装に身を包むと、再度華会へ向かうのだった。
汀良王は内心で舌打ちする。
「いやあ、見事な華々ですな、御上。どの華をご所望ですか?」
后妃の縁者らが探りを入れ挨拶してくる。
汀良王は表情こそ変えないものの、苛立たしい気持ちで后妃らを見回してからフッと鼻で笑う。
一応、華は見たという演出に過ぎない。
「下賜してほしい華でもあるのか? 内々に耳打ちしても良いぞ」
汀良王は扇子を開き耳に添えてみせる。
「八、ハハ、いえいえ滅相もありません」
すぐに引いたので、汀良王は頷く。
こんなやりとりをもう何度も繰り返している。
……点心には手を伸ばせていない。徳膳が注ぐ酒だけを煽っている。
そして、目につくのだ。あれ……明玉が。
『二の膳を平らげている』
ほとんどの后妃が、膳に手をつけない中で、明玉の膳だけは異様だった。から皿ばかりだ。
『満腹で至福の笑みとはあれがまさにだな』
空腹の苛立ちで、汀良王は明玉を睨んでしまった。
「おやおや、気になる華が?」
「……朱宣か」
汀良王は気心知れた忠臣に肩の力を抜く。
三代前の父王時代に外交で手腕を発揮していたちょっと変わり者。先々代の花狂いに仕えることを拒否し、辺境地に流されていたが、汀良王が釣り上げた。
釣り上げたという言い方はどうかとは思うが、引き抜きにも応じず、招集ものらりくらりと交わされ、徳膳がより強固な召集をかけようとしたが、汀良王は首を横に振り、自身で餌を仕掛けたのだ。
「禁書は……良好か?」
餌、禁書で朱宣を釣り上げた。
朱宣は知識欲が強い。数多の公子君教育係だった頃の朱宣の欲を汀良王は知っていた。
王にしか開くことが許されない禁庫の中にあり、沙伊国前時代が記された書、禁書を汀良王は朱宣に託した。
託すことのできる大義があったから。前時代の文字は解読できていない。書はまさに摩訶不思議なミミズ文字だった。
大義は禁書の解読。禁書の解読は良好か? と汀良王は問うたのだ。
朱宣がホクホクとした表情になる。
「なかなかに手強く、毎日が充実しております」
「そればかりにかまけるなよ。少しは外交手腕を発揮してくれ。……沙伊は今、周辺国から狙われているから」
朱宣はホクホク顔を崩さず頷く。
「他の公子君らがなんとか頑張っておりますよ」
汀良王の兄弟、否、弟らは、汀良王を支える土台だ。
兄二人の治世で、最も被害を受けたのは他ならぬ汀良王と弟らである。
先代からは、綺麗事である机上の理論の手足とされ、改革を朝廷と民に説くという厄介事を託された。結果、どちらともに嫌われる。改革推進派からは、もっと御上を支えてほしいと迫られた。
先々代時は、公子君のお出ましだと過度な徴税のだしに使われた。要するに、宣伝塔にさせられ民からの敵意を向けられた。さらには、花を召す役割も科され、名家からも恨まれる。
治世の駒にされた鬱憤はたまり、なおかつ、沙伊は混乱し国境に周辺国の動きがみられることにまでなって、公子君らは汀良王を中心に、手を取り合って先代を御したという流れである。
「辺境地で困ってはいないだろうか?」
周辺国への牽制で、国境地である辺境に公子君を配置した。王族を国境線に置くことで、防衛を強固にしたと知らしめた。
「治世に関わって恨みを持たれるよりは快適だとおっしゃっておりましたぞ」
公子君らは、先々代、先代、朝廷や民と板挟みだったからだ。改革推進派にも睨まれている。
「御上の身近に絶対的信頼者が少ないですな」
朱宣が呟いた。
本当は弟らが近くにいたらと汀良王は思う。
「だから、今日はお前に華会の参加を命じたのだ。……わかるな?」
朱宣が視線を横に逸らす。
背後を気にする仕ぐさである。
汀良王は、商団商人の中に、潜りが入り込んでいる可能性を危惧し探らせるため朱宣を華会に参加させた。
華会は王城に潜入できる機会だからだ。
汀良王治世の転覆を目論む者には、内部へ潜入するため、后妃に召し抱えられることは大きな一歩になろう。
「頼んだぞ」
「もちろんにございます」
朱宣が汀良王への挨拶を終える。
后妃へ向かうことなく、席に向かった。
そして、点心を食らう。
『猿といい、変人といい、我の心を逆なでる天才だな』
とは思いながらも、汀良王は点心を満喫する二人に力が抜ける。ある意味、気をはらずにいられる存在だ。
「御上、そろそろ」
徳膳が言った。そろそろ、商団商人を広間に通す頃合いということだ。
汀良王は頷く。
「三の膳を」
朝廷の者がはけはじめ、商団商人らが動き出した。
夕刻に近づき、内官が灯りを灯す。
様々な華が妖艶さを増した。披露した華、後宮の華ももちろん……。
御上が所望する今宵の華とならんとして。
さて、末席の代妃明玉に、声かけする朝廷の者は現れない。
「……まあ、予想通りでしたね」
花鈴が呟く。
「そりゃあ、仕方ないわ。私、朝廷に知り合いもいなければ、権力もお金もない末席の妃だし」
「それにしても……誰一人として会釈もなしなのは……」
凛音がはけていく朝廷の者を眺めている。
他の代妃には、会釈程度をしているが、明玉の前は素通りだ。
「それより、三の膳よ」
明玉の関心は人でなく膳にある。
全く気落ちしていない明玉に、花鈴も凛音も笑みを浮かべる。
「三の膳は、商団商人の献上品による膳ですよ」
明玉の目が輝く。
「高級食材ってことよね!?」
「ええ、その通りです。こうなったら、思う存分に堪能してください」
今後の展望を諦めたのか、花鈴が緩んだ声で言った。
昼餉の時間から始まった宴は、夕餉の時間へと進んでいる。つまりは、豪華食材の晩餐だ。
「そうですよ。無理に朝廷や商団商人に媚びへつらった笑みを向ける必要はありません。……心がすり減るだけですわ」
後宮勤めで媚びへつらってきたであろう凛音が、眉尻を下げながら言った。
後ろ盾のない低位女官の苦労がうかがえる。
確かに、明玉は華会の間、膳にだけ目を向け、朝廷の者に愛想笑いを振りまくこともなかった。それどころか、御上にさえ目も向いていない。
御上に目もくれず、愛想笑いさえしない妃に挨拶などしたくないのだろう。なにせ、権力もお金もなく、縁故もいない妃なのだから。
と、そこで明玉は背後に知らぬ気配を感じ取り振り返る。
「どうしましたか?」
花鈴が突如振り返った明玉に訊く。
暗がりに気配を感じる。明玉は目を凝らした。
黒い衣装を纏った人影を捉え、明玉は身構えた。裏山育ちの明玉は、背後の気配は敏感である。
「明玉代妃、警護の衛士ですわ。商団商人は外部の者ですから、万が一に備えての配備です」
花鈴が黒装束の者を一瞥して言った。
「華会の様相を損ねないように、黒装束なのです。商団商人からも姿をわからぬようにしております」
大々的に衛士が囲めば、物々しくなる。
招いたにもかかわらず、怪しんでいると思われない配慮といったところだろう。
「……そっか」
ちょっと気配が違うような気もするけれど、と明玉は思いながらも三の膳に期待を寄せるのだった。
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