身代わり宮の明玉 二
沙伊国の王宮『碧月城』。
碧色である青緑色の瓦屋根が月夜に映える城である。
沙伊に行くなら月夜がよろし、そう言われているほど、月下では幻想的な城だ。
その碧月城に日中ウキウキしながら足を踏み入れた明玉は、現在、どんよりしている。
「そうよね……こんな上手い話なんてあるわけないのに、浮かれちゃって」
明玉の手には、紅詔紙が開かれている。悲しき内容に気づいたのは、碧月城の外門を入ってすぐだった。
「このおなごか、新たな『身代わり妃』は」
何やら内官らしき男が言った。
明玉は耳を疑う。
「はい。沈家の娘、明玉でございます」
明玉を案内する女官が答え、明玉に目配せした。
明玉は理解が追い付かず、小さく口を開けポケッとしている。
「これ、明玉。早く紅詔紙を」
女官が明玉に手を出した。
ここにきて明玉は、封書の中を確認していないことに気づいたのだ。
「アアァァッ」
明玉は急いで荷物から封書を取り出した。中を確認しようとするが、女官がかっさらう。
「しかと確認した。励まれよ」
内官が紅詔紙を確認し、明玉に戻す。
そして、明玉は重い足取りで『身代わり宮』へ向かっている。手には紅詔紙を持って。
何も取り繕うことのない宮だと、明玉は思う。
『身代宮』
表門に掲げられた門札を、明玉は見上げていた。
「こちらが、『身代わり宮』になります」
案内の女官が顎で明玉に入れと促した。
王宮に入った時点で、明玉に逃げ道はない。明玉は、喉をゴクンと鳴らし、フンッと鼻息を出して一歩踏み出す。
逃れられないと分かっているのに、グズグズと思い悩んでも仕方がないのだ。気合い一発、明玉は怯まず表門を潜った。
「入宮、お祝い申し上げます」
明玉の後に続いた女官が突然、仰々しく膝を折る。
明玉はポカンと女官の変わり身を眺める。
「私、名は花鈴、氏は周でございます。明玉様の女官を拝命致しました」
明玉は瞬きして、花鈴を見る。
「明玉様におかれましては、王宮の儀礼にお詳しくないかと。私めが、少々ご説明」
「その堅苦しい物言いは、儀礼なの?」
明玉は花鈴の言葉を遮って訊いた。
「……はい。王宮では位を重んじます。最高位は后、続き九人の正妃、代妃十人、后付き女官、正妃付き女官、代妃付き女官、各宮の配属女官、それから」
「あ、もうその辺で。最後は宮女ね。代妃というのが、身代わり宮の妃ってことかしら?」
「はい。左様でございます、明玉代妃。本来は、后に次ぐ福妃や正妃に次ぐ嬪、嬪以下も召すものですが、慌ただしい代替わりのため、現状は后、正妃、代妃のみの後宮にございます」
花鈴が、明玉を『妃』と呼んだ。
明玉は『身代わり宮』に入った。つまり、妃の入宮となるのだろう。
これが后や正妃なら、盛大な儀式とやらがあったに違いない。代妃とやらの明玉では、その儀式はないのだと理解できる。
期待していた食事や衣服の接待はなく、明玉は三日前に沈家を出たままの貧相な衣姿なのだ。
王宮に入ってすぐに夢は幻だと判明していたのだし。
何より、後宮の体制は急ごしらえらしい。
「状況は理解しましたわ。表門を入った時点で、貴女より私の方が位が高いから物言いが丁寧になるということね」
「左様でございます。位では后妃の方が上位になりますが、后付きの女官、正妃付きの女官は実質上、代妃より幅を利かせ、力を持つと思っていただければ」
虎の威を借る狐ということなのだろう。
明玉は、ここはやはり後宮なのだと、腑に落ちた。
というわけで、順応力が高い明玉は口を開く。
「では、位の高い私の命には従いなさい、花鈴」
「はい」
「二人の時は、堅苦しい物言いは禁止です」
「は、い?」
今度は花鈴が瞬きした。
「身代わり宮の目的は、后妃の身代わりなのよね?」
「左様、で……はい、そうです」
明玉が腕組みし花鈴に細目を向けると、言い方を変えた。
「后と九人の正妃の身代わりがお役目となり……」
花鈴がコホンと咳払いする。
「まあ、要するに懲罰の身代わりが主な仕事です」
「ですよねー」
明玉はハァと息を吐き出す。
「花鈴! 花鈴ーー!」
パタパタと遠くから女官らしき者がやってくる。走っているのだろうが、明玉からみれば鼠の方が早いのではないかと思えるほどだ。
それもそうだろう。彼女らの履き物は底がやけに高い靴なのだ。
「身代わりの妃がもう居られません! このままでは、麗羅正妃が懲罰を受けることに!」
花鈴の表情が歪む。
「これが狙いだったのね」
何やら不穏な状況に至っているようだと、明玉は女官らを眺めていた。
一人の女官と視線が合った。
いきなり、女官が両膝をつき、明玉の足元に摺り出た。
「新たな身代わりの妃ですか!?」
「待ちなさい」
花鈴が明玉の足元の女官を制した。
「ですが!」
どうやら、明玉に身代わりをさせたいのだろう。縋るような眼差しを明玉に向けてくる。
「表門を潜ってまだ一歩の妃ですよ。いきなり身代わりとは過酷です」
明玉は思わず、振り返る。確かに一歩程度しか進んでいない。
「給金を上乗せします!」
「ノッた」
明玉は即答した。
どうせ、このままでは埒が明かないだろうし、結局自分が身代わりになるはずだ。それなら、よりお得な方がいいのだ。
「よろしいので!?」
花鈴がギョッとしながら訊く。
「どうせ、回ってきそうだもの」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
足元の女官がスッと立ち上がる。
「お時間がございません。上着だけお召し替えいただき、すぐに髪も整えましょう」
明玉は宮に入って一歩で、身代わりのお役目を引き受けたのである。
「あら、まあ、私の部屋を汚すご訪問でしたの?」
麗羅正妃が真っ青な顔で立っている。
麗羅正妃付きの女官が手持ちのハンカチで、床を懸命に拭いている。
「申し訳ありません」
麗羅正妃が片膝を深く折り、頭を垂れた。
「茶も上手く飲めないような妃がいるとは」
部屋の主が嘲笑した。
「白梅正妃、本日のお茶は御上汀良王様から賜ったものにございます」
白梅正妃付きの女官が、息を合わせたように発した。
汀良王とは、現沙伊国王の名だ。
そして、沙伊国では王のことを御上と呼ぶ。
「御上のお茶を床に溢すとは、なんと不敬なことでしょうか」
白梅正妃が大袈裟に言った。
5、10、15、20、25、30日毎更新。次回更新12/5予定。