身代わり宮の明玉 十九
明玉は目を瞬いた。
「これがあれば……これがあれば……皆が救われます」
花鈴の言葉に女官らや官女らも頷き、口々に明玉に懇願した。
下働きの新入りの官女など、必死の形相だ。特に厳しい躾という虐めを受けるからだろう。
女官とて同じ。高位の者に……上位の宮殿に務める女官から簡単に膝つきを命じられるのだという。
明玉は、そういえば花鈴から不動の刑で動けなくなった話を聞いたなと思い出す。
「他の代妃の方々も必要になりましょう。明玉代妃、お願い致します」
「分かったわ……でも、あの、怒らないでね」
明玉は花鈴をチラチラ見ながら、悪事を告げる。
「妃の衣装の真綿をね、ちょっとばかりくすねて」
「明玉代妃!!」
どうやら、それとこれとは話が違うようだ。
花鈴の雷が落ちる。
明玉はスタッと、椅子から下りて正座する。
もちろん、膝は痛くない。
「妃が女官の前で正座などしないでくださいませぇぇぇ、ふぁ」
花鈴が叫びながら卒倒したのだった。
青衛から、事の顛末……否、猿芝居と諸々の内容を聞いた汀良王は遠い目をした。
そしてひと言……
「猿は放っておこう」
きっと、問題はない。問題はないどころか、雑草のごとく強靭な者だ。手懐けることも、手懐けられることもないだろう。
素で能力あり、天然で強靭、苦節の上であっけらかん、最強のすっとこどっこい。
「気を揉んだところで、徒労に終わる」
それこそ、お付き女官が卒倒するぐらい。
「ええ、間者や密偵もムリな話でした。猿、コホン、明玉代妃は、自身の有益に忠実な者。駒にはなり得ません。手綱を引くことも不可能でしょう」
徳膳も呆れたように言った。
さて、汀良王と徳膳、青衛は無言で視線を交わし、何も言わぬまま持ち場へと戻る。
汀良王は執務室へ。徳膳は人払いを解きに、青衛は天井へ。
碧月城、王宮殿、汀良王の執務室。
この日以降、明玉のことが話題に上がるのは、華会まではなかったのである。
後宮初宴の儀、華会。
沙伊国では、後宮が開かれて、最初の宴を華会と定めている。
様々な『華』が集う宴。後宮の華である后妃を披露する会となるだけでなく、趣向を凝らした『華』を観覧しながら宴が開かれるのだ。
「例えば?」
明玉は華会について説明する花鈴に訊いた。
「生花のみならず、刺繍の華や、絵の華、華の舞などがございます」
「へえ、それは華やかね」
明玉はまんまを口にして少し笑ってしまった。
「后妃の方々はご自身の華を発案準備します。……ある意味披露する華を競うようなもの。御上が一番感嘆する華を披露したいわけです」
花鈴の説明に明玉は頷く。
「つまり、御上の目に留まる華を競うのね。それで、華会の準備って何をするの?」
明玉は問う。
先の后妃の集まりで、明玉は綺羅々后に準備の進み具合を問われたからだ。
后妃が華の発案準備をするなら、明玉らは何を準備するのか?
「華以外の全般になります。宴の準備が主です。本来なら、裏方の嬪妻四佳人が担当で、女官や官女らを指揮して準備します」
「なるほどね。要するに、飲み食いの準備ってことよね。今回は代妃が代わって指揮することに建前上なるわけね」
「はい。代妃の方々は床にふせっておりますので、身代わり宮の女官を中心として宴の準備をしております。飲食だけに留まらず、会場の飾り、席や配置など様々です」
「それで、私は何をすればいいのかしら?」
明玉は吊るした柿を扇子で扇ぎながら問う。
花鈴が難しい顔で口を開く。
「華会まで十七日ほど。代妃の方々も御上より末席での参加を指示されましたので、それまでに皆様が回復なさればいいのですが」
御上の命令により、今回の華会は召された全ての者が参加することになったのだ。
懲罰の身代わりを防ぐためと思われる。休宮は指示したものの、先の后の宮での集まりのようなことがあっては、回復した代妃はまたふせってしまうことになる。
御上の鶴の一声で、后妃らは身代わり宮に手を出しづらくなった。華会を全般的に準備する身代わり宮に茶々を入れれば、華会が失敗するわけだから。
後宮初宴の儀、華会の成功は、后の威信にもかかわるのだ。
三日前のあの集まりから、后妃らによる身代わり宮への接触はない。
「ちょうど、休宮明けでの華会となります。華会までは心身安らかに過ごせましょう」
花鈴が他の代妃を気遣っているのか、視線を別室に向ける。
明玉も自然にそれを追った。
「体の回復は間に合いましょうが、皆様、心は疲弊しております。いっときの安らぎの後の身代わりほど、辛いものはないのです」
確かに、懲罰の身代わりが終わったわけではない。いっときの安らぎが残酷なこともあろう。
「確かにね。何度も泥沼に落とされれば、心が折れちゃうわ」
明玉も経験済みだ。
沈家の没落、人の良い父親は、良い話(胡散臭い)に釣られ騙される。やっと、借金をまっさらにしたと心軽やかになった翌日に、ズドーンと落とされること両手では数え切れない。
明玉は、何度も泥沼に落とされ逞しくなった。
「宴を全うできるように、明玉代妃には例のあれをお願いしたく」
明玉に視線を戻した花鈴が深く頭を下げる。
例のあれとは、後宮十刑に耐えうる秘密防具のことだ。
「そうね。代妃の方々の状態を考えて、防具を制作するわ」
回復直後の体を保護するためだ。特に、打の刑を受けた代妃は座ることもままならない。
下穿きを細工すれば、華会もなんなく過ごせるだろう。
というわけで、明玉はニマニマと嫌らしい笑みを浮かべる。
「……明玉代妃?」
「代妃に合わせた一点ものを作るのだから、ニッヒッヒッヒ」
明玉は親指と人差し指で輪っかを作る。
「ちょっとばかり、駄賃がいただくってよ」
明玉はウキウキと部屋を出ていく。
花鈴がポカンとその様子を眺めている。だが、ハッとすると明玉を追ったのだった。
汀良王は、若干疲れていた。
侍従の徳膳が汀良王にお茶を淹れる。
「お疲れですね」
汀良王は目頭を摘んで咳払いする。
「まあな」
代替わりをして四カ月経った。まだ、混乱は収まっていない。
不安定な足場であることは明白だ。
「離宮がな」
汀良王は呟く。
徳膳が眉間にしわを寄せた。
「『華』のことですね」
「多すぎてどうすべきか迷っている」
「死を」
徳膳が端的に反応した。
「安直過ぎるぞ、徳膳」
徳膳が唸る。
「気持ちがわからんでもないが」
ここで言う『華』とは、先代の后妃嬪らをさす。先代を御して、残された『華』は全て離宮に留めた。
代替わりで四カ月経ち、懐妊の有無が確実に判断ができるときとなったわけだ。処遇を決めねばならない。
「『華』より『忘れ形見』の方が問題でしょうに」
汀良王はついにはため息をつく。
離宮に留まっているのは『先代の華』だけではない。
「花狂いの先々代の遺児、先代の遺児、公女姫はともかく公子君をどうするかです」
先代は先々代の『華』や『忘れ形見』を離宮に留め置き、処遇を忘れた。改革しか目がいかなかったからだ。それが汀良王に御される原因となった。
つまりは、二代分の『華』と『忘れ形見』が離宮に留まっている。
子のいない華は尼寺行きになった。女僧として十年が決まりだ。十年後は俗世に戻れるが、そのままひっそり暮らすことが多い。
その華を除いても、残された華と遺児は多いのだ。
その命を汀良王が握っている。
野に放てば、反乱分子が御旗に祭り上げることだろう。正統性を掲げて。
だから、徳膳は死をと進言したわけだ。
「周辺国に奪われでもしたら、厄介です」
それこそ、侵攻の御旗となる。沙伊国の玉座は遺児にあり、我が国がそれを証明したらん、などと侵略戦争を起こされよう。
「死が一番遺恨がありません」
徳膳がハッキリと言い切った。
「暴君の名を残せと言うか?」
「聖君の名を残せましょう」
汀良王と徳膳は無言で視線を交わす。
「まあ、玉座を奪った反逆王なのは変わらん。泥をかぶる覚悟はできている」
汀良王は不敵に笑う。
どんな善政をしたとて、玉座を奪った王という事実は消えない。
人々は畏怖の念を汀良王に抱いていることだろう。
「……甘い物が食いたいな」
汀良王はふと明玉を思い出す。
あの者だけは、汀良王との接し方が違っていた。王という者に対しての畏怖はあろうが、反応が……残念だったのだ。
言葉にすると難しいが、明玉は確実に他の者とは違う反応を汀良王に示している。
そう……あえて言葉にすると……王に対してもすっとこどっこい。
「菓子でもお持ちしましょうか」
徳膳が言った。
「いや、いい。それより明日は『華会』だったな」
「はい。『華』で少しばかり疲れが癒えましょう」
汀良王は眉間のしわを深くする。
「疲れが増す気もする」
曖昧に笑む徳膳に、汀良王はなんとも言えぬ疲労感を覚えるのだった。
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