身代わり宮の明玉 十六
「フ、フフフ、随分と……クフフ、質素な顔よのぉ」
素顔になった明玉に、后も正妃らも鼻で笑って蔑んでいる。
そんな嘲りの中で明玉は思った。
『さっぱりした。お化粧って息苦しかったのよね』と。
「ありがたき幸せに存じます」
本心を思わず口にした明玉に、その場の空気がピタッと止まった。
その物言いは、ある意味言い返したように思えるだろう。
「ほぅ?」
明玉は、内心『しまった、やらかした』と焦る。
綺羅々后や正妃らは、明玉に心的打撃を与えたかったのだから、ここは『どうか、ご容赦を』などと口にして、涙目になりながらヨヨと泣き真似でもして、袖で素顔を隠すように行動すべきだったと。
そうしたら、綺羅々后は満足しただろう。
「そうか、幸せならそのままで良いな。せめて、紅だけはと思うておったが、必要ないとは恐れ入ったわ。化粧などせずとも、自身の顔に自信があるとは」
綺羅々后の言葉で、雨慈が下がった。
「妃の衣装を身に纏っているにもかかわらず、質素な顔をさらけ出すことを良しとするとは、恥を知りなさい」
明玉はひれ伏す。
「お許しを」
先ほどの白梅正妃のように、明玉は額を床につけた。これが、正解なのだ。
「フン、許さぬわ。明玉代妃、身代わり宮、休宮中の化粧を禁ずる」
『なにそれ、ご褒美じゃないの』と、内心で思っていたが、今度は口にはせずほくそ笑む。
「かしこまりました」
若干、声を震わせながら言った。
それに満足したのか、綺羅々后が『ホホホ』と笑う。明玉が化粧を禁じられ、声を震わせ悲しんでいると思っていることだろう。
実際は、ほくそ笑むのを堪えて、声が震えただけだ。
「さぁて、そろそろ解散とするかの。……明玉代妃、その顔では輿に乗る資格はないわ。歩いて戻りなさい」
ニヤッと笑って、綺羅々后が言った。
あらかじめ、そう命じるつもりだったのだろう。
入宮して十日の明玉を、困らせるために。花鈴を離したのは、この意図もあったからだ。
一刻以上も膝つきをさせ、下半身はままならないはずだ。お付き女官を下がらせ、一人で戻らせる。慣れない高履きで、広い後宮を彷徨わせる目的なのだ。
「かしこまりました……」
明玉はあえて悲壮感を漂わせながら答えた。
正解の言動だったのだろう、追撃はない。
明玉は『ちょろいな』と思った。もちろん、顔には出さないが。
正妃らが、順番に綺羅々后に挨拶をして下がる。
最後に陥落した白梅正妃が、静静と綺羅々后に進み、深々と頭を下げて挨拶した。
「ご配慮ありがとうございました」
「わらわもそちの失態の手前、厳しくせざるを得なかっただけ」
そう言って、綺羅々后の手が白梅正妃の手を優しく包んだ。
フゥフゥと息を吹きかけて、白梅正妃を労る。
白梅正妃が感極まっている。
その光景を明玉は白々しく見ていた。
いわゆる、表面上の演出なのだから。綺羅々后も白梅正妃も、内心ではドロドロした感情を抱いているだろう。だって、ここは後宮、女の園。
「華会を楽しみにしておるぞ、白梅正妃」
綺羅々后が白梅正妃を送り出す。
そして、最後に明玉だけが残った。
明玉は、綺羅々后の前に膝つきのまま進み頭を下げる。
「では、失礼致します」
「フフ、身代わり宮に今日中に辿り着けるといいわね」
「善処致します」
「ほぉーんと、減らず口だこと」
そう言っていられるのも今のうちとも言わんばかりに、綺羅々后が鼻で笑った。
綺羅々后の扇子がシッシッと明玉に退くように促す。
明玉は後方に膝つきでスススッと移動した後、スクッと立ち上がる。
その様子を、綺羅々后や女官らが驚愕の眼差しで見ていたが、伏し目がちに移動した明玉には見えていない。
本来なら、明玉が立ち上がれず這いつくばるだろうと踏んでいたのだ。もしくは、立ち上がろうとして盛大に体勢を崩すと。
無様な姿を笑いたかったのに、明玉はこともなげに立ち上がって宮殿を出ていった。
裏山で鍛えられた明玉である。息を潜め、獲物を待つこと半日ぐらいは当たり前。明玉に不動の刑は通用しないのだ。
綺羅々后らが呆気に取られながら、明玉の背を眺めていたのだった。
「久しぶりの自由時間だわ」
鼻歌交じりに明玉は進む。
帰路は覚えているが、早々に身代わり宮に戻るつもりはない。
「とりあえず、ちょっと迷子になっておかなきゃならないのよね、たぶん」
キョロキョロと見回し、通ったことのない通路へと足を踏み入れた。
明玉は、散歩気分で意気揚々と歩く。
少しばかりの好奇心と冒険心。明玉は、後宮の端を目指していた。
別に脱走するつもりは毛頭ないが、目的があった方が散歩しやすい。
脳内でここまでの経路を記憶しながら、外壁へと進んでいく。なぜ、外壁へと進んでいけるのかと問われれば……理由はない。それが明玉であるからだとしか。
人目がなくなると、高履きを脱ぎ袖に入れ通路の塀を……よじ登り、行き先を確認する。
そう、つまりは明玉であるからしてできる所業だ。
後宮が低い塀だったこと、装飾彫りを足かけにできることで、明玉は悠々に登ることができた。柿の木よりいとも簡単に。
「わあ、視界が広いと気持ちいい。それに、だいぶ近づいてきたわね。うーん、案外、警護の者も少ないのね」
小国並みの宮殿を、隙間なく警護などできまい。警護の対象は第一に御上汀良王であり、綺羅々后や正妃も含め、現在、宮殿警護は要所々々で配備されている。
内廷である後宮よりも、外朝である王宮殿の方が警護として重要だ。
主なき嬪妻四佳人の屋敷を警護するわけもなく、屋敷を管理する女官や官女が幾ばかりかいる程度。巡回警護も、決まった時間に通過するだけ。
幾人かと出会ったが、会釈され通り過ぎることができた。
お付き女官がいないことに首を傾げる者もいたが、安易に妃に声掛けなどしないものだ。
明玉がなぜ妃であるか初見の者でも分かるのは、装飾をともなった高履きであるから。
後宮内の身分は、履物で分かるようなもの。
妃は装飾された履物、女官や官女は装飾なしの履物と決まっている。
履物を見て、装飾があれば御上の籠を示す女人と分かるわけだ。
さらに、その高さで位も分かる仕組みである。
后妃は高履き、嬪妻は中履き、四佳人は小履きといって、位が低くなるにつれ高さが低くなる。
お付き女官は高履き、他の女官は中履き、新人や見習い女官は小履き、下働きの官女は平履きでこれも一見して分かるのだ。
さて、ここで明玉が塀に登り、辺りを見回しているなら、当然ながら……柿の木に登ったときと同じように、影で宮殿を見張っている者に見つかっているわけだ。
それも、神出鬼没でヒョコヒョコと塀に姿を現す明玉を、驚愕し警戒を強めて。
「は?」
汀良王は影の報告にポカンと口を開ける。
「后宮殿、彩輝宮から出し怪しい者……塀に登って周囲を伺う……おなごのような衣服……」
どこかで耳にしたような台詞が、徳膳の口から出てくる。
「そして、外壁へと進んでいるのか」
汀良王は天を仰いた。
「野生に帰りたいのでしょうか?」
徳膳が呟く。
つまりは、もう明玉であろうと確信しているのだ。
「陰湿な妃教育の後なら、納得いきましょうが……」
徳膳が渋い顔になる。
妃らとの集会は、綺羅々后より汀良王に上がっている。
妃教育と称していることも重々承知だ。
内容も後ほど後宮の間者から報告があるだろう。
身代わり宮の休宮、后の管轄である後宮のことに口出ししたばかりで、流石に集会に口を挟めなかった。
それこそ、顔出しでもして明玉を庇おうものなら、事態はもっと酷くなると思ったからだ。
元より、汀良王は明玉に心砕く気持ちはない。ただただ、後宮がそれなりなら、問題はない。
いや、妃には到底思えない明玉という問題児を入宮させてしまったのだ。
「チッ、柿の木と同じように、どうせ突拍子もない考えでの行動のような気がするな」
汀良王はふにゃりと笑った明玉の顔を思い出し、頭を抱えそうになる。
「とりあえず、見張らせておけ。由々しき事態になろうものなら……未然に防げ」
由々しき事態、つまりは脱走だ。
後宮に入宮して脱走することは、死を意味する。それが後宮の掟だ。
「例の者を呼びましょう」
徳膳が言った。
「ああ、青衛か」
汀良王が応じる。
「はい、事情を知っていますから」
明玉を裏山でつけていた密偵こそ、青衛である。奇しくも、先日の柿の木事件も彼が明玉を最初に見つけていた。
明玉は屋根守りだと勘違いしているが。
徳膳からの連絡を受け、青衛がすぐに汀良王の所にやってくる。
密偵であるからして、出入り口でなく、天井からだった。
「お呼びだと伺いまして」
密偵は床には降りない。御上の命令なく、表舞台に姿を出せないのだ。
そういうものである。
汀良王は視線を書物に向けたままで、密偵の青衛に指示する。
「代妃明玉を見張れ」
「御意」
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