身代わり宮の明玉 十五
綺羅々后の前に、白梅正妃と明玉が両膝をついて座っている。
白梅正妃は額を床につけて。
明玉は両手を掲げて。
「……白梅、面を上げよ。明玉代妃、物欲しげに手を上げるでない」
白梅正妃がホッとして、嬉しさを滲ませた顔を上げる。
反対に、明玉は手を下げると同時に頭を下げた。
それを、白梅正妃が横目で見て、フッと鼻で笑った。
「后の扇子を欲するなんて、身の程知らずね」
白梅正妃が言った。そして、綺羅々后に視線を戻して微笑んだ。
綺羅々后がニッコリと笑みで応えた。
「白梅、手を上げよ」
扇子を持つ手を伸ばしながら綺羅々后が言った。
白梅正妃が喜色満面で両手を掲げる。
バシンッ
綺羅々后の扇子が白梅正妃の両手を叩いた。
白梅正妃は、一瞬何が起こったのか分からず呆然としている。
バシンッバシンッ
綺羅々后の扇子が容赦なく白梅正妃の手を叩く。
「ヒャッ」
白梅正妃が悲鳴を上げて、手を引っ込めた。
「白梅、手を上げよ」
綺羅々后が笑みを浮かべたまま、白梅正妃を見つめて命じる。
白梅正妃が両手を震わせながら応じた。
「白梅、身代わり宮は休宮だと理解してるわね」
「は、はぃ」
「彩輝宮での失態は自身で受けなければならないわ。茶器を投げたその悪しき手を躾けねばならないの。分かるでしょ?」
「は、はは、はぃぃ」
白梅正妃の返答は、声というより吐息のようだった。
バシンッバシンッバシンッ
「申し訳ありませんっ、申し訳ありませんっうっうっ、申し訳ありませんっ、いっいっ、うっ」
痛みが声に現れる。白梅正妃の手が赤くなっていき、堪らず両手と額を床にベッタリとつけてひれ伏した。
「お許しをっ!!」
「妃教育もぉ楽ではないわぁ」
綺羅々后がため息混じりに言った。言葉とは裏腹に目が爛々と楽しげではあるが。
「白梅、戻りなさいな」
「ありがとうございます」
白梅正妃が頭を下げたまま、椅子に戻っていく。
しかし、綺羅々后が怪訝そうに白梅正妃を見つめた。
「白梅、何を血迷うておる」
白梅正妃が恐る恐る顔を上げた。
「あの……」
「はぁ、ほんっとぉにぃー、妃教育も楽ではないわぁ。逐一指示をせねばならないなんて」
いやみったらしい言い回しで、綺羅々后の扇子が右列へ向かう。
その扇子が指す場は、右列後方明玉が膝つきでいた場だった。
「失態をおかして、その場(左列)に留まろうとは、本当に許しを得ようとしている行いかしら?」
白梅正妃がヒュッと息を吸い込んだ。
そして、悲しげに悔しげに、ゆっくりと右列後方へと視線を向ける。
「はよぉ、自身の位置に戻りなさいな」
綺羅々后が冷たく言い放つ。
だが、白梅正妃はワナワナと震えるばかりで動けずにいた。
「わらわに三度も命じさせるとは、流石、后に取って代わりたい白梅よの」
「私はそのようなこと、微塵も思っておりません!!」
白梅正妃が右列後方へと静静と移動した。
そして、床に跪こうとする。
「皆、何をしておる。一席ずつずれよ」
綺羅々后の言葉で、正妃らがハッとして腰を浮かせた。
「白梅……正妃、椅子に座れば良い」
白梅正妃が綺羅々后を見て、頭を深く下げた。
他の正妃の前で跪くなど、正妃としての誇りを踏みにじられるようなものである。
安堵の表情で、白梅正妃が椅子に座った。
「さてと、待たせたな、明玉代妃。面を上げよ」
綺羅々后が頭を下げている明玉を見る。
白梅正妃を詰ったときのように、楽しげな顔つきだ。
明玉の背後で控えている花鈴がヒヤヒヤしながら、綺羅々后の出方を待つ。
そして、明玉は伏し目がちに顔を上げた。
綺羅々后の扇子が明玉の顎を上げる。
二人の視線が交わった。
「まだ、この扇子を欲するのかえ?」
「もちろんにございま」
す、まで言わせず、扇子が明玉の口元に押し当てられた。
「全く、妃教育も楽ではないわ。この扇子? 本当にこの扇子を? 冗談にもほどがあるわ。こんな汚れた扇子で干柿を作るつもりなの?」
綺羅々后がお付きの女官に目配せした。
女官がサッと引いていく。
「分かるでしょ?」
明玉は目を伏せて応える。
「ちゃぁーんと一対になるように、私もお気に入りの扇子をそちに預けるわ」
「私が間違っておりました」
投げつけた扇子、明玉の口元を乱した扇子、白梅正妃の手を叩いた扇子、確かにそれで干柿作りをするのはいかがなものか。
そういうことだ。
「浅はかであったと認めます」
「そうよの、この扇子を欲するのは浅はかよの。フフッ、わらわはぁ、よぉく、そちの詭弁は分かっておったが、あ、え、て、応じてあげるわ。それがぁ、后としてのぉ器でしょ。妃教育もぉ、たぁいへんだわぁ」
このいやみったらしい言い回しは、まだ何か企んでいることは明らかだ。
いや、それこそを受けねば、后の宮を下がれない。
そこで、綺羅々后のお付きの女官が、何本かの扇子を盆に乗せて戻ってきた。
「そうねぇ……これがいいわ。雨慈」
綺羅々后がお付き女官雨慈に目配せし、コソッと何かを指示した。
雨慈が綺羅々后の選んだ扇子を掲げて、花鈴の方へやってきた。
「御上の扇子と同じように、運びなさい」
また、明玉から花鈴を離すのだ。
流石に、花鈴はこれを断れはしない。
「かしこまりました」
花鈴は扇子を掲げた両手で受け取り、下がっていく。
明玉が、このあとどうなるのかと心の内で心配していることだろう。
花鈴が出ていったのを見届けると、綺羅々后の口が開く。
「雨慈、この顔を整えてあげて」
またもや、明玉の顎を扇子で掬って綺羅々后が言った。
明玉の顔は、綺羅々后の扇子で口元が乱れている。一見すると、血反吐を吐いたように見えるだろう。
雨慈がニマッと笑って、明玉の顔を布で拭く。拭いて、拭いて、拭きまくる。
つまりは、化粧を落としているのだ、乱雑に。
餅のように滑らかな白粉も、綺麗に描かれた眉山も、桃のように華やいだ頬紅も、全てが拭かれてしまった。
正妃らが、クスクスと笑っている。
「……化けの皮が剥がれたわね」
正妃の誰かが言った。
綺羅々后が扇子を口元にしながら笑い声を上げた。
「フ、フフフ、随分と……クフフ、質素な顔よのぉ」
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