身代わり宮の明玉 十ニ
扇子を持ち、悠然と現れた明玉に、綺羅々后の冷たい視線が注がれた。
彩輝宮、広間。后に面会する公の場には、中央の壇上に后、左右に正妃が並んで椅子に座っている。
登場した新顔を値踏みするような視線が、明玉に纏わりついた。
『明玉代妃、ご挨拶を』
花鈴が明玉にコソッと促す。
明玉は扇子を花鈴に預け、いわゆる最上級の挨拶をする。
両手を目線で重ねて両膝を床につけ、額を床につけんがばかりの深いお辞儀をした。
花鈴もその横で両膝を付き、両手で扇子を掲げながら頭を下げた。
「身代わり宮、明玉、后のお呼びを心嬉しく思います」
明玉と花鈴はそのままの姿勢を保つ。
わざとらしい時間が過ぎていき、やっと綺羅々后の口が開く。
「いくら、身代わり宮が休宮とはいえ、新参者の挨拶がないとは、わらわも侮られたものだわ」
いきなりの嫌みだ。
明玉はそれでも姿勢を保っていた。
安易に返答しても、許しもなく口を開くなと続くだろうし、謝意でも言おうものなら、非を認めることになり、これまた分が悪くなる。
それに、挨拶も何も、すでに身代わり済で初見ではない。さらに、代妃が自ら后や正妃に挨拶に出向くのは、『あなたは失態をして、私を頼りますよ』と思わせてしまうことだ。
身代わりの役目をする代妃は、暗黙の了解で入宮の挨拶をしないものである。
后がそれを知らぬわけがない。
だが、それを声高に言うこともできない。
何を口にしても、明玉に不利になるのだ。このまま、口を閉じたままでも、もちろん不敬になる。
非を認め……思う存分妃教育という虐めを受けるか、口を開かず不敬となじられながらの妃教育となるか。
それ以外の自身を正当化する発言は、后に反論することになる。新顔が后に意見するなど、反感を買い、酷い妃教育へと展開するのは、目に見えている。
最初から詰んだ。
后の思惑通りでしかこの場は動かない。
つまりは、予想通り負け戦なのだ。
明玉は小さく息を吸う。
明玉が口を開きかけたと同時に、花鈴が明玉の発言を先んじる。
「后へのお知らせを怠った私の失態でございます」
この場を収めるための発言だ。
明玉は開きかけた口を閉じた。
「そうね。代妃は挨拶はしないもの。代妃付きの女官が、入宮の知らせをせねばならないわ。いくら、紅詔紙の『召妃』だったとしても、わらわへ報告を怠るなど……分かっておるな?」
「もちろんにございます」
頭を下げたまま、花鈴が発した。
綺羅々后がニンマリと笑う。
「明玉代妃、不出来なお付き女官はわらわが躾けておこう」
明玉はそこで顔を上げる。
綺羅々后が、満面の笑みで明玉を見ながら口を開く。
「明玉代妃のお付き女官よ、そのままの体勢で、一刻動かぬように」
それは、明玉が身代わりをした際に、汀良王が綺羅々后や白梅正妃、麗羅正妃らに命じた内容と同じである。
意趣返しをしたのだ。
「それとも、女官の身代わりもするか、明玉代妃?」
これぞ、後宮。この展開こそ後宮。
相手の顔が歪むような発言を軽妙に口にする。
ある意味智謀に長けた口撃である。
明玉は、今度は大きく息を吸った。
両手を掲げながら両膝をつく花鈴の手から、明玉は扇子を取り口元にあてる。
綺羅々后の眉がピクッと反応する。
明玉はわざとらしくゆっくり立ち上がった。
「許しもなく立ち上がるとは」
白梅正妃が発した。
「御上の扇子をいつまでも、床に近い場に留まらせるわけにはいきませんので。皆様が、御上の扇子を上から眺められるのは心苦しいかと思いまして、出しゃばってしまいました」
明玉の発言に広間は静かになる。
両手を掲げ両膝をついた花鈴は、明玉の発言に冷や汗をかく。
明玉の発言は、この場の后や正妃らを一気に敵に回したようなものだ。
「御上の扇子をひけらかすとは、下品にもほどがあるわ!!」
綺麗々后の甲高い声が響いた。
「后の命令承りました」
今度は明玉が即座に声を響かせた。
「妃教育に御上の扇子は、不要とのこと。私の落ち度を認めます。花鈴、これを掲げながら身代わり宮に行きなさい。后の命令です、掲げた両手を下ろすことなきように一刻をかけて戻りなさい!」
明玉は、花鈴の両手に扇子を預ける。
花鈴がここで一拍でも時間を取ろうものなら、面倒な展開になるだろう。だが、花鈴は即座に明玉の命令に従った。
両手を掲げた状態で後方へと動く。扉の梁も、階段も確実な足取りで進んでいく。
そこで、綺羅々后がドンッと机を叩いた。
「明……玉っ、代……妃ぃ」
怒りか、幾分声に震えがある。
「落ち度を認めたな!!」
「はい」
明玉は両手を重ねて両膝を床につき、后に頭を下げた。
「お付き女官は上半身しかわらわの命令を実行できていない。下半身は、もちろん明玉代妃が身代わりになるのだな?」
「もちろんにございます」
「わらわは、そちの分の席も用意しておったが、自ら床を望むのだな?」
「もちろんにございます」
綺羅々后が満面の笑みで正妃らと視線を交わした。
「右列の下で、お付き女官が戻ってくるまで、そちが望んだ待機をすれば良い」
「かしこまりました」
明玉は右側正妃の並ぶ最後列に移動した。
中央の壇上に綺羅々后。その左列に五名の正妃。右列に四名の正妃。続いて明玉。皆が椅子に座り、優雅にお茶を飲む中、明玉だけが両膝をついている。
明玉を完全に無視して、楽しげな茶会は一刻を過ぎただろう。不動の刑一刻を妃教育の名の下で行ったのだ。
今頃、花鈴が急いで后の宮に向かっているはずだ。
「后、明玉代妃にもお茶を嗜んでいただきたく思いますわ」
后の左最前列の白梅正妃が、悪どい笑みを浮かべながら言った。
沙伊国では、一般的に左右では左が高位になる。
正妃の序列は汀良王の裁量であるが、それが決まっていない現状では、綺羅々后の差配で席が決まっているのだ。
左列最前列、白梅正妃は綺羅々后のお気に入りということだろう。いや、后の駒。手飼いの者。まあ、グルだ。
「そうね。お茶を用意なさい」
后が女官に命じた。
明玉の前にお茶が運ばれる。
……床にコトリとお茶が置かれた。
茶台のないお茶が。
「さあ、明玉代妃。お茶を楽しんで」
明玉は、この状況の意図をはかる。
下半身だけ身代わりとなっている。上半身は動かすことは可能だろう。お茶を飲むことも可能だ。だが、すぐに茶台のない茶器を手に持つことは難しい。
蓋のされた茶は、沸点に近いことは確かだ。
お茶を置いた女官でさえ、両袖で茶器を包み持ち明玉の前に出したのだ。
さらに言えば、お茶はなみなみと注がれていることだろう。蓋の縁に溢れ出ている。
明玉に失態させることが目的だと察する。
不動の刑後の失態で、また妃教育の名の下で虐めたいのだ。
「すまぬな。高価な茶台を床につけるわけにはいかぬのだ」
后の言葉に、正妃らがクスクスと笑う。
明玉の扇子の件で言ったことのやり返しだ。
「茶を嗜めぬようでは、妃とは名乗れませんわ。妃教育の一環ですよ、明玉代妃」
白梅正妃が追い打ちをかける。
火傷覚悟で茶器を持ち、蓋をずらし、こぼさず飲まねばならないらしい。
いや……明玉は、后や正妃らの口角を上げ楽しむような視線に別の思惑があると考える。
「どうした、明玉代妃? お付き女官を下がらせた時のように、キャンキャンと犬のように吠えるか」
綺羅々后が、そう言って白梅正妃に目配せする。
「犬ですから、茶台が要らないのですわね。犬は手を使いませんもの」
白梅正妃が悦に入り発した。
『犬飲みせよ』
そんな隠語を明玉に示したのだ。
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