身代わり宮の明玉 十
明玉は正座をしている。
膝を突き合わせて、花鈴も座している。
「いいですか!?」
「ヒャイ!」
またも、奇妙な返答になり花鈴がギロリと明玉を睨む。
「は、い! 復唱を」
「はぃ」
明玉は上目遣いで答えた。
「今回は、運が良かったのです! あのような……茶会など……普通は考えられません! 御上の寛大なお心あっての命拾いですから!」
明玉は首を縦に振る。
「御上のご温情にお応えせねばなりません!」
明玉は首を傾げる。
「所作と言葉遣いを徹底的に習得いたしませんと、御上に申し訳がありません」
明玉は首をさっきとは反対に傾げる。
花鈴がカッと目を見開いて明玉を見る。
「首は真っ直ぐ! 復唱、実践!」
「首は真っ直ぐ、承知!」
明玉はビシッと背すじを伸ばした。
「まずは、御上が課題とした扇子の使い方からです」
「承知!」
明玉は汀良王から賜った扇子を開き、花鈴を例の如く仰ぐ。
花鈴が明玉の扇子の突風に瞬きとアフアフと口を開く。
「まひゅがいです!!」
空気を吸い込んだ奇妙な返答になってしまい、花鈴が羞恥に顔を歪めながら、明玉の扇子を持つ手首を掴む。
「まひゅがい、承知!」
明玉は復唱する。
「復唱終了にございます!」
若干髪が乱れた花鈴が肩で息をしている。
「落ち着いて」
「こちらの台詞です!」
そこで、花鈴がハッとして頭を抱えそうになる。
汀良王との会話を再現しただけだったからだ。
「はぁぁぁ」
花鈴が脱力する。
「私、思うのだけど、所作と言葉遣いの前に、干柿作りで謝意と感謝を御上へお応えした方が良いのじゃない?」
明玉は、閉じた扇子を口元に添えてウフフと笑った。
「それです!」
「ですね、ウフフ」
さてさて、花鈴は明玉の扇子使いのことを『それです』と言い、明玉はもちろん干柿作りのことを花鈴が了承したと思っている。
結局、明玉と話すとズレが生じるわけだ。
沈家で、詐欺師とやり合う明玉ならではの身についた言い回しである。
「その調子でいきましょう。閉じた扇子の扱いは及第点です」
明玉は扇子をコツンと頭にあて、『はて?』と小首を傾げる。
「閉じた扇子なんて役立たずじゃないの」
花鈴はガクンと肩を落としたのだった。
『御上汀良王と茶会をし扇子を賜った』明玉の情報は、綺羅々后に届く。
「……代妃如きに!!」
ガシャーン
綺羅々后が、机の茶器をなぎ払った。
「私物まで与えるとは!!」
后や正妃に豪華絢爛かつ稀少な品は、汀良王より贈られている。
御上からの贈り物を競うのも後宮である。
最高級品を贈られることで、御上の寵愛が示されるのだ。
常に最高級品が后に贈られるわけではない。その時々の寵妃が賜る。
御上は準備した品を贈るのであって、私物を授けるのは異例である。
「身の程を分からせるのも、后のお役目かと存じます。代妃としての身分と役割を……教える。御上も妃教育を口にしておりました」
綺羅々后の女官雨慈が鋭い視線で、口角を上げながら言った。悪どい笑みだ。
それ以上に悪辣顔で綺羅々后が笑みを称える。
「雨慈の言うことももっともよの。后として、妃教育の務めを果たさねば」
綺羅々后が、扇子を口元に添えてクッフッフッフッと陰湿な笑い声を上げた。
木登り事件から三日後。
「明玉代妃」
花鈴が険しい顔つきで明玉を呼ぶ。
「この包丁、切れ味最高だわ」
柿の皮むき中の明玉は、包丁をかざして満足げに頷いている。
「明玉代妃。恐れていたものがきてしまいました」
花鈴の声がかたいことに気づいた明玉は、怪訝そうに視線を向けた。
花鈴が唇を真一文字にして、明玉を見つめている。
明玉はハッとして青ざめた。
「やっぱり、打ち首なの!?」
「いいえ! 后から……」
「へ?」
明玉と花鈴の視線が交わる。
「后が明玉代妃をお呼びです。いえ、正妃らも同様に呼ばれていると。后自ら妃教育をなさる……という建前で」
明玉は、花鈴の重い口調にピンとこない。はてて小首を傾げた。
花鈴が、明玉にどう説明しようかと考えあぐねている。
「妃教育という建前で、何が本題?」
明玉はまっすぐに問うた。
花鈴が意を決したように口を開く。
「要するに、妃教育という名目での虐めとなりましょう」
「あーはいはい」
明玉は軽妙に反応した。
「明玉代妃、後宮の虐めほど陰湿なものはありません。軽く考えられているようですが」
「いやいや、代妃っていう身代わりこそ、その陰湿の最たるものなのに、今さらって思うわよ」
「……確かにそうですが」
花鈴の肩の力が抜ける。
明玉の言う通りなのだ。やられるだろう陰湿な虐めは、元々身代わりをする代妃の仕事。
「ですが、今回は明玉代妃のみこの身代わり宮から参加となります」
「他の代妃は床にふせっているものね」
「虐めの一点集中になりましょう」
花鈴が痛ましげに目を伏せる。
「御上との茶会で扇子まで賜った明玉代妃に対し、后だけでなく正妃もしかけてくることでしょう」
「扇子?」
明玉は机の上に置かれている扇子を一瞥する。
「扇子よりも良い物を、后も正妃も賜っているはずよね?」
「御上の私物を、自身より低位の身代わり宮の代妃が賜ったことが、后や正妃に目をつけられるのです。それも御上自らが足を運び、二人で茶会をした。格別な寵を賜ったと対外的には思われる状況でしょう。后や正妃の標的にされるのには、十分です」
明玉は扇子をジトッと見つめため息を吐く。
「はぁ、金子だったら良かったのに。一点集中虐めの報酬が扇子か」
「明玉代妃……」
花鈴が呆れている。
「普通なら、これ見よがしに扇子を誇るものですよ」
後宮の妃が、御上の寵愛を競い合う。そこに、身分はなく、寵妃こそが頂点となるわけだ。
それが、一時でも、一過性でも、御上の寵愛を得た証を誇る……見せびらかすもの。
妬まれてこその後宮の妃である。
「扇子なんて持参したら、それこそ后や正妃の気持ちを逆なでるんじゃないの?」
明玉はうんざりとした表情で言った。
「持参しないと、そこを突いてきましょう」
「え?」
「後宮の華としての自覚がないと……教育されることでしょう。御上の寵の証を置き去りにしてきたのかと。不敬であると」
「じゃあ、さり気なく持参?」
花鈴がコクンと頷くが表情は冴えない。
流石に、明玉も気づく。
「持参してもそこを突かれるってことか」
「はい。寵をひけらかすとは品位がないなどと」
「なるほど」
明玉は感心したように頷く。
「つまりは、どう足掻いても虐められるから陰湿ってことね」
「心を強く持ち挑みましょう」
花鈴が準備をするため、官女を呼ぶ。
「明玉代妃を……正妃とも劣らぬようにととのえるわよ!!」
花鈴の意気込みが尋常ではない。
だが、官女らも花鈴に劣らず表情を引き締めて闘志みなぎっている。
明玉は引きつり笑いになる。
「え? ちょっと、そんなに意気込まなくても」
「いいえ! これより戦場へ送り出すのですから、相応の武闘服……いえ、籠を得た妃の威厳を示さねばなりません!」
明玉の部屋に、官女だけでなく身代わり宮配属の女官まで集まってきた。
「質素で向かっても、豪華絢爛で挑んでも、陰湿な虐めから逃れることはありませんわ。もちろん、普通の衣装でもです。ここは攻勢に出ましょう。一カ月以上も辛辣を舐めてきた身代わり宮の晴れ舞台ですわ!!」
圧が凄い。
「少しだけでも、この宮の恨みを晴らしてください。后や正妃の鼻を明かしたいのです、明玉代妃」
圧の後の湿った声色に、明玉は集まった皆を見回す。
皆が、悔しげに、悲しげに、そして、瞳の奥に怒りを秘めていた。
「陰湿で、もしかしたら残忍な状況に陥るでしょうが、最高級の床と看病をお約束します」
「ブフッ」
明玉は笑ってしまった。
「負け戦だものね」
どう足掻いても、高位の者に勝つことはできないのだ。
身代わり宮である限り。
「わかったわ。じゃあ、よろしく」
明玉は戦場へ向かう準備を始めたのだった。
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