身代わり宮の明玉 一
「おーい、明玉居るか?」
粗末な小屋の扉を、男がドンドンと叩く。
「朝っぱらからうるさいわよ、端梁!」
扉がバーンと開く。
開け放たれた扉が端梁の額を直撃した。
「イテッ」
「あら、ごめんなさい」
「妹よ、扉はもう少し丁寧に開けろよ」
「兄よ、丁寧に開けられる扉なら、とっくの昔にそうしているわ」
明玉の言うことは尤もである。
小屋、否、『西院』は、築うん百年と経っており、建て付けは言うことを聞いてくれない。
十八歳の明玉が生まれる前から、すでに頑固者の扉と化していた。
「それで、どうしたのよ? 『東院』の若旦那様」
「その呼び名は止めてくれ。院なんて名前負けもいいところ」
「名前負けでなく、敗因の廃院よね。全く、名ばかり名家も楽じゃないわ」
「廃院……ああ、全くだ」
明玉と端梁は、互いに無言で見つめ合い、大きくため息をついた。
「でよ、ご当主様の呼び出しだ」
「嫌な予感しかしないわ」
明玉と端梁の家は、『沙伊国』でうん百年続く名家である。名ばかりだが。
現当主は、明玉と端梁の父親だ。
名は繧洛、氏は沈。沙伊国の建国当初から続く名家ではある。
『沙伊国』の一般的名家の屋敷は、『本院』の当主邸を中央に、北に奥方が住まう『北院』、嫡男の住まう『東院』、血筋が住まう『西院』、別邸を『南院』という造りが基本である。
沈家が名ばかり名家であるのは、屋敷を見れば一目瞭然だ。『院』仕様の屋敷ではあるが、それぞれの『院』は庶民級の建物なのだ。
仕様だけが名家、実態は民家。それが沈家である。
「おお、明玉や」
見るからに人の良さそうな風貌で、その通りにまんまと上手い話に騙される繧洛が、満面の笑みを称えている。
こういう顔の時は、まず明玉や端梁にとって悪い展開にしかならない。
「無理です!」
明玉は、まだ繧洛が何も言っていないが先に返答した。
「ハハ、明玉や。慌てん坊さんだな」
繧洛がほくほくした顔で、粗末な机に置かれた封書を取った。
「詔紙だぞ」
繧洛が鼻高々に言った。
「え!?」
沙伊国では、王宮から届く文は詔紙と呼ばれている。
詔紙は二種類あり、王宮殿からの碧詔紙と、后宮殿からの紅詔紙になる。
その名の通り、碧色と紅色で縁取られた詔紙である。
繧洛の手にする色は紅。
「紅詔紙、后宮殿から……つまり、後宮からか」
端梁の言葉に、明玉はギョッとする。
「父さん、まさか」
「ああ、そのまさかだ!」
明玉は『イヤ、イヤ、イヤ』と首を横に振る。
「宮女なんて、イヤよ!」
「誰が、宮女だと言った?」
繧洛が紅詔紙の封書を掲げる。
「『 召 妃 』だ!」
繧洛が声を張り上げた。
「はあっ!?」
「嘘だろ!?」
明玉と端梁は、紅詔紙の封書に記された題目に、目を見開いた。
紅色の四角い二重線の中央には、『 召 妃 』と記されている。
召官女、召女官でもなく、『 召 妃 』。
「明玉を妃としてお召しだ」
「あり得ない……あり得ないわ」
明玉はフッと鼻で笑い、繧洛がまた騙されたかと肩を竦めた。
「偽物の封書よ。また、騙されたわね?」
明玉は、両手を腰にあて繧洛に凄む。
端梁もポリポリと頭を掻いている。
「どうせ、妃入宮にはお金がいるとか書かれているのでしょ? いくらなの、全く」
「金貨百だ」
繧洛が右手をバッと開く。
「完全に騙されているな」
端梁がうんざりしたように脱力する。
「百は前金だ。入宮したら、また百だ」
「完全にぼったくりよ! 沈家を壊滅させたいの、父さん!?」
明玉は机をドンと叩く。
粗末な机がバキッと逝った。
机は真っ二つに割れ、引き出しの中身が露になる。
ジャラジャラジャラジャラ
金貨百枚が床に広がった。
「前金の金貨百だぞ」
繧洛が誇らしげに片手を広げた。
「入宮したら、あと百は入る」
繧洛の指を二本たてて嬉しそうに動く。
「私、入宮するわ」
「ああ、入宮しろ」
明玉は逝った。
端梁も逝った。
詔紙は本物だったのだ。
「それから、給金も出るそうだ」
繧洛が小躍りし出す。
「お腹一杯食べられるのね!」
「そりゃあ、後宮の妃ならな!」
明玉と端梁は目を輝かせる。
「すきま風もない屋敷よね!」
「そりゃあ、後宮の妃ならな! 屋敷でなく、宮だ」
「夢に見た湯殿にも入れるのかしら?」
「そりゃあ、後宮の妃ならな! 毎日浸かれるはずだ」
「豪華な衣装に身を包めるの?」
「そりゃあ、後宮の妃ならな! 継ぎ接ぎしなくていいはずだ」
明玉と端梁は浮かれている。
だが、明玉は忘れていた。封書の中を確認することを。『 召 妃 』の中身を。
『沈家、明玉。身代わり宮への入宮を命じる』
「もう、身代わりが居りません!」
宮女が血相を変えて叫ぶ。
「軽傷の者を!」
女官が圧をかける。
「居らぬものは、居らぬのです!! どうぞ、宮内くまなくご確認ください」
十一ある部屋を、次々に女官たちが開け放っていく。
どの部屋も、身代わりを出せる状態の者がいない。
尻叩きの身代わりになった者は、立つこともままならない。
棒打ちの身代わりになった者は、衣服から血が滲んでいる。
はたまた、水落ちの身代わりになった者は、高熱で朦朧としている。
「どこにも、身代わりは居らぬのか!?」
女官が苛立った声を出した。
ズリズリズリズリ
ある部屋から女が這い出てくる。
「わ、私が参りま……」
女の手が女官に向かって上げるが、言葉の途中で力尽きてバタンと落ちた。
女の衣服はボロボロに引き裂かれ、髪が取っ組み合いでもしたかのように荒れている。チラチラ覗く肌は、青紫色に変色しているか、血が滲んでいるかだ。
そんな女が這いずり出る様は、地獄絵図のようだった。
女官らが小さく悲鳴を上げる。
宮女らはガクガクと震え、竦み上がる。
「……この妃は、確か鞭打ち百計の身代わりだったか」
女官が伏せる身代わり妃を憐れむ。
「家族が大病を患い、お金が必要だったかと」
別の女官が名簿帳を見ながら言った。
妃の指がピクッと反応する。
「まい、り、ま……すので」
家族思いの妃なのだろう。
「身体を労れよ。身代わりは水苦の刑だ、命尽きたら、身代わり給金は得られなくなる」
妃がボロボロと涙を流す。
女官も宮女らも、心が締め付けられた。