表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

酒に酔う。

作者: 信太郎

しばらくの間、どこかに置いて忘れていた歯車を、急にはめたかのように、ぎこちなく動き出していた。




大人になった。そう言われたのは30を回ろうとした頃だった。会社の同僚や上司達から、揶揄された幼さは、一体何をもって「大人」になったのだろうか?

明確な答えを示す事をしないまま、会社は俺を評価していた。

不満という程の意地もなく、陰鬱になる程の情熱も、仕事にはもうなかった。

嫌いな仕事では無かったし、確かにあった熱意は、時間の経過と共に、古くなった染物のように色褪せた。

そうする事で会社は、俺を評価して、順調な出世へと導いた。



6年間一緒に過ごした彼女は、とうに冷めた熱の捨て場を無くしたかのように、短くごめんねと告げて、離れていった。

漠然と結婚という先を見ていた、見ていただけだから痛みも無く、薄ら寒い空白だけが残った。

空白を埋めるために、外で飲み歩いてみた。


もとより酒は好きで、馴染みの店も、飲み友達も簡単に見つかった。

今ではコレが当たり前で、何も不自由がなくなった。


「あれ?今日は一人じゃないんすね。珍しい。」


いつもの店のカウンターで、俺よりも2、3個歳下だったはずの好青年に言われて、ハッと右隣を見た。


濃い栗色の髪の毛を後ろでまとめた女が、一人でジョッキを持ち上げていた。

店内が混み合ってきたから、カウンターに通されたのだろう。


連れでも知り合いでも無いのを確認すると、俺は知らぬふりをして、日本酒に戻った。

視界の横でジョッキが置かれ、耳の隅で佐賀の酒を頼んだ声がした。


女性で日本酒を呑む人は珍しいな、それくらいの好奇心で盗み見た。

彼女は綺麗に注がれた日本酒を、満足そうに眺めると、神聖な儀式のように慎重な動作で、一口つけた。


キレのある華やかな酒で、後味もいい好みの酒だった。

良い趣味してるな。ただそう感じた。

視線を戻して、イサキの刺身を口に放った。


半分ぐらいの長野の酒を、ゆっくりと口に含んで、明日の休みはどうしようかと、他愛のない事柄を、周りの喧騒に任せながら考えるのが好きだった。

ただその時は、違った。


「せっかくの連れなので、良ければお話ししませんか?」


右隣から、程よく俺にだけ聴こえる声量とトーンで女は声をかけてきた。


盗み見るでもなく、視界に捉えた相手は少女だった。

瞳がイヤに印象的な少女だった。肩ほどの髪を外に跳ねさせ快活さと大人の女性らしさを、纏っているようだった。そして、少女の割には少し低めの鼻にかかったような声だった。

名前はサチと名乗った。


それからは、馴染みの店で会えば、必ず一緒に呑んだ。


連絡先を交換はしておらず、待ち合わせもしない、ただカウンターで横並びに呑むのが、ルールだった。


彼女は留年が決まった大学生らしく、彼女の世界の話をたくさん聞いた。

バイトの話、家族の話、友人の話。恋人の話。

俺は俺で仕事の話や、去っていった恋人の話。

別段話題があった訳ではないが、他愛のない話を肴に、サチと呑む酒は美味かった。


目の前に置かれた、蒼色のラベルに金色の文字で銘柄が刻まれた日本酒。

キレがあるが、飲み口はしっかりしており、後味も悪くない。

冷やしてもぬるめでも、締めに燗にしても楽しめた。

サチが良く好んで呑む酒だ。


いつものように刺身を、つまみながら飲んでいると、分かっていたかの様に、サチが隣に座る。


程なくして煮卵を肴に、サチも日本酒を飲み始めた。


「美味しいなぁ。」


身体に沁ませる様に、彼女は呟いた。


「おつかれさま。」


「おつかれさまです。」


そうして二人の酒は始めるルールだった。



お互い酒が呑めた。

酔いに任せる事なく、店の閉店まで酒を呑む。

店を出れば、手を振り別れる。



ある夜に店の店長から、メッセージが届いた。

「今日はいいあん肝が、あるよ。」


魅力的な肴だったが、明日の仕事が早いのを考えると億劫だった。

迷う様に時間を置いていたら、知らない番号で電話が鳴った。


普段なら知らない番号は出ないのに、咄嗟に出てしまったのを、のちのち後悔した。


「来ませんか?あん肝、美味しいですよ?」


よく知る声だった。媚びる事のない低音の声が、聞こえた。



いつもより少しペースの早い彼女の横に座った。


一杯目から日本酒を頼む。


「ルール違反じゃないか?」


頬を赤らめたサチに、言うセリフが思いつかず意地悪な様を、見せてみた。


俺の前に置かれた日本酒を確かめると、黙ったまま自分の小皿のあん肝を少し齧り、残った半分くらいのあん肝を、有無を言わずに、俺の口に放られた。



「ね?美味しいでしょう?」



「たしかに、こりゃ美味しいね。」


いつもよりペースが早い時、それは何かあった時。


「ほら、何があったのさ。話しを聞くよ?オジサンに話てごらんさ。」


こちらのペースを乱されたくなくて、おどけてみせて、普段の二人の酒の席にした。


いつもの様に、アレやコレやと話す彼女の話を聞きながら、実は話の半分も記憶に残らなかった。


話の合間に、サチが漏らした。


「ルールなんて、ありませんよ。」


その一言が、鮮烈な熱を持って、喉元に残っていた。




季節は緩やかに変わり、ひやおろしも殆どなくなり、はつしぼりの時期も過ぎ、そんな風に時間は流れていた。

仕事は変わらず単調で、順調すぎる社会に、漠然とした不安と不満を募らせていた。


なんの気なしに、普段と違う場所で上司と飲んだ。

仕事の愚痴を言い合う中で、仕事に対する空虚な部分が、浮き彫りになるようだった。

味気のない、好みではない酒を飲んでいると、無性に苛立ちが募り、上司と別れいつもの店に帰ってきた。

サチは居ない事に、僅かな怒りを感じつつ、4合目を呑んだところで、意識は切れた。




久しく体験していなかった程の吐き気と、頭痛に目を覚ませば、自分の部屋だった。

記憶を飛ばしたのは、どれほどぶりだろうか?

それほどまでに鬱屈が溜まっていたのだろうか?

重い身体をひきづって、水を一気に飲み干すと、放り投げられたように置いてあるスマホを拾う。

昼ごろを指す時刻に、休みで良かったと安堵して、再びベットに横になった。


ふと気づく。


サチとのやり取りの履歴があった。

メッセージを数回やり取りした後、通話していたようだ。


少し血の気が引いた。

一体俺は何を話したのだろうか?


メッセージの時点で荒唐無稽な事を言っている。


電話で30分以上も、何を話したのだろうか?


思い出そうにも思い出す材料もなく、程なくして自責の念に観念して、目を逸らすように眠りについた。




「ごめん。酷く酔っ払っていたみたいで、全然記憶にないんだ。迷惑をかけた。」



「いいんですよ。酔ってるのはすぐ分かりましたし、楽しかったです。」



いつもの席で再開した彼女に、素直に詫びを入れた。


さも気にした様子は見えない。

下手に掘り返して、恥を上塗りするのも億劫で、いつも通りの酒の席にした。



ただ、泥酔し酩酊している時に、安堵を求めた相手がサチだった。

その事が、自分自身に大きな楔を打ち込まれた様な衝撃だった。



知ってしまえば抗えず、自覚してしまえば止まれない。


幾度も見た笑顔が、幾度も聞いた声が、今までに無い鮮やかさを持って、思い起こされる。



大きなため息をついて、いつもの席に居た。



認めてしまいたい自分と、まだ認めたくない自分。


ほとんど意味のない論争を、自分の中で冷静に整えたかった。


結局のところもう一度会えば分かるのでは?なんていう陳腐な言い訳をたてて、席についてしまった。



分かっていたかのように、隣に座ったサチの瞳を、真っ直ぐ見据えた時。

自分を嘲笑うかのように、ため息がついて出た。



茨城の酒が、スッキリと抜けていく喉に、言葉にしてはいけない異物を、しっかりと認識した。



渡りに舟と言うべきか、昇進をかけて舞い込んできた半年の出張話に、飛びついた。


半年間、遠い地で仕事に明け暮れた。

その地、その場での酒と出会いもあり、サチに対する全てを半年かけて蓋をした。


だが終わっていないものは、過去には出来ない。

出ていった彼女に教わった事を、俺は全く理解していなかった。


帰ってきたいつもの席には、誰もいない。


帰郷の挨拶もそこそこに、懐かしい場所での酒を楽しんだ。


春の名がついたこの酒は、超辛と銘打ってあるように、スッキリと最後まで抜ける旨さがある。


なかなか酔えずに、蒼いラベルの酒を熱燗にして貰った。


店長と他愛のない会話を繰り返して、閉店前に家路についた。


抜ける風が、火照った身体を冷やしていく。

酔いたくて呑んだのに、冷静さを突きつけられる。


ああ。なんて間抜けなのだろう。

ただあの子の声が聞きたいと渇望している。


酔いきれなかった自分が惨めで、しばらく酒は控えようと夜空に嘯いた。


読んで頂きありがとうございます。


感想頂ければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] お酒じゃなくてサチさんに酔っていたのかもしれませんね^_^
2022/11/22 16:40 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ