9. エラ様、登場
この日私は、初めての『呼び出し』を体験していた。
ある日の放課後、寮へと帰る途中。
話したことのないクラスメイトから声をかけられ、聞いたことのない名前の先輩が私を呼んでいると言われたのだ。
呼ばれる覚えが全くなく、一体何の用かも分からずに行きたくはないのだが、先輩が待っていると言われては行くしかない。
……というわけで私は、気は重いが呼ばれた場所へと足を運んだ。
「遅いですわよ! ミスティア・グローヴェン!」
到着早々、叱られた。
いきなり呼び出しておいて第一声がそれとは思わなかった。
「え、えっと……」
「ちょっと! 早くエラ様に挨拶しなさいよ!」
「そーよそーよ!」
私を呼び出したのは、三人の先輩方のようだ。
最初に怒ったのが真ん中の人。
縦ロールの髪型がとても印象的な先輩。
その次に声を挙げたのが脇に立つ二人。
真ん中の先輩が派手だからか、少し地味に見える。彼女達は「エラ様」の友人ということなのだろう。
しかし、エラ様の顔を見ても全くピンと来ない。やはり会ったことがないと思うが、記憶違いだろうか。
「……ごきげんよう、エラ様」
とりあえず私もエラ様と呼んでみた。
「ええ、ごきげんよう」
するとエラ様からは、ふんっ、と顎を上げながら高みから見下されるように挨拶が返ってきた。
「あの、私に何かご用でしょうか?」
そう。話はそこから。
まずは用件を聞かなければ。
「……あなた、あの方とはどういう関係なのかしら?」
「あの方?」
私は思わず首を傾げた。
「あの方と言ったらあの方よ!」
「あんたといつも一緒にいるでしょ!?」
縦ロール先輩が名前を呼ばないからなのか、脇の二人も「あの方」で通してきた。
それでも、「私といつも一緒にいる」という言葉をもらえたことで、私の中で思い当たるのは一人だけ。
「……もしかしてグレンのことですか?」
「!?」
私が名前を出すと、エラ様方は衝撃を受けたような顔をしている。
「な、なな、呼び捨てだなんて……!」
「あんたごときがあの方を呼び捨てるなんて百年早いのよ!」
「そーよそーよ!」
え、なんで。
「えっと……彼とはクラスメイトなので、呼び捨てでも問題ないかと思うのですが……」
本当は彼が私の従者だからだけど。
でもクラスメイトというだけでも、呼び捨てする理由にはなり得るはずだ。
「クラスメイトでも異性の場合大抵は『さん』や『くん』を付けて呼びますわ!」
「そーよ! 呼び捨てするなんてどんな仲なのよ!」
え、そうなの?
グレンが言ったのだ。普通は名前で呼ぶと。
なんなら彼は、私のことを愛称の「ティア」と呼ぶようになったのに。
ただのクラスメイトは呼び捨てしないの?
「……どんなと言われましても、クラスメイトとしか、」
「じゃあなんでいつも一緒なのよ!」
「それは……私に友達ができないからで……」
「はあ?」
うう……。
何なのこの先輩方。高圧的すぎて怖い……。
「はっ! エラ様。あの方はこの子が一人ぼっちだったのを見かねて声をかけてあげているのでは? つまり全てはあの方の優しさという」
「なるほど。あの方ならありえますわね」
脇の一人がそう進言すると、エラ様は頷きながらその意見に賛同していた。
「さすがわたくしが見込んだ方なだけありますわ。クラスで孤立した女子生徒に手を差し伸べるだなんて、すごく紳士的な行いですわ」
エラ様は恍惚としてグレンを褒めそやし始めた。
「外見だけではなく、内面も素敵だなんて……。やはりわたくしの運命のパートナーはあの方以外にありえませんわね」
運命のパートナー。
私の聞き間違いじゃなければ、エラ様は確かにそう言った。
それはいわゆる、恋人とか結婚相手とかに使う単語ではないか。
「あの方」と呼び、私との関係を問いただして、極め付けはそんな単語。
……エラ様は、グレンと恋人になりたいと思っているの? いえもしかすると、婚約者の座を狙っているのかも?
でも、エラ様は見るからにどこかの貴族令嬢。しかも多分、高位貴族の令嬢だ。
もしもグレンが婚約するのなら、高位貴族のご令嬢とであれば申し分ないだろう。
しかしエラ様から見たら……。
「でも彼は貴族ではありませんが……」
グレンには爵位がない。
親がいないから将来継承するものもない。
王女に仕える従者。
そんな肩書きしか持たないグレンでは、高位貴族と思われるエラ様には不釣り合いにもほどがある。不思議に思った私が口を出してしまったが、その心配は不要だった。
「それは問題ありませんわ! 我がマルガリータ家の分家にちょうど跡継ぎがいないところがあるんですの。だからあの方に婿養子になっていただき、その分家を継いでいただければと」
マルガリータ家。
それは、王国に三家しかいない公爵家の一つ。
分家を継ぐとなればある程度の爵位が授与されるのだろう。
なるほどそれなら。
いやむしろ、肩書きがないだけで個人としては極めて優秀なグレンはうってつけだ。
「そういうわけだから、あなたは今後あの方から離れてくださるかしら?」
……何がそういうわけなのだろう。
私がいてもいなくても、エラ様がグレンに話しかけたりすれば良いだけではないのかと思うのだけれど。でもまあ、私が離れていた方が二人きりで話せるとかそういうことなのかな、と推察はできる。
いつの間にか、私はまたグレンの将来を奪おうとしていたのね。
我ながら嫌になる。
友達ができるまで、なんて自分を甘やかしたのがいけなかった。
「……分かりました。明日から気をつけます」
私は無理矢理笑顔を作って、エラ様にそう答えた。
「ふふ。物分かりが良くて助かりますわ。ではわたくし達はこれで失礼いたします」
縦ロールをふんわりと翻し、ひらりと踵を返してエラ様は去っていた。脇にいた二人も慌ててエラ様についていき、私はなんとか先輩たちの圧から解放された。
……今日は厄日かな。
そう思わずにはいられないほどに、私にとって初めての『呼び出し』は、心に暗い影を落としたのだった。