立ち塞がる男
魔の国の王が去った後、人間族に住処を追われた魔の者「魔者」達が暮らす小さな村が世界のどこかにあるという。
そこでは、あらゆる種族が共生しており、どんな境遇の魔者でも受け入れられる人間族以外にとっては「楽園」とでもいうべき場所であった。
しかし、人間族からみれば「楽園」なんてとんでもない。
大した力を持たない立場の人間族からすれば、一度そこに立ち入ると二度と出ることは許されない「監獄」のように思われているし、強大な権力を持つ人間族からは汚らわしい生物が棲まう「忌々しい場所」でしかなかった。
共通するのは魔の者に対して抱く「忌避感」
いつしかその場所は本当に実在するかもあやふやなままに、人間族からはこう呼ばれた。
種々雑多な化け物達が身を潜める禁足地。
通称――「モンスター村」
日が昇ってからずいぶんと経ち、活気の出てきた村の様子をぼーっと見ている男がいた。
彼の種族はメタル・トーテム。
村の皆からは「トッテム」と呼ばれている。
村人の中では一番背が高いので、なんとなく村の外の警戒を担当することになって早10年。
毎日代わり映えしない景色にもそろそろ飽きてきて、時折空を見上げては最近人間の町で流行っていると噂に聞いた「くものように柔らかいパン」のことばかり考えている。
「そもそも蜘蛛って食べれたのか」
ぽつり、とそんな事を呟いた。
どうやら一度蜘蛛を食べたことのある人間が「おお! このパンはまるで(前に食べた)蜘蛛のように柔らかい!」と、感想を言ったと思っているらしい。
実際には、くもとは蜘蛛ではなく、空に浮かぶ「雲」のことを指している。
ようするに「空の上に浮かぶ雲はきっと何よりも柔らかく、その柔らかさといったら天にも昇る心地なのだろうな」という人間味溢れる「例え話」なのだが彼には理解できないのだろう。
――人間ではないから。
昔、魔の国の王に仕えていた時に知り合ったナイトメア・スパイダーの姿を思い描きながら、どこが一番柔らかいのだろうかと男が考えを巡らせていると何やら小さいものが近づいてくる。
「ふんふんふーん」
男が目を向けると、可愛いらしい声で鼻歌を口ずさみながら、てこてことこちらの方に向かって歩いてくる人間族の子供の姿が目にとまる。
「おい、そこで何をやっている!」
トッテムは素早く人間族の子供の行き先を塞ぎ、何をするつもりなのかを尋ねた。
「とおせんぼ?」
こてり、と顔を傾けながら真ん丸の眼でこちらを見上げてくる人間族の子供。
そんな姿を可愛いとは思うが、だからといってここを通すわけにはいかない。
「どいてください」
「ダメだ」
通して欲しいとぺこりとお辞儀をしようとして、そのまま地面にぶつかりそうになっている頭をさっと受け止めながらも男ははっきりと拒絶する。
そもそもここは人間族にとっては過酷な土地だ。
通りたいからと言って通してしまえば、この子供を待つ未来はどう転んでも明るいものにはならないだろう。
それに、自分は村の警戒を任されている身。
簡単に人間族の子供を通したとあっては、村に住む仲間達になんて言われるかわかったものではない。
義務感半分、優しさ半分で男は子供の行方に立ち塞がる。
「このまま歩きたいです」
「ダメだ!」
諦めずに自分の方を向いては、何度も通らせてくれと地面に吸い込まれる頭。
その度に受け止めながらも男は他に人の姿がないか周囲にさっと目を走らせる。
この村に子供は1人……いや、今は2人しかいない。
どんなに些細なことであっても、村に住む子供達に危険が迫るような真似はできない。
もちろん何かあっても村の大人達がすぐに駆け付けて守る準備はできているが、だからといって気を抜いていいわけもないと男は考えた。
「ふんふふ、ふふーん」
ふと男が子供の方を見ると、さっきよりも少しだけ道の端の方に寄り、自分の横を鼻歌を歌いながらご機嫌で通り過ぎようとしているところだった。
「子供の考えって……わかんねぇな」
立ち塞がる自分の姿に恐れを抱かないばかりか、鼻歌まで歌いながら通り過ぎようとする子供に対して思わず止めるのを忘れて見とれてしまう男。
「だからここは通せないと言っているだろ!」
しかし、すぐに気を取り直した男は相手はまだ小さな子供だというのに容赦なく声を荒げる。
自分達の村を、そこに暮らす人々を、なにより「魔者」の未来を守る為に鍛え上げた大きな腕で、その腕よりも更に一回りも大きな角を持ち覚悟を決めた。
そんな男の姿をただじっと見つめる子供の方へゆっくりと近づいていき、一度息を吐いてから思いっきり吸い込んだ男は大きな角を子供の頭の上に掲げ……
「ぶおおぉー!ぶおおぉー!」
盛大に吹き鳴らした。
――トッテムは「集いの角笛」で仲間を呼んだ!!
「どうしたどうした!」
「あらあら、カイルったらこんなところにいたの?」
「相変わらずいい音だな、トッテム! 俺にもコツを教えてくれよ!」
――モノ作りが得意なゴブリン族の男性が現れた!!
――誰に対しても優しいゴーレム族の女性が現れた!!
――いい音が出そうな角を持つ角兎族の男性が現れた!!
途端に賑やかになり、人間族の子供がどこか嬉しそうにしている。
「どうもこうもねえよ! カイルの奴、ダメだって言ってるのに村の外に出ようとしてるんだよ!」
村の外を指さしながら現在の状況を説明するメタル・トーテム族の男「トッテム」
どうやら、のん気に散歩にでも行くかのように「死地」へと向かう人間族の子供「カイル」を心配して立ち塞がっていたらしい。
「そうなの、カイル?」
カイルと一緒に暮らしているゴーレム族の女性「レムーナ」が優しく声をかける。
「ここ、とおりたいです」
トッテムと同じように村の外を指さしながら説明するカイル。
「ほら、言ったとおりだろ?」
「ほんとだわ。……あのね、カイル? 村の外はとぉっても、とぉーーっても危ないのよ?」
「とおりたいの」
そんな言葉とともに、またぺこりと地面に吸い込まれていく頭を受け止めながら息を吐くトッテム。
自分達の話を聞いているのかいないのか。
「子供ってやつは俺には分かんねえ。さっさと連れて行ってくれ」
しっしっと手を振りながら背を向けると村の外との境界線まで戻っていく。
「わかったわ。じゃあまたねトッテム。ほらカイルも、お仕事がんばれー」
カイルの小さな手を握ってちょこちょこと小刻みに手を振らせながら家に帰ろうとするレムーナ。
しかし、手を引いてもカイルはその場を離れようとしない。
「どうした?」
「カイルが歩いてくれないの」
「はぁ?」
そう言われてトッテムがもう一度カイルの方を見ると、確かに手を引かれているのにその場を離れたくないからか「だらり」としている。
「これは、どういうことだろうな?」
「う~ん? じゃあ……いってもいいよ!」
「おい、それはっ……」
「ありがとうございまる」
下っ足らずな口調とは裏腹にしっかりとした足取りでずんずんと村の外に向かって歩き始める。
「おいおいおい、この先はマジでやべえんだぞ……!」
カイルとその向かうであろう先を交互に見比べながら心配そうにするトッテムをみてレムーナは微笑む。
「大丈夫よ。ほら、見て?」
「あ? な、なんの真似だ?」
自分の横を通り過ぎて、危険な森へと向かうと思っていたカイルが自分の隣で空を見あげてボーっとしている。
……?
「ど、どういうことだ?」
――トッテムは混乱しているようだ!!
いったいカイルが何をしたいのかわからず、混乱状態に陥ってしまったトッテムにレムーナが柔らかく微笑みながら解説を始める。
「あなたの真似がしたかったのよ。きっと、いつも村を守ってくれているあなたがカッコよく見えたんじゃないかしら?」
「か、カッコイイだと?」
そういわれてみると、ボーっと空を見上げる様子はまるで先程までの自分のようかもしれない。
ただ、ひとつだけ気になることがある。
「こ、これってかっこいい……か?」
「え? た、たぶん」
さっきまでの柔らかくも自信に満ちた笑みはどこへいったのか。
あたふたと何か気の利いた言葉でも探し始めたであろう女性を微笑ましく思いながらトッテムは空を見上げた。
「……やっぱ、子供の考えることって、わかんねえな」
そういって空を見上げる男の頭には、いつか大きくなったカイルに村の警戒を任せて、自分の大きな腕でも抱えきれないくらい沢山の、それも蜘蛛のようにとびっきり柔らかいパンを買いに行く。
そんな未来が浮かんでいた。