9:12分
『What are Japanese people like?』
『People have an …
亮はおもむろに参考書を閉じた。
馬鹿らしい、と思ったからだ。
『日本人はおとなしく見られることが多く、たしかに公の場ではあまり自己主張が強くない』
こんなことが書いてあった気がした。そんな一くくりにできるわけないだろ、と心で毒づいた。
英語の成績は昔からよくなかった。
ただの例文であることはわかってるが、こういう例文があまりにも馬鹿らしくて好きになれなかった。
『これはペンですか?』
『いいえ、ノートです』
こんな言い回しが溢れているのを、つまらなそうに眺めている間に、いつからか何が書いてあるのかわからなくなった。
さっきのも現に質問しかわからなく、答の訳はなんとなくだ。
そんなことを続けている内に、亮は20才になっていた、あと二月もすれば、またひとつ年をとる。
一般的には、一流と呼ばれる大学に通っている。
たまたま、教師達が適当に評価した紙の数字がよくて、面接だけで合格した。
「あんなんで俺の何がわかったんだろうな」
友人に亮はよくそう言った。
思い返せば、昔からそうだ。
12才、滑り止めは落ちたのに、何故か合格した第一志望の中高一貫校、県内一位の名門と呼ばれる高校に入った。
当然、その後高校受験はなし。
16才、男子校なのに、ひょんなことから知り合った女の子と付き合い、今でもその子とつきあっている。
きっと、いい出会いだったのだろう。
音楽だって、美術だって、スポーツだってある程度はできた。
―なんとなくうまくいく
これが亮の人生であり、すべてだった。
わずか10文字で表せる人生。
しかし、履歴書とかには輝かしい経歴が積み重なっている。
小学校時代の友人からも、中高の友人からも「勝ち組」と呼ばれる。
9:12分。駅に着く。1限にはもう間に合っていない。最近はいつも少し遅れていた。特に意味はない。
ただ、つまらない。そう、ただつまらなかっただけだった。
刺激がほしい。
亮はいつも願っていた。
口には出さないし、行動もしない。ただ、日常を繰り返すだけ。
「海外ボランティア募集」というチラシを校門前で配っていたが、亮はもらわない。
教室に入ると、ケンタッキーのおじさんみたいな風貌な元学部長の教授が、
今日もISだかLMだかとか言う曲線について、解説していた。
先週も同じ説明をしていた気がする。
寝てるやつ、漫画を読んでるやつ、こそこそDSやってるやつ。
「…ふぅ」
小さく亮はため息をついた。
この授業を真剣に聞いているやつはどこにいるのだろうか、亮は不思議になった。
テスト前には、綺麗に整理されたノートのコピーがいつも出回るからだ。
亮はいつもテスト前、自分のノートと併用して、そういうコピーを使っている。
できるだけ、それだけでテストに望むことはしなかった。せめてもの抵抗であり、プライドだった。
「りょう」
亮はそう呼ばれた、『あきら』がただしい読み方なのだが、亮は大学では専らそう呼ばれている。
わかればどっちでもいいと思っていた。
授業終了10分前、小さく声をかけられた。
ふとそちらに視線を向けたが、すぐまたノートに視線を落とした。
「出席まだだよな?」
「裕輔かか。あーそいえばまだだね」
書きながら答えた。
「よかった〜きた意味があったよ」
裕輔は筆箱のみを取りだしながら、そう答えた。
気づけば、教室は半分程度埋まっていた。亮が来たときには三分の一いるかどうかだったのに、だ。
この授業はいつもそうだった。授業の最後に配られる出席カードだけを書きに来る人が多い。
代返も含めれば、ほとんど全員出席なのではないだろうか。
ケンタッキーのおじさんは、まったく気にしていない。
これが、偏差値70近くもある大学の姿なのだろうか、
亮はそう思うと同時に、自分が一回も出ていない授業で去年『優』をとったのを思い出した。
そう、自分も同じなのだ。
今日はこれからゼミがある日だった。
亮の学部の中では優秀といわれるゼミで、入ゼミ時の倍率も2倍程度あったが、亮はなんとなく入れた。
裕輔も同じゼミで、二人はある意味ゼミの中心にいた。
「今日もディスカッション楽しみだな」
裕輔は笑顔で言った。ゼミでやるディスカッションが裕輔は好きらしく、本当に屈託のない、心からの言葉だった。
「ああ、そうだな」
亮は無表情だった。
「今日は俊さんもくるしなー」
「あ、そうだっけか。春以来だな」
「あの人どこだっけ?」
「うーん、○○とかいうの外資の投資銀行じゃね?
続けて言った。
「たしかすごいとこ」
「あー○○か。てかお前たしかって、めちゃすごいだろ」
裕輔はあきれたような顔で言った。
「ふーん」
亮には『たしか』だったのだ。外資の何がすごいのかなんて知らないし、投資銀行が何かもよく知らない。
いったい将来自分が何になりたいのか、どういう仕事につきたいのかもわからない。
わかっているのは、100万枚CDを売るアイドルにも、年間何億ももらうサッカー選手にも、
世界一の金持ちとか言われたビル・ゲイツのようにもなれないことだけだ。
だからそれ以外は、全て『たしか』だった。
教室につくと、俊さんももう来ていて、二人以外は席についていた。
急いで、端の席に着く。なんとなく決まっている亮の定位置だ。
先生がきて、ディスカッションが始まる。
教科書を読み、理論をまとめ、実際の企業のケースを持ち寄る。
それがいつものゼミのスタイルだった。
前期はチームでプレゼンをする、というのがあったが、後期はディスカッションメインだ。
プレゼンはチームでやる難しさを感じるものだった。
ゼミの中で、裕輔はたまにへんなことも言うが積極的に発言し、
亮はたまにだが、周囲が納得するだけの説得力のある発言をした。
いつもの構図だ。
亮は、裕輔を頭の回転の速いやつだ、と評価していた。
とにかく発言すること、自分の考えを言葉にできるのはそれだけで意味があると考えているからだ。
裕輔の積極性は、海外ボランティアに何度もいったり、サークル、アルバイトで鍛えられたものらしい。
二人を中心に、5、6人はよく発言する。ゼミは12人構成だ。
今日もその構図は変わらなかった。もうゼミが始まってから何ヶ月もたつのにいつも同じ構図なのだ。
他のやつは、何のために教科書を読み、何のために理論をまとめたりしているのだろうか。
「では時間も時間だし、終わろうか」
先生のひとことでディスカッションは終わった。続けて先生はこう言った。
「せっかく、俊君がきてるから一言もらおうか」
―怒られる。
亮は、ふとそう思った。
俊は、立ち上がり、困ったような、照れたような顔を見せながら言葉を発した。
「まいったな、何も考えてなかった。みんな今日はお疲れ様、積極的に発言していて、すごいと思ったよ。俺の四年の時よりすごいんじゃないか」
うそだ。
亮は入ゼミ前、ゼミの見学をさせてもらい、そこでキレのいい発言を次々に繰り出す俊の姿を覚えていた。
その姿に、憧れを抱いていた。
「では、この調子でみんながんばって是非弊社に…」
そんなことを言って笑いをとって俊の挨拶は終わった。いろいろ言っていたが、苦言を呈するような言葉は一言もなかった。
みんなが笑顔で拍手する中、亮は精一杯の愛想笑いをした。
帰り道。
亮は空を見上げた。月は雲に隠れ、暗い夜だった。
ゼミ員と俊、13人で駅まで向かっていた。大体10分くらいの道のり。
コンビニや飲み屋、牛丼屋などがごちゃごちゃ点在する道を通っていく。
飲み屋から出てきたであろうサラリーマンが楽しそうに、そしてどこか哀愁を漂わせる姿に見えた。
自分の20年後だ、亮はふと、そう感じた。
亮の隣には、あやがいた。
「今日のディスカッション盛り上がって、面白かったね」
あやが笑顔で語りかける。
「そうだね」
あやは今日一度でも発言したであろうか、いや今日に限らずでもいい。
そんなことを考えながら適当に答えた。
やっと駅に着いた。ずいぶん歩いた気がしていた。
俊と亮と裕輔だけが上り電車で、あやをはじめ他のゼミ員は逆方向だった。
電車内、俊と裕輔は今日のディスカッションのことや、会社のこと、様々なことを笑顔で語り合っていた。亮は、適当に相槌や愛想笑いをしていた。
「どうした?」
一瞬、亮の時が止まった。
突然、俊が亮に言ったのだ。
「ゼミ中もそんな感じだったな、つまらないか」
「いや…」
言葉につまる。
「相談なら何でものるぞ?」
「…わからなくて」
「うん?」
「ゼミに対して、みんなが何を考えていて、何を望んでいて、何で一言も発しない人が半数いるのかが。」
「難しいテーマ、流れになることもあるだろ」
裕輔は一言も発しない。俊と亮だけの時間が流れる。
「いや、みんな、調べてるんですよ。俺よりもまじめに調べてる感じがするのに」
搾り出すように、亮は言った。
一呼吸おいて俊が言った。
「お前はどうしたい」
「…」
「亮、お前がみんなに振ってみたり、流れを作ってみたりはしないのか」
「…」
一筋の涙が亮の頬をつたった。
「…俺がそこまでしなきゃいけないんですか、前期だって、前期のプレゼンだって意見がないやつと組んで困って、」
亮は続けた。
「対案はださないのに、難しいだの、大変だの言われながら、どうにかまとめて作り上げてきたのに、また…」
電車なのに、周りも気にせず亮は泣いた。泣きながら訴えた。
「お前が変われば、何かが変わるかも知れない。他人を変えるのは難しいよ」
亮は泣き続けた、もう何も言えなかった。
裕輔は、何も言わない。神妙な顔つきで、俊と亮を見つめている。
「××ー、××です」
裕輔の降りる駅だ。何も言わないまま、裕輔は電車を降りた。
程なくして、俊も電車を降りた。
「大丈夫か」
と、一言を残して。
亮は、降りる背中を涙で滲む目で見た。大きな背中だった。
―あれから一週間がたった。
9:12分。
うしろから裕輔が走ってくる。
「よー」
朝の日差しのような気持ちのいい笑顔だ。
「昨日の夜、映画見てさー」
「あー有名なやつな」
10分の道のりを、他愛のない話をしながら歩いた。
校門では「海外ボランティア募集」のチラシを配っていた。
亮は受け取らない。
枯葉を舞わせ、冷たい風が吹き抜けていった。




