3話
焦薬煙(煙草のようなもの)と酒の薫りがほのかに漂う、石造りで落ち着きのある馴染みの店。
そこでフォルは一人、酒を口にしていた。
店は時間がまだ早いせいか、それほど賑わっていない。十ある四人がけテーブルの三つは使われているが、カウンター席にはフォルしかいなかった。看板娘のリーティスが、暇なのかフォルの隣に座り、組んだ手に顎を乗せて足をブラブラさせている。
リーティスは一年ほど前からこの店で働いている娘なのだが、年が近いということもあってかフォルと軽口をいいあう仲であった。
「仕事しろよ」
なにげなくいっただけなのだが、キッと睨まれる。
彼女が思いっきり首を振ると、両端で結い上げた赤髪がフォルの頭をバチンと叩いた。
「あてっ」
「あんたにいわれるまでもないわよ」
リーティスはフンとそっぽをむき、マスターに「ねーっ?」と同意を求めた。マスターのトルは、黒目がちの大きな瞳に見つめられ、人の良さそうな顔に苦笑いを浮かべる。
フォルは二人の様子を見ながら、たいして痛くもない頭を撫で、一つため息をついた。
「まあいいけどさ」
「どしたの?」
フォルの気のない返事に、リーティスが再び振り返ってくる。
フォルは彼女を見てしばらく考えてから、思い切って最近ルピスのことが気になるということを告げた。それを聞いたリーティスは、少し驚いてから組んでいた手に頬を乗せ、フォルを見つめた。
しばらくそうしてから、ふと顔をカウンターのむこうにむける。
「ねぇ、フォル。ルピスになんかプレゼントあげないの?」
「プレゼント……。そういやそんなこといってたな」
服の話を思い出してフォルがそれを口にすると、彼女はフォルの鈍感さに呆れて口元を曲げた。
「そんなことって……。ルピス、気になってると思うけど?」
「なんで?」
「なんでって、一年に一度のことだもん。当然じゃない!」
「一年に一度?」
なんのことだかわからずにいるフォルにリーティスは呆気にとられ、信じられないというような目をした。
「……もしかして、忘れてる?」
「なにを?」
「ルピスの誕生日よ。もうすぐじゃない」
「誕生日……」
反芻し呟くフォルに、リーティスが「大丈夫?」という不審そうな視線を投げかけてくる。しかし、フォルはそれに気づかずに頷いていた。
「そっか……。誕生日か」
プレゼントをやれないといったときのルピスの表情が気になってはいたが、誕生日だということをすっかり忘れていた。
少し前までは母親が教えてくれたものだが、一人暮らしとなった今ではそのような行事に頭を回す余裕がない。
これはなにか考えなければならないと思い始めたその時、店の扉が開き、長身で髪の長い男が入ってきた。派手というわけではないが、ずいぶん身なりのいい男だった。彼の後には取り巻きらしき者達が付き従っている。男二人に女五人いるがずいぶんと華やかな集団だった。全員、黒い宝珠の埋め込まれた道具を持っていたので、援奏者であることは明らかだった。しかし、総勢七人もの援奏者を抱えている人物も珍しい。そのせいか、店にいた客の視線が釘付けになっている。
誰が来たのかと扉の方に目を向けたフォルが、見知った顔を見て目を瞬かせた。
「アウル?」
先頭に立っていた長髪の男は、声をかけてきたフォルを見つけて目を見開く。あまり友好的な目つきではない。
「フォルティ・エナセード」
アウルのつっけんどんな返事に、フォルは顔をしかめた。
「そんな他人行儀な呼び方、いいかげんやめないか?」
「うるさい。卑怯者め」
アウルに怒鳴られ、フォルは口元をへの字に曲げた。隣にいたリーティスがフォルのことを軽く小突き、小声で尋ねてくる。
「卑怯者って……なんかしたの?」
「いや、別に……」
フォルが首を傾げていると、アウルの変わりに、彼の後ろに控えていた金髪の少女が声を荒げた。
「別にじゃないです! あなたはアウル様との勝負から逃げて、なんでも屋なんかしてルピスさんの気を惹いていたじゃないですか!」
「別に、ルピスの気を惹こうとしてやってたわけじゃないぞ」
いきなり初めてあった少女に責められ、フォルは憮然とした面持ちでいい返した。
見知らぬ少女に責められるのはもとより、自分の生活のためにしていたことをルピスの気を惹くためだといわれては、なにか納得がいかない。
「いったいなんの勝負から逃げたの?」
話が見えないらしいリーティスが、フォルの気持ちなどお構いなしに訊いてくる。フォルは仏頂面でそれに答えた。
「俺はただ、大会に出るのを断っただけだ」
「大会? 大会って、闘技大会のこと?」
彼らのいるトロバーナの首都セザークでは毎月様々な大会が行われている。その中でも闘技大会は、有名かつ大規模な催し物として国の名物となっていた。そして、アウルはその大会で毎回上位に入っている。
フォルは技術習得学校を卒業した後すぐに家を出たのだが、いつも学校で突っかかってきたアウルに闘技場で勝負しろといわれていたのだ。
「そうさ、こいつは俺に負けるのが恐くて逃げたんだよ」
「そうなの?」
フォルがアウルと援奏者達の嘲笑を聞き流していると、なぜかリーティスが苛ただしげに睨んできた。
実際、アウルはいうだけの力はある。しかし、だからといって逃げていたわけではない。
「いや、ただ大会は見せ物みたいで嫌だっただけなんだが……」
一応本心をいったのだが、アウルに鼻で笑われる。
「ふっ、いいわけとは女々しいな。まあいい。ルピスも、お前みたいな臆病者にはそのうち愛想をつかせて、俺のもとにくるだろうさ」
アウルはいいたいことだけいって、空いている席へむかっていった。後に続く援奏者の禿オヤジや、きらびやかな女までもがなぜか笑っていた。
「……勝手にしてくれ」
フォルが呆れ果てて呻いていると、十歳ぐらいの小生意気そうな女の子に「バーカ、バーカ」となじられた。そんな中で、先程フォルにかみついてきた少女だけは俯いていて表情がよみとれなかった。