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風月佳人・前編  作者: 斎木伯彦
叙勲式に向けて
7/40

記憶の断片

 カインが皇都の士官学校へ進んで二年近くが過ぎた。

 この間、セリナは勉学に追われて、月日の流れを忘れるほどであった。気付けば季節は夏、兄を送り出した日と同じ暑い季節を迎えている。

 しかしセリナは兄が帰って来る嬉しさとは裏腹に、気鬱になっていた。幸い夏休みだったので無理して外出する必要もなく、部屋に籠もりがちになっている。そのような日々を過ごしていた彼女をアルフォードが泳ぎに誘った。自らを元気付ける為だと察した彼女は、二つ返事でそれを承諾する。

「では夕食後に来ますね。元気を出して下さいよ」

 アルフォードは微笑むと、そう言い残して帰って行った。セリナは彼が帰った後、机に向かって考え事を始める。彼女は神官クラスに進んでから、変な夢を見るようになっていた。厳密に言えば、二年前の進級式から今までずっとなのだが、学園が夏休みに入ったここ最近は特に酷く、日中でもぼんやりする事が多くなっていた。

「先生に相談すれば、きっと解決するわ」

 夢の内容は誰にも話せそうにない。何故なら、夢の中での彼女は今よりも少し大人になっていて、一人の男性に髪を振り乱しながらしがみつくからだ。しかもその男性は、アルフォードなのだ。

 幾つかある夢の中で二人は言葉を交わす。彼女の記憶している限りでは、以下のような流れだ。

『ルーよ、すまないがこれは一族の使命なのだ』

 アルフォードは彼女をそう呼んでいた。

『行かないで下さい』

 セリナはそう言いながら彼にしがみつく。

『ルー。必ず私は帰って来る』

『私も一緒に行きます!』

『ダメだ』

 そう言い残して彼は彼女の元を去って行こうとする。見たことのない青い薔薇が飾られている、その部屋から。

『お兄様、ランティウスお兄様!』

 大声で泣き叫ぶ彼女がそこに残されていた。そこでセリナは、いつも目が覚めてしまう。まるで、その先を見たくないかのように何度も何度も、繰り返し。

 それとは別に、薄暗い部屋の中で独り、誰かの帰りを待つ夢もあった。その心境が現在の彼女と似ているからなのか、夢の中と現実が混じり合い、自らが誰なのか分からなくなりそうな時もあり、それが意識を散漫にさせている原因となっている。

 そのような夢の内容をアルフォードに相談しようと彼女は考えていた。誰にも相談できない状態が、彼女の精神を更に(さいな)んでいたから。

「先生、あなたは一体……」

 アルフォードが何故、夢の中の男性と同じで、彼女の兄なのか、セリナは聞きたかった。誰よりも信頼しているからこそ、尚更。

 日が沈み、夕食の時間になった。セリナは食事を摂ろうと大広間に向かう。食卓には既に、祖父が着席していた。彼女はいつものように祖父の向かいに腰掛ける。そして、いつもと変わらない日常を、彼女から変化させた。

「今日、先生に泳ごうって誘われたの。勿論、庭先にある湖よ。行っていい、お祖父様?」

「良い。しかし珍しいのぅ、お前を誘うとは」

 恐る恐る尋ねた彼女に、祖父は快い返事をした。

「セリナや、アルフォード殿を待たせてはならぬぞ」

 優しい眼差しの祖父に促されて、彼女は食事の時間を短めに済ませると、自らの部屋に戻って身支度を整える。アルフォードが来るまでには、まだ時間があった。それまでをどのようにして待つか、彼女はあれこれ考える。読書をしていようか、それとも裁縫をしていようか、はたまた課題の勉強をしていようか、どれも今の気分には合わないけれども。

 気が付くと彼女は眠っていた。うっすらと目蓋を開き、慌てて上体を起こす。まだアルフォードは訪れていないようだ。ホッとして、改めて身繕いをする。彼を待つ間、普段よりもゆっくりと時が進んでいるように彼女は感じていた。それでも確実に時は流れる。彼女が玄関先へ確認に行こうと腰を浮かせると同時に、部屋の窓がノックされた。

「ご機嫌よう、起きていましたか?」

 アルフォードが優しい微笑みを浮かべて、彼女に呼び掛ける。彼女の部屋は二階にあって、その窓辺に彼は佇んでいた。いつもと同じ黒を基調としたローブを纏い、手には木製の杖を携えている。金色がかったその瞳に見つめられ、セリナの鼓動は一つ飛ばされた。

「迎えに来ましたよ。さあ、行きましょう」

 アルフォードが手を差し伸べる。しかしセリナは俯いて頬を赤らめていた。ややあって彼女は顔をあげると、ぎこちなく微笑み返す。

「はい、行きます」

 差し伸べられた手にセリナは自らの掌を重ねた。また鼓動が一つ飛ぶ。アルフォードは微笑んだまま、彼女を部屋から連れ出した。外は月明かりに照らされて、意外なほどに明るい。ふと見上げると、空には大きな美しい満月が二人を見下ろしていた。彼女の足の裏に柔らかな土の感触が伝わる。地上に降りた二人は、彼が引っ張るようにして歩き出した。

 敷地の広い庭先には湖が一つある。アルフォードの家は、その湖の北東に建てられていた。しかし彼は自宅ではなく、まるっきり反対方向の岸辺へと歩いているようだ。その事実に気付いても、セリナは何も言わなかった。何故なら、他人に邪魔されたくはなかったからだ。誰にも関与されない二人きりで、話を聞いて欲しかったから。

 グルリと湖を半周するようにして、二人は湖の畔に到着した。岸辺には誰もいない。しんっと鎮まり返った湖は、厳かな雰囲気さえ漂う。湖面には満月が映り、さざ波に揺れていた。セリナの胸中には、ときめきにも似た熱い気持ちが込み上げて来る。クラクラと目眩に襲われそうになっていた彼女も、何かが水に飛び込む音で我に返った。

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